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沖縄県、渡嘉敷島にて

那覇の港から船に乗ること一時間。慶良間諸島の中心の島である渡嘉敷島に降り立った。那覇から40キロ程しか離れていないこの島は、那覇の港から手軽に来れるということで、観光客からも人気の島らしい。なんでも海が美しく、世界有数のダイビングスポットであるとか。その海の美しさを慶良間ブルーと呼ぶと事前に読んだ観光ガイドの冊子で知った。

予定通り一時間で船は渡嘉敷島に到着。港は思っていたより大きくしっかりしていた。島の小学生たちが「〇〇先生ようこそ渡嘉敷島へ‼︎」と書かれた大きな横断幕を持ち、楽しそうにはしゃいでいる。きっと同じ船にこの島に新しく赴任してきた先生が乗っていたのだろう。そういえばスーツ姿のやたらでかいキャリーバックを引いていた人が私の後に乗船してきたけど、きっと彼がその先生とやらだろうか。この小さい島で教壇に立つ。想像するとそれはとても美しいことだなと思った。もちろん、離島ならではの大変なこと、不便なことはかなりあるだろうが、素直に憧れてしまう。

いきなり島ならではの光景に出会い体の中から旅アドレナリンが湧いてきた。今回は残念ながら日帰りで那覇に帰らなくてはいけないので、そこまで時間はない。港から島で一番有名な阿波連ビーチ行きのバスが船から降りてきた観光客を待っていたので、私もしっかり観光客として乗り込んだ。レンタカーを借りて島を自由に回ることも考えたが、渡嘉敷の綺麗なビーチで海を見ながら冷えたオリオンを流し込みたい、この自分の内部から出てくる欲求に今回私は素直に従うことにしたのだ。だが、正確には船の中の時点ではレンタカーを借りる予定だった。それが一歩この島に降り立った瞬間、離島特有の静かな心地よい雰囲気に私の気持ちは一瞬で車からオリオンに変わってしまった。

このような南国では解放的になるとよく言うが、それが身に染みて分かった瞬間だ。本来人間は体の欲求にもっと素直になるべきだ。それが都市に住み、いろいろなシステムにはめられていくと自分に嘘をつくようになる。それが積み重なると人間は崩壊する。そうなったら手遅れだ。人間らしく生きる。それが一番なのだ。ムーミンに出てくるスナフキンだってそんなことを言っていた。だからこそ、このような場所を訪れた時は素直に自分を解放しなくてはいけないのだ!と、あっさりオリオンに鞍替えした意思の弱い自分を、これまた言い訳の得意な自分が納得させた。こんなこと言うと普段から色々なしがらみに苦しんでいるように見えるが、別に普段も私はたいして我慢もせず、様々な物を解放しまくりなのだが。

そんなことを考えて無駄なエネルギーを使っていると、バスは出発のアナウンスの後、出発した。集落を抜けるとすぐ山道に入る。アップダウンの激しい道をバスは進む。意外と高低差のある島みたいだ。山道をバスに揺られていると、本当に世界有数のダイビングスポットの島なのか疑いたくなってくる。ただその考えは一瞬で消え去ることになる。山道を登り切ったところで視界が開けた。私の逆側の窓からなんとも言えない美しい青の海が見えた。


初めて慶良間ブルーに遭遇した瞬間。慌ててピンとが合ってない


空の青と海の青が同じだ。この使い古された例えしか出てこない。その景色にしばし息をのみ、見とれているとバスは下りの山道に入った。
程なくして目的地、阿波連ビーチの集落にたどり着いた。バスを降り、近くの売店で予定通りオリオンを買う。売店のおじさんに「コロナで全然人が来なかったから来てくれて嬉しいねー。ありがとねー」と沖縄の心地よいイントネーションで話掛けられた。よし。出だし好調気分も最高だ。旅してる。その実感が湧いてくる時こそ一番のエクスタシーを感じるのだ。気分高々オリオン片手に阿波連ビーチに向かう。

