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ローカ、レッカ、ケーネンヘンカ


最近、指輪をするのが楽しくなった。
長年私は、指を動かしたり手を洗ったりするのに邪魔だーと思ったのか、超シンプルな結婚指輪以外はしなかった。しかし今は手間もいとまず、よく指輪をはめて出かけている。なんでだろうと思ってふと、気づいた。
それは歳をとったからかもしれない。

見て見て! 手のシワが増えているヨ。「やだ。ほら、とくに今、乾燥しがちだから」と、思わず言い訳したいところだが、いやもう、あきらかにアナタ40代の手。「お母さんのおてては、どうしてそんなにシワシワなの?」と7匹の子ヤギたちにドア越しに聞かれるぐらい、いっきに線が刻まれてきたのである。特に指のあたり。

そもそも私は昔から、背が高いからか、手が大きいからか、態度がデカイからか、指輪をはじめとするアクセサリー類は、大ぶりのものを好む傾向があった(そんなふてぶてしさは、文体からもにじみ出ているかと思う)。
目をよく凝らすとチカッときらめくピアスやネックレスだったり、「これはもう金の針金を巻いているんだよね」と確認したくなるような細い指輪など、可憐で繊細なアクセサリーたちとは無縁も無縁。
そんな私好みのゴツめの指輪は、昔の白魚のような指(うそ)には、なんだかそれほどしっくりこなかったのだが、最近の私の手にはめっきり似合うようになってきたのである。

果たして私は、指輪でもって他人の目線をシワからそらしたいのであろうか。
それもあるのかもしれない。でも、今は何かをプラスしてこの老け始めた手に「味」を効かせる楽しみができたのではと考えている。なんかそれっていいねって。もちろん、「あぁ、老けたなぁ」ってため息をつくときもないわけじゃない。けれども、歳をとるのも新たな世界が広がっていいなぁ。飽きないなぁ、このカラダ、と。
あいかわらず、ポジティブシンキングだな! おい!


そもそも物フェチでもある私。「一生モノ」「経年変化」「味が出てきた」などの決めゼリフに弱い私。
やれ柘植のクシが飴色になった。鉄のフライパンにいい油膜が育った。植木鉢がいい感じに苔むしてきた。山葡萄のかごに艶が出てきた。万年筆のイリジウムが筆圧に馴染んできた。イチョウのまな板の使い込んだ感じ。渋く変色してきた南部鉄瓶。ヌメ革のエイジング……。そんなものたちを撫でながら毎日「クククク……」と、ほくそ笑んでいるのである。
こんな「経年変化」という言葉が好きな私だから、あまり自身が老けるのも嫌いではない。大好きでもないけれど。

反対に嫌いな言葉は「劣化」。
上手に歳を取れない物は、あまり興味がそそらない。まぁみんなそうだよね。
くたびれてきたTシャツの首回りだとか、擦り切れたセーターだとか、硬くなって黄ばんできたプラスチック製品、ボロボロに割れてきたゴム製品などに「味が出てきたね」とはあまり思わないわけである。「くたびれてきたなぁ」と思うわけである。
(デニムのパンツの膝の部分がぽっこり出るとがっかりするけれど、色が落ちたり擦り切れたりすると嬉しいのはナゼ。カルチャーか)

だからネット民たちに「劣化」と言われる芸能人は大変だなぁと思う。言葉に振り回されないでと思うけれども、人前に出る商売だと、ついつい見た目や老いに敏感になってしまうのもわからないではない。
芸能人御用達の美容整形外科の院長にインタビューしたことがあるが、まぁほぼほぼみなさん、うっすらとだったり、がっつりとだったりやっている。確かに、内田有紀が「整形も芸のうち」とラジオで言い切っていた。神田うのも「ヒアルロン酸はエチケット」とツィートしていた(エチケットって言うの凄いよね。彼女の周囲ではシワがあると失礼にあたるらしい)。

かく言う私も30代のとき、美容関係の雑誌をしばらく経験したことがある。
しかし最終的にあの仕事をやっていると、お顔にお注射を打ち込まれそうになってヤバかった。世はプチ整形が当たり前の時代。雑誌としては、before・after の写真を掲載したいわけだから、いちいちモニターを募っていられないときなどは、手っ取り早くライターに頼むのだ。なんとか断ってお注射やメスからは逃げ切ったのだが、まぁ、その業界での仕事は失った。でも、いい。イヤなものはイヤだ(美容ライター全員がやっているというわけではないです、多分。たまたま私がやっていた雑誌の問題かもしれない)。

なぜ、そこまで打ち込みたくないのか。それはもちろん、整形にはキリがないから。同時にそれ以上に「いい感じに歳を重ねられなくなる」恐怖。「経年変化」ができなくなる。
顔はパンパンに張っているのに、首はシワシワ指はシワシワ、膝はシワシワとかね。じゃあそこも手を入れていかなければ、と考えるとキリがないのである。やるんだったら、よっっぽどの富豪が時間と金をかけて手に入れるものである。
他にも瞼が落ち窪んでいるのにほほ骨のあたりはパンパンだとか、眉毛や目の周りがピクリとも動かないけれども口だけ笑っているだとか、それはもうアンバランスなことが多い。局所的に対処するから、全身の調和がとれないのである。
そんなこんなで整形でガタガタしている姿こそ、それは「上手に歳を重ねられない」と言う意味で、私が言うところの「劣化」である。

そう。先ほども言ったように、私はある意味、老化が楽しみだ。
グレーヘアにして、カラフルな洋服を着こなせるようになりたい。白いシャツのシワシワの首にグレーのバロックパールだけの渋いおばあちゃんになりたい。華やかな口紅を引いてみたい。似合わないときには、いろいろ試行錯誤してみたい。新しい私を私が見てみたいのだ。
昔に戻ろうとしても面白くない。だって、もう見てきたものだし、どう科学の力で取り繕っても、あの時代の美しさを超えることはできないのだから。

整形、するもしないも、どうしたいかはまさに各自の価値観だ。いつまでも若々しくいたいという人は、やればいいと思う。ここだけはコンプレックスでどうしても!という箇所に、手を入れたい人は入れればいいと思う。心落ち着くほうを選択すればいいと思う。
神田うのなどは、富と美への飽くなき追求が、現在のところのパワフルな彼女の推進力だ。彼女が望むなら肌のハリを手を入れればいいと思う。

しかし私の場合、その価値観を追い求めていると、私の欲しい幸せにはどんどんと遠ざかるように思えるのだ。
もしこの先、神田うのと横に並んで私がシワシワでもいい。私は、全体の調和のとれた無理のないおばあちゃんになりたい。




ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️