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僕の半生 Part4 僕は人とは違うのだ、という心の壁と、壁の中の弱い自分

Part3の続きです。

人間の感覚の移ろいやすさやそれ故に簡単に人を裏切ってしまうこと、
それに気がつき人間不信に陥ってしまった僕は、
自分も全く同じ人間であることに気づき、
絶望をしてしまいました。

だいたい高校2年生ごろの話です。
僕はどんどんと殻に閉じこもり、
部活動もやめてしまいます。
笑っている写真など1枚ものこってはいませんでした。

毎日毎日内省をしていた僕は、
安直で、情けない方法論にすがりついてしまいます。

自分は特別だと思い込む

人間が信用できない。
でも僕も人間である。
この苦しみは控えめに言っても壮絶なものでした。
だってどうやったって人間ではなくなれないからね。

そこで僕は、
“自分は特別なんだ。他の人とは違うんだ”
そう思い込むことで、この自己嫌悪から脱出しようとします。
つまり
『人間=信用できない』
という式は変えず、
『自分≠(まわりとおなじ)人間』
だと思うことで、
『自分=人間=信用できない』
という方程式を否定したわけです。
周囲より自分が高尚な人間だと思おうとする。
他者を下げることで自分を上げる。
自己評価が最低なのに、自分を特別だと思い込もうとする。
そりゃ歪みが生まれる筈です。

でもこれは、ある意味自分を守るための処世術でした。
人に裏切られないため、
人に傷つけられないため、
最初から「僕は違う」と思っておくことで、
なんとか自分を守っていたのです。
「僕は違う」という心の壁を高く築くことで、
その中の劣等感にまみれた自分を守ろうとしました。

この時は気づいていなかったのですが、
自分が特別であることを誰かに認めてもらわないと、
不安で仕方がない、という精神状態が出来上がっていきます。

受験勉強での成功

最初はこの方法論はうまくいきます。
なぜかと言うと目の前に“大学受験”があったからです。
幸いというか、僕がいたのは進学校ではなかったため、
受験に対して積極的な生徒は少なかったのです。
だから僕は
“こいつらとは違うんだ”
という気持ちを形にするため、
受験勉強に熱中しました。
“行きたい大学に行くため”、ではなく、
『周りの奴らが進むような進学先には行きたくない』
『偏差値の高い大学に行けば、状況は変わるかもしれない』
そんな偏った動機で、ぼくは勉強に熱を入れました。

こんな形でも、僕が小学生のころから持ち合わせた過集中は発揮されました。
僕は進学ではない理系クラスでしたが、
文系の進学クラスを含めた英語の校内模試で、
すぐに4位まで順位があがりました。
模試の結果も、関西の私大は大体A判定が出るようになりました。
「それ見たことか、やっぱり僕は他とは違うのだ」
と鼻を高くしはじめたのもこのころです。

最終的に、行きたかった同志社大学には余裕で合格。
調子に乗った僕は母親をそそのかして、行きもしない早稲田大学を受験し、こちらも合格しました。

(余談ですが、僕が同志社大学に合格をしたことを1年生の時の担任に報告しても信じてもらえませんでした。
それくらい、僕のクラスから一般入試で同志社大学に受かることは、珍しかったようです)

そうして僕は、
自分は特別な人間だと思い込もうとする歪んだ認識を持ったまま、
大学に進むことになります。

特別であろうとする=自分を認めてもらいたい。
承認欲求は肥大化していくばかり。
この歪んだ認識は、僕を今の今まで苦しませることとなります。

続きは次回。。。


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