わたしと「わたし」。

「東京」に住んで4年目になる。上京する前は「あんなに薄情な街に住めるわけがない」と思っていたし、いまでも「こんな街で一生暮らすなんて無理だ。子育てできるわけがない」とは思っている。ただ、ちゃんと「東京での生活」に慣れたし、人との距離感とか、匿名性を高く保つための気遣いとか、そういう「東京で上手く生きていくためのスキル」のようなものも身につけることができた。

だから、不備なく過ごせている。沖縄の曲を聴いて「故郷」というものを懐かしく想うことはあるけれど、家族に会いたくて心が痛むことはほとんどない。一人孫の上京に悲しそうな顔をしていたおじいちゃんのことを考えて、後ろめたさを感じないかと訊かれれば嘘になる。でも、あの時のわたしは上京する他なかった。不登校という泥まみれの過去を飲み込めるようになった後、次の問題は「社会人になるタイミング」だった。高卒の資格は取れたわけだから、そのまま働くという選択肢も無いわけではなかったが、学ぶ楽しさが忘れられなかったわたしは、親に深く頭を下げて4年生のいまの大学に行かせてもらった。父は「もともと大学までは行かせるつもりだったから」と、快く了承してくれた。たったひとりの娘を笑顔で、混沌とした街に送り出してくれた。小学生の頃から塾に通わせ、私立中学に行かせた「投資」の割にしょうもない肩書きしか得られなかった、道を踏み外した親不孝な娘を、最後まで見守っていてくれた。煩わしい助言もされたし、辛いときほど気持ちを汲み取ってもらえなかったという苦い記憶は山ほどあるけれど、自分が親の立場でもそうしたと思うから、恨みなどあるわけがない。


過去を振り返ってみると、大きな選択をした「分岐点」というものがいくつかあったことに気がつく。そのときは当然、いま立っている場所が自分の人生において重要なターニングポイントとなることなんて知るはずもなくて、自分の中で練った理屈と屁理屈を絡み合わせて「なんとなく」決めていた。そういう大小さまざまな選択の先にいまのわたしがあって、わたしを取り巻く環境や関わる人たちがいる。わたしは「いまのわたし」が好きだから、これまでの選択が間違っていたとは思えない。「最善」ではなかったかもしれないけれど、これで良かったと思っている。

最近、こういうことばかり考えてしまうのは何故だろう。4月から始まる新しい生活に不安を感じているからだろうか。「不安」の対象は、新しい生活が始まることではなくて、それを選んだ「わたし」をこの先も愛せてあげられるか、ということ。先の見えない未来よりも圧倒的に容易に変えることができる「過去」が、いまよりも悪いものになってしまわないか、という不安が、わたしの心を曇らせている。自分の人生を自分の足で歩いていると思っているからこそ、わたしが「わたし」を信じて、誰よりも深く愛していないと、生きづらくなる、生きていられなくなる。


この先どれだけ深く沈むことがあったとしても、わたしは「わたし」としてしか生きられないから、最後まで付き合おうとは思っています。


それではまた。

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