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強さとは何か。それは氣力と氣量。そしてそれを何に使うのかということ。

私は、ずっと、強くなりたいと思っていた。
強くならなきゃと思ってきた。

強さとは何か。
強くなりたいと思う自分に問うようになった。

強さとはどういう意味なんだろう。
私はどういう意味で使いたいんだろうと。

自分が感じたことで、自分の中にあるものを思い出した。
過去の記憶も蘇る。

私は、子供の頃ある意味弱くて、ある意味強い部分もあった。
子供の頃だけでなく、大人になってからもそれは続いていた。

家庭内でのいじめ、学校でのいじめ、学校や職場でのセクハラ、パワハラ。
私は過去世から何のカルマを持ってきのだろうかと思うほど
そんな体験がずっとパターンのように続いていた。

今世でも物心ついた時から染み付いてしまった、いじめられ癖。
(いじめる方も、いじめられる方もどちらが善い悪いという話ではありません)
私は変わりたかった。
変化したいから、まずは反抗するということをしたのかもしれない。
16歳から家出をし続けて18歳には一人暮らしを始めた。
とにかく抜け出したかったのだろう。抜け出す方法は衝動的な行動だったけど。今いる私の師匠は、そのことを、良かったよね!と言ってくれる人だ。
その環境から抜け出したこと、良かったよねと。ふとそう言われて、私はその時の自分を受容できた。

大人になっても続いていたそのパターン。
なんでなのだろうと問いかけていた時に、私の大好きなYouTuber、PさんのYouTubeに質問を送ったことがある。
動画を通じて回答してくれた。その時の救われた気持ちは、今でも私の中に在る。回答内容もそうなのだけど、それ以上に私は、あたたかさのようなものを感じていた。
慈悲。思いやり。励まし。そしてその先の成長を願うような。
それは、今の私の師匠からも感じることだ。

そう、私はそれがしたいのだ。
だから強くなりたいのだ。もっと強く。
慈悲の心を持つにも、思いやりを持つにも、人を励ますにも、その人のその先のより良くを願うにも、施術を施すにも、人を許すにも、自分を許すにも
自分の中を調和させていくことにも、それを伝えていくことにも、、、
あらゆることに『力』が必要なのだ。
すべてのことに善い悪いはないとして、だから弱いことも悪いことではない。私は過去の自分の弱さから様々なことを感じて、なりたい自分を持ったのだ。だから強くなりたいのだと。

強さ、それは氣力と氣量。
氣力と氣量を大きくしていけば強さを持てる。
そしてその強さを何に使うのか。何に使いたいのか。
私は自分を観察して、現象を観察して、改めてそれを認識できた。

私は師匠のようになりたい。以前にも師匠に言ったことがある。
そして今回も、私は師匠のようになりたいと言った。
師匠のようになりたいを自分バージョンにしていくと。

そして最終的な目標は気持ちよく、◯んでいくこと^^
そこに繋がった。笑

まこは爽やかに◯にたいという、訳のわからない話をしている回はこちらから。良かったらこちらも聞いてみてください。
何か感じていただけると幸いです。
https://youtu.be/mYXDOE96d2g

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