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『持っていたビジネスバッグは脇に挟み』


胴上げの瞬間

俺はまるで選手かのように

ひれ伏して

涙を流していた


--


8歳になった息子が初めて

プロ野球を観てみたいというから

チケットを買って

意気込んだ


週末の試合は満席で

仕方がなく

平日のナイターを


それでもだいぶ

運は良かったようだ


なぜならそのゲーム

ヤ・リーグ万年最下位球団

甘枝ユトリンズの

9月の消化試合

とはならず


その日勝てば優勝が決まる

超絶強豪球団

択捉サーモンズを迎え撃つ

一戦となったわけで


--


上司には先月から

何度も打診して

ようやく”午後半休”を貰った


嫌味と冷ややかな視線を浴びながら

オフィスをあとにしたのは

試合開始18時を

20分ほど過ぎた頃


加えてこのタイミングで

中央線が停まっているらしい


だから新橋から

球場最寄の下水道橋まで

タクシーで向かうことにした


案の定渋滞で

このままではもう

試合が終わってしまう


下水道橋駅では

嫁さんが息子を連れて待っている


こんなことなら

俺のカバンの底にある

チケットを渡しておけばよかった


けっきょく新橋から

40分ほどかかって

ようやく合流


嫁さんに待たせた詫びと礼を伝え

息子を引き取る


ウキウキしている息子の笑顔を見たら

こっちまで童心に帰れた気分だ


やはり択捉の優勝決定戦だけあって

立ち見客まで出る盛況ぶり


初めての球場に目を輝かせる息子

それに呼応するように

テンションが上がる俺


時折上がる歓声に

フィールドをチラチラ見たりしつつも


まずは売店で買い出し

ビールとジュースを1本ずつ

それからカレーを2皿

トレイに載せて


通路の人混みを掻き分けて歩く

持っていたビジネスバッグは脇に挟み

チケットはトレイの端と小指で支える


券面の座席番号と

イスの表示を照らし合わせながら

指定席を探す


あった

真ん中だ


通路から5人越えて

行く必要がある

じゃあ反対側はというと

同じく5人

びっしり詰まっている


こりゃ大変だな

よっしゃ行くか

気をつけろよと

息子に一声かけて

歩みを進める


すいません

すいませんと

腰を曲げながら


ふいにスコアボードを見遣れば

試合はもはや7回表

展開も割と


あっ!!!!!


フロアに置かれた荷物に

つまづいた俺


その後の悪夢は

お察しに難くないだろう


倒れた先の若いカップル

その女性の全身に

カレーとビールとジュースを

お見舞いしてしまった


前列にいたヤ〇ザのお兄さんの頭には

俺の肘がクリーンヒットしたようで

怪我をさせてしまったかもしれない


さらには後列の

熱烈な択捉ファンのおじさん

ノーアウト満塁のチャンスに

俺がちょうどやらかしたもんだから

どうしてくれるんだと激昂する始末


--


無事に択捉サーモンズは優勝した


グラウンドの歓喜の渦とは対照的に

俺は3方向に向けて

土下座している


息子はわけもわからず

泣きじゃくっているし


俺の前歯はどこかへ飛んで行ってしまったし



(参考)
20XX.9.XX時点
プロやきう ヤ・リーグ順位
1 択捉サーモンズ 優勝
2 宮古島ミミガーズ 4
3 対馬クロシオズ 7.5
4 恐山ニューイタコズ 9  
5 北関東連合ハンシャーズ 11.5
6 大東京甘枝ユトリンズ 40.5

※チーム名の右側の数字はゲーム差と言って…わからない人は自分で調べてください






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