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今日はとっても心が落ち込んでいるので、努めて明るいことを考えてみました、っていう話です。

寒くなり、暗くなり、雪も降ると、どうしても心が塞ぎ込みがちになるよねー。まあ、しょうがない。冬だし。お正月が終わって平常運転の三日目だし。だから、心のなかだけは努めて明るいことを考えるようにしてみる。

人生のエネルギー状態というのがいつも圧延機で押し出される羊羹ようかんみたいにずーっと安定して同じだったら、ちっとも苦労はないんだけどさ。でも、現実には高エネルギー状態の時もあり、低エネルギー状態の時もある。。。

今日の聖書の言葉。

起きよ、光を放て。
あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。
イザヤ書 60:1 新共同訳

人生が光かがやく時って、あるじゃん? いつもそればっかなら、いいんだけど。。。でも、光りかがやく時って必ずそのあと精神的にドーンって落ち込むようなことが起きるんだよね。ほんと不思議だ。で、気分がすごい下がる。いや、気分が下がるから嫌な出来事を呼び込むのか、嫌な出来事のせいで気分が下がるのか、わからないんだけど。。。

「神」っていうのは生きたパースンであると同時にスピリチュアルなエネルギーでもあり、しかも、圧倒的なエネルギーである、っていう観方ができると思う。なにせ世界を無から創造した神であるわけだから。なので、そういう神に触れられたら当然こっちは元気になるよね。もしかしたらそれって「励起光源れいきこうげん」っていうのに似ているかもしれないなー、って、ふと思った。

励起光源。蛍光灯とかが光る原理であるらしいんだけど。。。文系人間の自分が蛮勇をふるって説明してみるとしたら。。。たとえば蛍光灯の管のなかにはアルゴンというガスが充填されている。アルゴンを原子レベルで見ると、陽子の周りを電子がすごいスピードでぐるぐる回っているんだ。そこへ外部からエネルギーを投入すると、あーら不思議! エネルギーを受けた電子は回転の軌道が高い位置に移動するんだ。んでもって、高い軌道からふたたび低い軌道に電子が落ちるとき光りを放つんだって。つまり、光りを放つと必ず低いほうへ落される、あるいは、低いほうへ落とされるときに光を放つ、っていう。。。なんか似てるでしょ、人間に? 下はその原理を説明したボーアの原子模型だ(by Wikipedia)

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人生ずーっと上り調子なんてわけがそもそもあるはずもないんだけど。。。でも、この励起光源という「光」に関する原理を自分の人生にあてはめてみたら、いろいろ納得は行くよね。自分はイエスという陽子の周りをぐるぐる回っている。で、そこへ神がエネルギーを投入する。エネルギーを受けた自分は、高エネルギー状態になって、飛び回る軌道が高くなる。この時、なんだかまるで自分が偉くなったかのように勘違いすることが多い。高慢な鼻高状態だね(笑) そして、思いっきり光かがやく。光を放ったとたんにストーンって低い軌道に落とされる。低エネルギー状態に陥る自分。さっきまで光かがやいていたのがまるでウソみたいだ。。。

でも、低エネルギー状態~低い軌道に落とされるっていうのは、とっても良いことだよなー、って思う。だって、電子の軌道は低いほど陽子に近づき、自分の軌道は低いほどイエスに近づくわけだから。。。

寒くなり、暗くなり、雪も降ると、どうしても心が塞ぎ込みがちになるよねー。低い軌道を這うような今日は、だからイエスのそば近くにいよう。そして「神」がエネルギーをくれるのを待とう。だって、いつだってエネルギーは神からしか来ないんだから。そうして何度も自戒しよう。やがて元気になって空高く自由に飛び回れるようになって、すっごく光かがやける瞬間が来たら。。。来るよ、来るよ、ストーンって落とされるよ、必ず。だから、衝撃に備えよ、って。。。

でも、まあ、だいじょうぶだよね。だって、落とされた先の中心にはいつでもイエスがいてくれるんだからさ。。。

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