見出し画像

自分は、なぜ、キマリを守れないのか、ってことを考えたその果てにある、イマジン、っていう話です。

はい。この本。ここに置くからね(とビッグママが言う)

この本にキマリが書いてあるから、よく読んで、ちゃんと守るのよ。

書いてある通りにやればいいの。わかった?

じゃ! 

ってことで、みんながみんな、本に書いてあるとおりにキマリを守れたなら。。。

なーんにも、この世界に問題は無いわけで。。。

今日の聖書の言葉。

いかに幸いなことでしょう 主の定めを守り 心を尽くしてそれを尋ね求める人は。
詩編 119:2 新共同訳

でもねー。。。

そうはなっていない、っていうことが問題だ。

「ママがちゃんと言ったでしょ! なんで出来ないのっ!? 」

。。。ってさけぶ激オコママの前で、震えあがる子どもがいたり、ニヤニヤ笑う子どもがいたり、走って逃げちゃう子どもがいたり、いろいろ目にするけれど。。。

自分の場合、どうだったかなあ。。。

表面は厳粛なおももちで、でも、ココロのスイッチは切り替えて、空想の世界に逃げ込む。。。そういう子どもだったかもしれない。。。

言われたこと、決まってること、要求されること、守らなければいけないこと。ちゃんとやらなきゃいけない、それらすべて。。。

ぜーんぶ、わかってる。。。わかってるんだけど。。。

でも、できない、って言う。。。

こんなことじゃだめだ、ちゃんとやらなきゃ、って、焦る自分がいる。

でも、できない、って言う。。。

そんなポンコツは、自分だけだろうなあ。。。

。。。って思ってたら、どうも自分だけでもない、えっ、そうなの? っていうことがワカリはじめて、少しは気が楽になったけど。。。

でもね。。。

ちゃんとやらなきゃいけないことを、平気で怠るひとが引き起こす大厄災によって、人類社会がダメージを繰り返し受けていることを考えると。。。

やっぱ、そんなことじゃあ、だめじゃん、って思う。

人間はキマリを作る。そして、人間はキマリを守れない自分を自覚する。

もっと悪いことに、キマリを守れない自分を巧妙に隠蔽しながら、キマリを守れない他人を全力で攻撃する自分がいる。。。

オマエ、キマリ、マモッテナイジャン! って。。。

他人を裁いたそのハカリで、いつか自分が裁かれるんだよ、って、イエスは忠告してくれたけど *¹。。。

自分。。。裁きまくりじゃん。。。これじゃあ絶対地獄雪。。。

そこで。。。

別の本を持って来よう。

ビッグブックとも言われる本。聖書だ。

聖書は、不思議な本だ。

聖書には、いーっぱいキマリが書いてある。

キマリを守った場合にあたえられる祝福が書いてある。

キマリを破った場合にあたえられる呪いも書いてある。

呪いが極限に達したら、どんな大厄災が起きるかも書いてある。

そもそも、なぜ人間はキマリを破るのか、ってことの原因すら書いてある。

それだけじゃあない。

呪いの解除方法が書いてある。

キマリを作った本人である「神」が、神みずから神の身に呪いを引き受けることによって、呪いを終焉させた、って書いてある。

キリストは
わたしたちのために呪いとなって
   わたしたちを律法の呪いから
      贖い出してくださいました
 *²

そして、聖書には、さらに不思議なことが書いてある。

キマリは撤廃された。「以前の掟が、その弱く無力なために廃止されました。律法が何一つ完全なものにしなかったからです」(ヘブライ 7:18-19)

だけど、こんどは「神」が聖霊をとおして人間のなかに住むようになって、そうすることで、神が人間を生きる始める、って書いてある。

生きているのは、もはやわたしではありません
キリストがわたしの内に生きておられるのです
 *³

結果、人間は神のココロと一致してフルマウことができるようになるんだ。

キマリは撤廃されたけど、キマリが目指していた目的は人間のフルマイのなかで実現されて行く、という。。。これは、なんとも不思議な話だけど、これを、キマリの内面化、とでも言ったらいいだろうか。

わたしの律法を彼らの思いに置き
   彼らの心にそれを書きつけよう
 *⁴

じゃあ、キマリが目指すものは、いったい何か、って言うと。。。

それは「愛」だ。

互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです
ローマの信徒への手紙 13:8-10 新共同訳

「愛」によって全人類が完成される、という神のプロジェクトは、歴史の終局点(オメガポイント)に向かって目下進行中であるわけなんだけど。。。

もちろん、他人のなかで、それがどれぐらい進捗しているかは、自分の知るところではない。

今日の自分は、どうか、ってことしか、わからないんだよね。

いつか、神のプロジェクトが完成した日には、こういう光景が出現するだろう。

彼らはそれぞれ自分の同胞に
それぞれ自分の兄弟に
「主を知れ」と言って教える必要はなくなる
小さな者から大きな者に至るまで
彼らはすべて、わたしを知るようになり
わたしは、彼らの不義を赦し
  もはや彼らの罪を思い出しはしないからである
 *⁵

歴史の終局点にあるこの光景は、今日の自分と地続きでつながっている。自分は誰かを愛することで、確実にそこに行けるんだ。

で、この光景にピッタリの讃美歌があるかなー、って思ったんだけど。。。

どうも、思いつかない。

でも、ジョン・レノンの「イマジン」って、もしかしてピッタリじゃないだろうか?

註)
*1.  Cf. マタイ 7:2
*2.  Cf. ガラテヤ 3:13
*3.  Cf. ガラテヤ 2:20
*4.  Cf. ヘブライ 8:10
*5.  Cf. ヘブライ 8:11-12

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?