無限のパワーを解放して、平凡な今日を生きる。
うだるような暑さというか命の危険を感じる暑さ。。。
こういうとき、ついつい冷たいものばっか飲んでしまう。
でも、あんまりよくないんだよねー。
というのは、冷たいものを摂取しすぎると内臓が冷えちゃうから。
内臓って、人間のからだの熱を供給するセンターなんだって。
その内臓が冷えちゃうと、いろんな不調が出ちゃう。
どういう不調があるかというと。。。
肩こり、片頭痛、不眠、食欲不振、消化不良、下痢、免疫低下。。。
でもって、腸の具合が悪くなると腸が作る神経伝達物質セロトニンの量が減る。
セロトニンは精神の安定・安心感・頭の回転をつかさどっているから、それが足りないと、集中力低下、気分障害、鬱を引き起こすことになり。。。
ひえーっ。。。
今日の聖書の言葉。
声なき器官である内臓は、健康に生きているときにはほんとぜんぜん意識しないよね。
あるんだかないんだかわからない感じだ。
でも、体調を崩してお医者さんから「内臓が疲れてますねー」とか言われて、はじめて内臓を意識する。
で、ごめんね内臓、とか言って、うだるような猛暑のなかあえて熱いお茶を飲んでみたりする。
熱いお茶を飲みながら、生きるということを実現するために、自分の無意識下でアシストしてくれているいろんな「力」が働いているんだなあと思う。
その「力」は、自然的な力、生物的学な力、化学的な力だけでなく、超自然的な力もあるのだと思う。
わたしたちの内に働く御力によって
わたしたちが求めたり
思ったりすることすべてを
はるかに超えてかなえることのおできになる方
ふだん、すい臓や肝臓を意識することはまったくない。胃とか腸ならグーっとかキューっとか鳴ったりするから、たまに意識するけれど。。。
同じように、自分のなかに働いている「聖霊」という超自然的な神の力をはっきり意識することはあんまりない。
いや。。。力というふうに表現するのは正確ではないかもしれないね。
聖霊は、神の霊であり、人格をもった命がかよう存在だ。
後期ユダヤ教(第二神殿時代のユダヤ教)では、神から出た神の霊は神であると考えられていたらしい。
それを引き継いだ新約聖書も、聖霊を「神」としてとらえている。
新約聖書によれば、われわれがイエスを主と告白するときに聖霊がわれわれの内に宿ってくれる *。
考えてみたらすごいことだよね。自分は熱源としての内臓を持ってるだけでなく、生きた「神」が自分のなかに宿っていて、霊的なパワーを供給してくれていると言うんだから。
神は無限の存在で、だから神のパワーも無限であるわけだから、その神である「聖霊」が自分に宿っているということは、無限のパワーが自分に供給されているということになる。
そのパワーを使って自分は何をするのか? と言うと。。。
ふつうの生活をおちついてしずかに生きるために、ひたすらそのパワーを使わせていただく。
聖霊のパワー全開で生きる。
註)
* Cf. エフェソ 1:13-14
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