じゅんすいたるあく。
純粋悪。
それは『善』のない、完全な『悪』のこと。
これを読んでいるあなたは、自分は悪ではなく善だと思っているでしょう。
自分はつねに正しい道をあるいていると思っているでしょう。
ではなぜ、この世には殺人やいじめがあるのでしょうか。
今もどこかで誰かがきずついている。
どうしてなのでしょうか。
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感想ありがとうございます!
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学生のあいだで、こんないじめ方が流行っているらしい。SNSなどでいじめたい人になりすまして悪いことをするみたい。
わたしが学生の頃にはなかったいじめ方。それだけネットがあたりまえに使われる時代になったのでしょう。
わたしの働いている会社にはいじめがあります。
『女性の中で、だれかの悪いウワサをながす』ことがメインのいじめ方です。
わたしが入社するずっと前からこのいじめ方はされていて、残念なことに、今では新しい世代に引きつがれています。入社3年目の23才くらいの子たちです。
お局様だけが嫌なことをするのではありません。年齢や性別が原因ではありません。個人の問題なのです。
実際にわたしの会社では、このいじめ方をよく思っていない人が何人もいて、その人たちはいじめに同調したりしません。40代も、30代も、20代の人もいます。深く関わらないようにして、仕事上だけ、きちんとつきあうのです。いじめをやめさせようと努力しても、いじめがなくならないので、関わらないという道を選んだのです。
では、どうしていじめはなくならないのでしょう。
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なぜなら、いじめる人は自分の正義をつらぬいているのです。いじめられる人にはいじめられて当然の理由があるのだと。そしてそのおこないをいじめだとは、ちっとも思っていないのです。
仕事でミスをするあの子は悪だ。
気づかいのできないあの子は悪だ。
だからわたしがみんなに広めなくては!
わたしがみんなを守らなくては!
正義のおこないだと思っているのです。
もしくは、いじめが悪いと思っていないのかもしれません。
いじめているのではなく、いじっている。そうして仲間に面白いと思ってもらえる。だから仲間にとって善いおこないをしていると、意識せずに思っているのかもしれません。
いじめをした人は、いじめをしたことで仲間に受け入れられ、自分の居場所をまもることができる。無意識に自分を守るためにいじめをするのです。
『悪』という意識のない『悪』。
まったく『善』たるおこないではないのに、『善』だと思いこんでいる。
わたしは、これこそが『純粋たる悪』だと思います。
世の中は『純粋たる悪』で満ちている。
けれどみんな『悪』だと思っていないのです。
だからこの世から殺人もいじめもなくならない。
みんな正しいと。善いおこないだと思っているのだから。
善いとは思っていなくても、悪いことだと思っていないから。
わたしだってきっとそう。
「いじめられているから、いじめている人がどんな目にあってもかまわない」
無意識にそう思ってしまっている。
ときには「不幸になってしまえ」と思うこともある。
これは、もうしかたがないのです。
悪が一度おきてしまったら、負の感情はおこってしまうものなのです。
ただ、その感情を行動にうつしてしまってはいけません。
それは悪いことです。悲しみが、憎しみが、繰り返されるだけです。
ゴミのポイ捨てと同じ。
「みんなしてるから、わたしもしよう」じゃなくて、「せめてわたしだけはちゃんとゴミを捨てよう」と、ひとりひとりが気をつければポイ捨ては減っていくのです。でも、人間が生きていくかぎり、ゴミ自体はなくならないのです。
スナフキンのセリフでこんな言葉があります。
「僕は自分の目で見たものしか信じない。けど、この目で見たものはどんなに馬鹿げたものでも信じるよ」
わたしはこの言葉がだいすきです。
だからわたしは直面したできごとしか信じない。うわさ話なんて信じない。
いじめっ子とおなじことは、けっしてしない。
そうこころに決めています。
世界中から悪をなくそうなんて思っていません。
自分の目のとどく範囲だけでもやさしい世界になってほしい。
どうかこれを読んで下さったあなただけでも、
「頭の中でとどめておくこと」
「よく考えて行動すること」
をこころがけていただけないでしょうか。
そして悪いウワサをながすぐらいなら、いいウワサをながしましょう。きっとその方が、みんな気持ちいい。
どうか、あなたのまわりがやさしい世界になりますように。
牧 真姫子🍙エッセイスト(@makicome1986)
数多ある文章の海から、 みつけてくれて、ありがとうございます。 現在、不定期更新・お休み中です。 鹿児島から愛を届けています。