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「それって、エビデンス、無いですよね?」って優しい微笑みと共にバッサリ切られた場合、じゃあ、どうしますか、っていう話です。

インターネットによって、情報の発見、共有、拡散が加速度的に進んでいる人類社会だけれど。。。

そのために、けっこう衝撃を受ける回数って、増えてるよねー。

最近いちばんショックだったのは、デトックスはデトックスにならない、っていう研究成果だ。

いわゆる「毒出し」系の方法って、いろいろあるわけだけど、それらを総当たり的に調べた専門家によると、どうもねー。。。

効果は無いらしいことが、わかったんだって ( ゚Д゚)!

でも、サウナがあるじゃん! サウナで発汗して、毒出し出来るじゃん! って思っていたサウナでさえも、専門家によれば。。。

ま、まぢかよ。。。

で、でも、まだ、ヨガがあるじゃん! ストレッチもあるじゃん! 最後の最後の頼みじゃん、って思っていたら。。。

もうね。。。どうしたらいいのよ。。。これ。。。

今日の聖書の言葉。

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
マタイによる福音書 11:28-30 新共同訳

「それって、エビデンス、無いですよね?」って優しい微笑みと共にバッサリ切られる、という経験。。。

そうやって、科学の隆盛と共に聖書は切り刻まれてきたんだけれど、いまやエビデンスの剣は、あらゆるものに向かって行って止まるところがない。

。。。日頃から切られている側として、ご同情申し上げます。。。

こうなるとねー。。。三周回って信仰の出番じゃないかと思う。

信仰っていうのは「見ないで信じる」(ヨハネ 20:29)っていう世界観であるわけだから、ある意味、エビデンスとは関係ない、って言うことができるからねー。

聖書がエビデンスの剣で切り刻まれても、それでも世界からクリスチャンがいなくならないのは、信仰のそういう特性によるところが大きいと思う。

でも。。。自分をみつめてみると、エビデンスとは関係ない! キリッ、って突き抜けられればいいんだけど、どうもね。。。

なんとなーくエビデンスっぽく見えるものを探して来て、それらしーく見せようとしてしまうところがねー。

まだまだ、クリスチャンとして半人前だなー、自分。。。と感じる所存。

まあ、半人前だからね。。。しょうがないよね。。。だから、ここはもう、開き直って、エビデンスっぽいものをひっぱってこよう(笑)

はっきりエビデンスが出ているものとして、「歌」の効能がある。

歌をうたうと副交感神経が優位になって、セロトニン、ドーパミン、エンドルフィンといった「幸せホルモン」が分泌され、結果、精神が安定して幸福感や満足感を感じやすくなるんだって。

なんと、精神科の病院のなかには、歌をうたうことをセラピーの一環として使っているところもあるらしい(by 自分調べ)

なので、魂のデトックスとして、讃美歌をうたえばいいじゃん、って思った。

緊急事態宣言が明けて再開された教会の礼拝で、今朝、この歌をうたったんだけど。。。

イェスはくしき救い主
わが重荷を負い
われを強め揺ぎ無く
保たせたまえり

この歌をうたいながら、ココロにジーンと来た。。。

効能のエビデンスは「歌」そのものしかない。それ以外の部分については、エビデンスは無いよ。。。エビデンスは無いんだけど。。。

でも、よみがえったイエスは、きょう・いま・この瞬間・自分と一緒に生きてくれている。それを、この歌を今朝うたいながら、実感したんだ。

その感覚はエビデンス抜きにしてもリアルだ。

イエスは、自分のココロの重荷を、イエス自身の重荷として受け取り、イエスの身に担っていてくれる。

だから自分は、思い煩いも・悩みも・不安も・心配事も、すべてイエスにあずけて、軽くなって生きていいんだ。生きよう。生きて行こう!

そういう思いになることができた。

この歌のコーラス(おりかえし)では、イエスの深い愛が自分を覆っていてくれる、って繰り返し、繰り返し、うたっている。

いと深き主の愛もて
われを覆いたもう
われを覆いたもう

信じよう。信仰の薄い、欠点だらけの自分だけれど、でも、信じて、生きて行こう。

生きるとは、イエスの深い愛で覆われて生きることだから。

疲れた者、重荷を負う者は
だれでもわたしのもとに来なさい
休ませてあげよう

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