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それ、他の人に同じこと言える?

本当はみんなおんなじなのに な話。

高校生の頃、バイト先で大学生の男性スタッフと休憩が2人きりになったとき。

「槇ちゃんさ、バージンじゃないっしょ。」
笑いながらタバコを燻らせそう話しかけてきた。

聞いてどうするのか?
なぜあなたに言う必要があるのか?
そして、誰か他に人が居たらその話はしただろうか?

バイト先の後輩だから、年下だから、女だから。
きっと彼の中で「これは言ってok」の基準を満たした上で、笑えるコミュニケーションの一環としての話題だったのだろう。


ただ私は笑えなかった。
それ、自分より年上の女性スタッフにも言えますか?
私が逆のことを聞いても楽しく応えられますか?

そんな言葉をグッと飲み込み、適当な冗談を返してそっと休憩室を離れた。

あぁ悪気なく、でも確実に見下された。
店の外にある自販機で買った飲み物を手に持ちながら、じっと時が過ぎるのを待っていたことを今尚鮮明に覚えている。

大型本屋で新作チェックをしていた時。
首元からふいに「これからどっか遊びに行こうよ。」
声と息がかかった。

ゆっくり振り返ると、父親くらいの年齢に見えるスーツを着た男性が静かに笑っていた。
気色が悪く、声が出なかった。
なんとか動かした足でその場を離れた。

就職して仕事に慣れてきた頃。
ちょっとこの後飲みに行こう と勤務あと先輩ナースに連れられた店は研修医たちが既に着席しており、話の合間に「下着何色着てんの?」と聞かれた。
先輩は、ドリンクを片手に笑っていた。

バイトでお金を稼ぎ、修学旅行費に充てたかった。
好きな著者の本をゆっくり見たかった。
仕事に慣れたかった。

ただそれだけのことをするのに、こんなに不快な出来事に遭ってしまう。

それは私が相手より弱者だと、何を言っても大丈夫だろうと勝手に値踏みされた結果だ。

私達は本当は同じなのに。

もちろん出会いの中で素晴らしい人たちにたくさん出会った。

素敵な出会いを経ても、あの時体験した不快な想いは身体に色濃く残っている。

これは私に限ったことではない。
世界中で、様々な場面で、起きている日常のひとつだ。

性別で、年齢で、人種で、国籍で。
同じ命は、なにかを背景にして推し量られてしまう。

私達は言葉を使ってコミュニケーションをはかる。
その言葉は決して相手を辱めたり、落ち込ませたりするものでは本来なかったはずだ。

あなたが好き。生まれてきてありがとう。
あなたに出会えてよかったよ。
今日も気持ちのいい天気だね。

せめて私から漏れ出る言葉くらいは、毎日じゃなくてもいいから、柔らかい日差しのように届いて欲しい。


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#差別 #コミュニケーション #生きること #気づき






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