この複雑な世界にシンプルなラベルを貼って生きる、という話です。
年を重ねるほど、世界というのは、ほんと複雑だなあ、と感じる。つくづく、感じる。
自分が子どもの頃に読んだ本では、世界がもっと単純に描かれていた。
宇宙の起源については、定常宇宙論で書かれていたし。。。
なーんにもない空間が、ずーっと昔からありました、みたいな感じ。
物質については、電子・陽子・中性子で出来ています! 以上、だった。
いま常識になっている、陽子と中性子は素粒子で構成された内部構造を持つ、とか、宇宙のはじまりはビッグバンによる、とかがわかってきたのは1960年代末からだからねー。。。
手に取ったあの本は、当時すでに古っぽかったから、きっと1960年以前に出版されたものだったんだろうなー、と想像する。
あの本が描く世界はシンプルだった。
今日の聖書の言葉。
1960年に出た本より、もっと古い聖書が、もっともっとシンプルに世界を描いているとしても、不思議はない。そりゃ、そうだろうねー。だって、古いもん。。。
今日の聖書の言葉は、願いは必ずかなえられる、という超絶シンプルな世界を提示している。
正直、そのシンプルさに怯んでしまうんだけど。。。
聖書が描く世界観では「神」が世界を運営していて、神はわれわれに愛を注いでいて、その愛が自分と神を結んでいるので、神は自分の願いを容れて世界を動かしてくれる、っていう具合になっている。
この世界観に立って生きるならば、こういうステートメントが新常識になる。これだ。
ほんとうはすごく複雑で、だから、人間の認識とか推測ではカバーしきれない広がりを持つ「世界」を、しかし、人間はコトバでもってラベル化することで把握しようとする。
で、把握したつもりになってしまう。
自分が子どもの頃は、電子・陽子・中性子という三枚のラベルを貼るだけで、世界が把握できたつもりになっていた。ラベルの裏側には、誰も知らない世界が広がっていたのにね。。。
自分は、ロシアという一枚のラベルを貼って、わかったつもりでいたのに、やっぱり、ラベルの裏側には想像もできない世界が広がっていた。まさかロシア軍がここまで弱いなんて、軍事専門家すら予見していなかっただろう。
いま、自分の手のなかに、神・愛・祈り、という三枚のラベルがある。きっと、この単純なラベルの裏側に、これまでの誰も・そして・これからの誰も知り得ない、無限の世界が広がっているに違いない。
だって、ラベルって、すべてそういうやつじゃん。。。
それでも自分は、この三枚のラベルを貼ることによって、この世界を把握して、生きて行こうと思う。
どうしてそう思えるかと言うと。。。
すくなくとも「神」と「祈り」を媒介する「愛」については、自分が実感できる要素であるからだ。
愛さない・愛します・愛する・愛するとき・愛せば・愛せ・愛そう・愛した、ばっかり考えて生きているわけだし。。。
「愛」というラベルを世界に貼る。それは同時に「祈り」というラベルを世界に貼り、「神」というラベルを世界に貼ることなんだと思う。
そうすることで、いまほんとうに酷いありさまに見える、この不定見で不可見の世界を、それでも愛し続けることが可能になるんじゃないかと思うんだ。
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