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たえず変転する世界とマインド。そこに意識を固着させるから、グルグル引きずり回され、たえずグラグラしてしまう。なので。。。っていう話です。

女心と秋の空。。。

じゃなかった、男心と秋の空。。。

。。。のようにグラグラゆれる、こころを抱えながら。。。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

今日の聖書の言葉。

堅固な思いを、あなたは平和に守られる 
あなたに信頼するゆえに、平和に。
イザヤ書 26:3

グラグラしてしまうのは、どうしてか、っていうのは、じつは自分でもよくわかっているんだよね。。。

原因は、自分の意識のフォーカス(焦点)を、絶えず流転し変化し続ける現象界の事物にフィックス(固着)してしまっていること。

そりゃね、グラグラすると思う。だって、世界そのものがグラグラしているわけだから。

そこで、深呼吸して、意識のフォーカスを内面に向けてみる。。。

。。。みたいなことをやると、よけいにグラグラしちゃう。

だって、自分のマインドは世界より、もっとグラグラしているわけだから。

堅固な思いを、あなたは平和に守られる
あなたに信頼するゆえに、平和に

今日の聖書の言葉には、グラグラ要素が絶無だ。。。

なんてスバラシイ。。。

平和の要件である「堅固な思い」と訳されている言葉。

この言葉は、聖書の原語のヘブライ語を見ると「サムク・イェセル」となっている。

これがねー、いろんな聖書学者によって、いろんなふうに訳されているわけなんだけど。。。

【サムク】は、つかむ、かまえる、かかげる、よりたのむ。。。

【イェセル】は、フォーカスする、フレームに入れる、というような意味。

なので、サムク・イェセルで「しっかりフレームに入れる」みたいな感じだろうか。

ちゃんと、フォーカスすべき対象だけをフレームに入れて、ピントを合わせなさいよ、ってことかなあ。。。

まあ、たしかに、なんでグラグラするのかというと。。。

意識をフィックスすべきでないものにフィックスしているからだよね。

たえず変転する世界。たえず変転するマインド。そこに意識を固着させることによって、グルグル引きずり回され、グラグラしてしまう。

だから、ピントをちゃんと合わせよう。自分の意識のフレームのなかに、あれこれ盛らないで、シンプルに「神」だけ入れよう。。。ってことなんだと思う。

永遠・普遍・無限・絶対・遍在・全能・全知である「神」は、時空の連続体であるこの世界を超越しているから、ブレない・変わらない・動かない。このため、聖書は神のことを「岩」と表現しているほどだ。

もちろん、永遠で無限で絶対の「神」が、有限で短命で脆弱ぜいじゃくな自分の意識のフレームにおさまりきるハズも無いんだけど。。。

でも、その無理筋のハナシを無理筋でなくしてくれたのも、やっぱり「神」だ。

神は、神自身を無限に縮小し、ユダヤのベツレヘムの馬小屋の飼い葉おけのワラの上に、赤ん坊となって降り立ってくれた。それが、イエス。

自分の意識のフレームに「神」を入れることは不可能だけど。。。

自分の意識のフレームにイエスを入れることは、可能!

イエス自身、そうするように、って、われわれを招いている。こういうコトバによって。。。

わたしが命のパンである
わたしのもとに来る者は
決して飢えることがなく
わたしを信じる者は
決して渇くことがない

このパンを食べるならば
その人は永遠に生きる
わたしが与えるパンとは
世を生かすための
わたしの肉のことである

じゃあ、具体的に、どうやって自分の意識のフレームのなかにイエスを入れればいいんだろう?

それは、この祈りを単純に唱えることによって、だ。

主イエス・キリスト、神の子、救い主
罪人つみびとであるわたしを、あわれんでください

註)
*1.  Cf. ヨハネ 6:35
*2.  Cf. ヨハネ 6:51

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