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「変化なし」

 僕は介護の記録で「変化なし」「特変なし」と書かないようにしたいと思っています。
 支援員や相談員としては、計画を達成するためには「どれだけの変化があったのか」が重要。また、支援の内容を人に伝える中で「できた」「できない」ということは、安心できることだと思います。支援員が感じる変化と利用者・家族が感じる変化の基準は違うかもしれないけれど、視点の違いがあることで計画にも活かすことができる。
 では、変化はどこを見るのか。いつを見るのか。
 身体のことだけでなく、コミュニケーションの中からも変化を見つける。仕草や文章からも見つける。
 「『この前』『以前』と比べて・・・」はいつのことを基準にしているのか。「そんなことまで覚えていない」ではいけないので、記録や計画、アセスメントが重要で、だいたい基準となる日付(計画作成日やアセスメント実施日)が書かれている。曖昧にしてしまうと後で困ることもある。
 また、変化が分からなかったというのも心配で、支援者はどこを見ているのかが気になります。見ているだけで「変化ないな」だと思うことはあるが、そういうときにこそ少しの時間でも話をしておきたい。相手が話したくない状態だとしても、どうして話したくないのかを考えながら、話をしていく。また「眠たそうにしている」「作業中に手が止まる」と書かれた記録でも、小さな変化が大きくなる前に話をすることでお互いに安心する。

 でも、夜勤で利用者が寝ている時には「変化なし」と書きたいね。夜間帯に変化がある時は、急変か、事故が多いから、もう混乱してしまうよね。

 

 さて、ここまで記録としての変化を書きましたが、利用者は変化について、どう思っているのだろう?
 計画を立てる際に目標として「これまで通りの生活がしたい」と言われても、僕は納得せず、出来たほうが良いことや趣味などを聞いてから話題を拡げていく。

変化がないほうがいいのか、変化があるほうがいいのか

 大きさや頻度や本人の状態もあると思いますが、どちらかといえば「変化あり」の方が良いような気がしています。

 単調な生活になりがちで、嬉しいことや悲しいことがあった方が生活の意欲につながる。何か目標に向かっていく時には、それなりにエネルギーがいるのも確かで『やらなきゃいいのに』と支援者は思うことがある。だけど、やらなくては分からないことや次に起こりうる変化を乗り越えることで、今までとは違った自分や実現できる自分を描いている。

 変わらない生活は、時間と感覚を鈍らせる。本人にも支援者にも負担が少ないのは確か。だけど、変化はだれでもある。障がい者や高齢者だけが変化がないということはあり得ない。変化が苦手で受け入れられない、変わることが怖いのはあるとは思うが、これまで関わってきた環境や人間関係が影響していると思う。「慣れ」というかそれしかなかったとしたら、変化ということも思い浮かばなかったと思う。

 本人から「変わりたい」と言われた時でも、支援者は本人の日々の様子をしっかり見ていればビックリはしない。言えない場合でも、同じく。
 本人は変わらずいつも通りに作業や生活をしているつもりでも、どこかで「変わりたい」と思っていると違和感が出てくる。
 そして、支援者は「変化があること」をしっかり受け止めなければならない。僕が相談員になりたてで、悩んでいる時に思いがけず、相談したいという電話を受ける。『なんで今?』と思ったことはあるけれど、それは利用者も同じ。変化は待ってくれない。
 その一方で、「変化」ばかりを追い求めていて、日常を知らないことも困るし、「変化を作る」=「うそをつく」のも困る。

 「変わる日常」でも、変わらないのは何だろう?
 体調も気持ちも景色も道具の形も変わる。変化にしても「良い変化」「悪い変化」はあるが、「日々、変化するなかで生活する」という思いは変わらないのかな。
 起こってくる変化も「これが日常!」と思えていれば、少しの変化なら受けれられるかな。「いつまでも同じ生活を」「決められた場所・時間で」と思っていると、自分自身も追い詰めてしまうような気がしています。

 「変化」=「発見」「成長」と考えてもいいような気がしてきました。

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