何者

わたしとは何者なのだろうか、というこれは恐らく愚問だ。わたしはわたしとしてもう十数年を生きているし、最近ではあるがわたしはわたしのアイデンティティを認められるようになった。だからわたしはここに存在する。しかし、この先はどうだろう。今は「学生」という身分に甘えているが、就職し、社会に出たわたしは、その社会で何者になるのだろうか。

最近、わたしは非常に焦りを感じている。わたしが知る、大成する人物というのはもうわたし位の年齢、またはもっと前から目標を定め、その目標に向かって努力を始めている。しかし、わたしには明確な目標がない。もちろん社会的に成功して、大成することだけが幸せではないし、40代で始めたことが成就する人がいることも知っている。でもせっかくの人生で、大きな目標を掲げて、成功させたいではないか。ならば早いに越したことはない。これがわたしの考えだ。

小さなころから同じ夢を持ち、成功するか否かは置いておいて努力を続けられる人が羨ましい。わたしもこれだと決めたものに一途に向き合いたい。恐らくわたしは今、幾つもの道が分かれていく分岐点にいる。そのどれもに関心はあるが、いまいち「これだ!」と思えるものがない。趣味を仕事に、と思ったことがある。しかし、趣味は趣味であるから楽しいと思えるものもある。焦燥感。まるでわたしだけが取り残されているような感覚に苛まれ、どうにも苦しい。やりたいことが見つかっても、もう遅かったらどうしよう。わたしは超がつく心配性だ。友人に一度言われたことがある「あなたは焦ってもしょうがないことで焦っている。」と。ハッとした。その通りだと思った。今回も恐らくそういうことだ。若輩者のわたしが人生観を語るのは烏滸がましいが、人生なるようになるし、巡りあわせというものは確かに存在していると思う。あと予想できることは起こらない。思わぬ人との出会いがあったり、思わぬ機会に恵まれたりする。だから焦っても仕方ない。

と、客観視するわたしは囁くが、主観的なわたしはまだ不安がっている。今のわたしは一日一日を丁寧に生きていくことしかできないと思う。不安がるわたしはいなくならないが、そんなわたしもわたしであるのでなんとか宥めながらこれからの日々を過ごしていこうと思う。

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