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思い込み

 「あなたは、自分の思いこみで人を判断していませんか?」

 「そんなことない」とすぐに言い返せるだろうか。すぐに言い返せる人がいたら、聞いてみたい。

 「あなたの仕事のお客さんはどんな人ですか?」

 変な質問をしてしまったが、例えば、福祉の対象者では「目の前にいるのは何かしら支援や手助けのいる人」となるが、

相談に来る人=困っている人=社会的弱者=福祉の対象者
商品を買う人=お金を持っている人=仕事をしている人=社会人

と思っていないだろうか。間違ってはいないけれど、本当にそうだろうか?

 僕も、全く思い込みはないと言えない。見た目で判断してしまうこともあるし、ほんの少しの話しっぷりや文章で性格が分かったようになってしまう。
 「思い込み」は誰にでもあるのだと思う。そうでないと社会の中で人と接する中で「気遣いできない人」と思われることもある。例えば、「(お客さんに)外が暑いから、冷たい飲み物でも出そうかな」「(失敗しそうだから)気をつけてね」など。
 要するに、「思い込みの度合い」の問題みたいです。度が過ぎると、「こうなるに違いない」と、人への攻撃につながる。
 「見た目で判断しないように」とは言われることがあるけれど、その時点で「見た目」のことを気にしてしまう。

 「思い込み」って怖いよね。人に対する視点を曇らせる。

 いざ、福祉の対象者が事件を起こす。そうすると「ちゃんとしていないから、こうなるんだ」「薬を飲んでいるから」「薬をきちんと飲んでいないから」「周りがちゃんとしていないから」と言われる。

 でもね、福祉の対象者であってもなくても事件は起こす。

 僕が気に入らないのは、確かな知識がないのに「人の話を聞けないから、あの人は発達障害だ」や「認知症の人って、人の顔や名前をすぐに忘れるんだよね」「障がい者だから、○○をしてしまう」と話していること。一部を見ての話だったり、偏った知識に影響していると思う。
 もう一方で、「あの人は、大企業に勤めているからすごいよね」「〇〇大学を卒業しているんだ」となると、「すごい人」と思い込まれる。
 また、福祉の対象者の中には、会社を経営されていたり、職人と言われる人もいる。「できる人」「できない人」で区別していないだろうか?

 ちなみに、福祉に従事している職員にも思い込みはあると思っている。「弱い人を助けなくてはいけない」という思い込みである。「弱い」から福祉が必要なんだろうか?「強い」と福祉は必要ないんだろうか?「弱い」「かわいそう」「強い」と思うのは、あくまでも個人的な考えであり、本人の思いと違うこともある。「差別はしない」と思っていても、また周りからの「福祉の職員はやさしい」という思い込みもあるかもしれない。

 

 そうなると「思い込みが問題や事件を起こす」とも思えてきます。問題や事件を起こす側も、見る側も、何かしらの「思い込み」がある。
起こす側とは違った思い込みで判断される。

 じゃあ「この人は何か問題がある」ということは、どこで判断するのか?

話し方
身なり
からだの動き方
文字

 そして、何より「見る人のこれまでの生活」が関わってくる。「問題がある」=「自分がこれまで関わっていないから、問題がある」と。その思い込みを取り除くためには、自分から行動するしかない。積極的に話を聞いて、ともに行動する。見るだけではいけない。分かった気になってはいけない。

 知識があれば「思い込み」は減るの?

 何とも言えない。
 知識があればあるほど「思い込み」の幅は広がる。ほんの少しの心配(思い込み)でいいはずなのに、社会にまで広がることもありうる。

 また、社会は「いい思い込み」と「悪い思い込み」で成り立っているようにも感じます。
 「いい思い込み」・・・いわゆる「やさしさ」につながる。対人関係や社会生活を円滑に行えるようにすること。
 「悪い思い込み」・・・いわゆる「やりすぎ」につながる。攻撃性や問題が生じてくること。

 そして、自分も「書けば誰かが分かってくれる」と思って書いている。
 また、読む人は「書き手のことを思い込んで(想像)して読んでいる」

 なんだか文章がまとまらなかった気がしています。読んでいてイライラしてしまったら、すみません。

 

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