いやはや、分かってはいたけどその何倍も海は綺麗だった。目の前の景色に絶句した。白いビーチは白より白く、青い海は青より青い。風は優しく適度に体の温度を下げてくれる。波は穏やかで完全に外部からきた私を歓迎してくれている。
最高だ。砂浜に座り、念願のオリオンを頂く。今ならオリオンビールのcmに出れるくらいの反応が出来そうだ。もう何も言うことはない。しばしその場に座り、景色を満喫して夢中でシャッターを切った。一本目のフィルムがあっという間に終わってしまい、すぐに新しいフィルムに交換する。交換を終えて展望台があるという方に砂浜を歩いた。この時は3月の後半だったのでまだ海で泳いでる人は少ない。海に入れるシーズンでないのは残念ではあるが、シーズンオフの人のまばらな海も中々贅沢だ。

展望台は10分くらい登り到着した。

上からの景色もかなりの絶景だ。下から見るよりも青が深くなる。見ていて全然飽きない美しさだ。展望台は日陰になっていて高台にあるので、風が抜けて大変に居心地がいい。いつまでも飽きずに入れそうだ。しばらくそこで絶景を独り占めさせてもらうことにした。

30分程いただろうか。飽きずにいれると言っても人間空腹に勝てない。
時間はちょうど正午を回ったところだ。時間的にも昼食の時間だ。
バスの止まった集落に戻り何か食べることにした。
集落には何件か食事のできるお店があるらしいが、私は沖縄そばの旗が出ている一軒に入ることにした。中に入るとおそらくご夫婦でやられているのだろう奥さんの方が気持ちよく案内してくれた。客は私の他に2グループ。注文はそばとオリオンの生。しばらくしてビールが運ばれてきた。一気に半分飲み干す。エアコンの効いた店内で生ビールを飲む。文明の力の素晴らしさに感謝しつつ、ありがたく享受させてもらう。程なくそばが運ばれてきた。

見た目はオーソドックスな沖縄そばに、錦糸卵だろうか卵焼きが乗っている。大変に美味しそうである。そして大変に美味しいのであった。
私はこの沖縄そばが大好きで、沖縄を訪れた際は何回もそばを食べる。大体ベースの味は一緒の感じなのだが、各店舗ごとに出汁の違いや麺の太さなど個性があり全然飽きない。そば屋巡りは沖縄に行く目的の一つと言っても間違いではない。
この渡嘉敷島のそばも、私のまだまだ未熟な沖縄そばデータベースの一つとしてしっかりインプットされた。

さて、昼食を終え今度は集落を歩くことにした。観光客が少ないせいか、とても静かで心地がいい。機械音がせず、人の営みから出る優しい生活音に包まれている。

時間がゆっくりしている。苦痛な時間な訳ではないのに時間が進まない。生きている。当たり前のことを改めて想う。

ここは日本という現代の枠にはめられているが、私の住んでる日本とは大きく違う。

琉球

この美しい響きの音のかつて存在した国。まさにその文化の場所なのだなと、静かな集落を歩きながら思った。そしてアジアを感じた。ここは琉球、アジアだ。

時間はゆっくりでも帰りの船の時間はやってくる。今回日帰りで来たことを後悔しながらバス乗り場に向かった。バスはもうのんびりとした佇まいで待っていた。行きのバスと違い乗客でほぼ満席だ。バスはゆっくりと走り出し、山道を進み再び港に。
船に乗り込みデッキから景色を眺めていると、「さようならー」と大勢の人の声がした。たくさんの人が朝とは逆に誰かを見送りしている。ふと、デッキに上がる階段の下を見ると、1人の女性が見送りの人達に手を振っていた。

この島で働きこの島を去るところなのだろうか。ちょっと買い物に本島へ、ではこのような見送りはないだろう。彼女は島を出る。それは間違いないと思った。

出会いと別れ。この港で幾度となく繰り返されてきたのだろう。
朝は新しく島にきた人、帰りは島を去る人。みんな様々な気持ちを抱き次の場所に行くのだろう。まさに人生は旅だ。たくさんの出会いの分、たくさんの別れを経験する。それでこそ人間は面白くなっていくのだと思う。普段考えないようなことを、船の上で西に傾きかけた日を浴びながら思った。

船はゆっくりと動き出す。見送りの人達の手を振るスピードが一段と早くなる。
見送られる女性の横顔が少し見えた。泣いていた。
彼女はどんどん離れていく島をずっと見ていた。綺麗な姿だった。

そして私も島に別れを告げ、次の未知へ出会いを求めた。


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