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前例を踏襲することの安心感。でも、伝言ゲームの例もあるから、原点に立ち返りましょ、っていう話です。

あたらしいことに挑戦しよう、という思いはあっても。。。

でも、あたらしいことをやる、って、すごいエネルギーが要るよね。。。

前例を踏襲したほうが、たやすい。。。

だって、同じことを、同じように、繰り返すだけなんだからさ。。。

今日の聖書の言葉。

わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。
フィリピの信徒への手紙 4:9 新共同訳

パピアス(60頃-130頃)という人物がいるんだけど。。。

彼は2世紀に小アジア(現トルコ)のヒエラポリスという町で司教。。。クリスチャンたちのリーダー。。。をつとめていた。

パピアスは、イエスの弟子のヨハネとリアルに知り合いだったんだって。

イエスの弟子。。。つまり使徒ヨハネ。。。そのヨハネをパピアスは敬意をこめて「老師」と呼んでいた。

で、ヨハネが「そうじゃ。ワシが福音書もヨハネの手紙1・2・3も黙示録も書いたのじゃ」と言うのを、はい、この耳でリアルに聞きましたけど、何か? みたいなことをパピアスは言ってる。

イエスにリアルに触れた使徒を第一世代と呼ぶなら、使徒にリアルに触れた者は第二世代ってことになるよね。

第二世代にもうひとりポリュカルポス(69頃-155頃)がいる。彼は使徒ヨハネの弟子だったんだって。

で、ポリュカルポスの弟子が、リヨンの司教をつとめたイレナエウス。第二世代をリアルに知るから、第三世代ってことになる。

イエスのコトバとイキザマのコピーに努めた第一世代。

その第一世代のコピーに努めた第二世代。だって、こういうふうに言われてるんだから。。。

わたしから学んだこと、受けたこと
わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい

そして、第二世代のコピーに努めた第三世代。。。

さらに、第三世代、第四世代、第五世代、第六世代と繰り返され。。。

自分はイエスから数えたら何世代目になるんだろう? 教皇は第 266代目だから、自分もそんなところなのかなー。。。

遺伝子であってもフォトコピーであっても、コピーのコピーを繰り返せば、情報は劣化して行く。。。

人間の生き方でも、同じことが起きるんじゃないのかな。。。

生きる上で前例を大事にしちゃう人間のサガ。。。前例踏襲があたえる謎の安心感。。。

でも、自分は忠実に前例を踏襲しているツモリでも、最初のスタートから見たら、すっごい乖離かいりしてる、ってことが、起きる。

まるで、伝言ゲームの最初と最後みたいだ。

なので、考え無しに前例を守るのではなく、原点に立ち返らないといけない、ってことになるよね。

クリスチャン的に言えば、それは、イエスのコトバとイキザマに立ち返る、ってことだ。

そして、立ち返る、とは、自分のコトバとイキザマを、イエスのそれと比べて、ハズレているところを補正する、っていう作業になる。

じゃあ、その補正作業は、いつやるのか?

きょう、いま、この瞬間、自分でやるしかないんだよね。

だって、それは、自分のコトバとイキザマの問題なわけだから。

他人に代行してもらうことはできないし、前世代の責任になすりつけることもできないし、後世代に先送りすることもできない。ましてや、他人を補正することなんて、もっとできない。

自分でやるしかないんだ。

それじゃあ、具体的にどうやって補正するのか、と言うと。。。

それは、イエスの霊である「聖霊」のミチビキを仰ぐしかないよね。

聖霊は、ひとりひとりのココロのうちに、いま・この瞬間、いてくれる。

わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
ガラテヤの信徒への手紙 5:25 新共同訳

今日・いま・この瞬間、自分は、どう判断し、どういうふうにコトバを発し、相手にどうフルマウのか。。。すかさず原点であるイエスを参照する。。。イエスなら、どう言うだろう。。。イエスなら、どう返すだろう。。。イエスなら、どう行うだろう。。。

それを考え始めたら、今日一日がずーっと、ミート・ジーザス・モーメント(Meet Jesus Moment)になってしまう。

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> ミート・ジーザス・モーメント <
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