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明日、何が起きるか、どころか、5分後に何が起きるかすら、わからなくなっている時代に、絶対的に確実なことは何個あるか? っていう話です。

ガルブレイスの不確実性の時代(1978)を超えて、絶対的不確実性の時代(2020 - )に突入している、いまの世界線だけど。。。

明日、何が起きるか、どころか、5分後、何が起きるか、すら、わからなくなってきているわけで。。。

絶対的に不確実だったら、将来を適切に予想する、なんて、できなくなっちゃうよね。

だとしたら、もう、投資なんか、コワくて出来ないんじゃないかと思う。

だって、過去の経験に基づいて、こういう「リスク」が予見されるから、「ヘッジ」してリスクを回避しよう、っていうわけで、ヘッジファンドを組み立てているわけでしょう?

リスクが予想できなければ、ヘッジのしようもないしねー。

今日の聖書の言葉。

わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。
ヨシュア記 1:9 新共同訳

ちょっと見、雄々しく見える今日の聖書の言葉だけれど。。。

よーく読んでみると、不穏さを感じる。。。

感じるのは、オレだけ?

だって、さ。。。

「うろたえてはならない」って言うのは。。。

これから、うろたえるようなことが確実に起こるから、だから、うろたえるなよ、ってことでしょ?

「おののいてはならない」って言うのは。。。

これから、おののくようなことが確実に起こるから、だから、おののくなよ、ってことでしょ?

絶対的不確実性の時代で、確実に言えることがあるとしたら、この先きっと、うろたえること、おののくことが、確実に起きる、ってことだけなのかもしれない。。。

なので、このAAの登場、ということになる。

(((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブルガタガタブルブル

その上で、今日の聖書の言葉をもう一度読み返してみると、見落としちゃいけない、もうひとつ確実なことがあるのが、わかる。

それが、これ。

あなたがどこに行ってもあなたの神
主は共にいる

「どこに行っても」っていうのは、この先、どんな状況になっても、っていうふうに解釈できるんじゃないかと思う。

だとすると。。。

どんなにこの先、うろたえ・おののく状況に置かれたとしても、「神」は、いつも自分と共にいる、ってことになる。

そうすると、絶対的不確実性の時代において、絶対的に確実なことが4つある、って言うことができるかもしれない。

それは。。。

1.この先、うろたえることが、確実に起きる、と、確実に言える。
2.この先、おののくことが、確実に起きる、と、確実に言える。
3.この先、いつも「神」が自分と共にいる、と、確実に言える。
4.この先、自分が「神」を信頼するなら、うろたえることもなく・おののくこともない、と、確実に言える。

1と2がリスクで、3がヘッジだとするなら、リスクヘッジがちゃんと作動するかどうかは、4にかかってる、ってことになるよね。

つまり、神を信頼するか、どうか、ってことだ。

明日の自分が、神を信頼するかどうか。。。

それは、わからない。。。

5分後の自分が、神を信頼するかどうか。。。

それも、わからない。。。

でも、いま・この瞬間、自分が「神」を信頼するかどうかは、自分が決心しさえすれば、決められることだよね。

その決心が前後3秒ぐらいの範囲に過ぎないとしても、それでも、自分が信頼すると決めさえすれば、それは、確実になる。

賞味期限3秒の確実。。。

だけれども、確実な3秒を、3秒ごとにリフレッシュして行くならば、確実をずーっと経験することができるかもしれないねー。。。

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