見出し画像

明日の月

 ねえ、今でも目を閉じれば思い出せるよ。

 当時は長く感じていた時間も、こうして振り返ると、あっと言う間の様に思える。将来の事で色々悩んでいたし、お金もそんなにある訳でもなかったけど、心はすごく満たされていたよ。私はあの日みんなで一緒に見た月を忘れない。みんな、きっとそうだよね。

 ある大阪の私立大学。いつものこの時間であったらとっくに学生の姿は消え、ひっそりとしているはずの構内も、今日ばかりは違っていた。
 クラブ館の中の廊下には、まだ多数の学生が残って作業をしていた。
 無理もない、明日は、文化系のクラブに所属している者が待ちに待った年に一度の文化祭なのだ。最終確認をする為に残っている人もいれば、準備不足で最後の悪あがきをしている人もいる。
 それは、映画研究部とて同じ事だった。
 いつもこの時間になると落とされている照明も、煌々と照らされている。
 しかし、他のクラブと異なる点は、ドアの前に陣取っている学生の姿がなく、加えて内部から音漏れがないところだろうか。隣の軽音楽部とは対照的な入口。
 「啓太、ホンマに出来るん?絶対無理やと思うねんけど。あーお腹空いた。やばい・・。って・・ちゃんと聞いてんの?」
 良子は先ほどから、啓太に背後から話しかけていた。一方、啓太は啓太で作業に夢中になり、返事を忘れていた。
「もーコラ。おい、啓太。ボケ」
 たまらず良子が、啓太の頭を軽く叩く。
「イッター。何すんねん。痛いやん」
 振り返ると、良子が思いのほか怒っているのに気づいて、啓太は焦った。
「あれ、怒ってる?」
「怒ってる。怒ってるわ。何で今ごろやるねん。もう明日やで。無理やん。何で今日まで準備してなかったんや。準備する時間はあったやろ。いっつも啓太はそうや。この前も時間ぎりぎりやったやん。その時、もう早くに完成させとくって約束したやん。なんで今してるの」
「む、無理じゃないわ。なぁ、章一?」と啓太は章一に同意を求めた。
 章一は、どうして自分に回すんだ、という顔をした。
「どうかな。今からやっても間に合うのかな」と正直に章一が言う。
「だ、大丈夫やと思うけど。ほら、まだ時間あるしな。徹夜すれば何とかなるやろ。ホラ、章一も言ってるやん」
 啓太は笑顔を作ってそう良子に主張した。
「無理やりやろう」章一と一緒に、プレステのサッカーゲームをしていた充が突っ込みをいれた。 
「余所見すんなよ。点入れるぞ」
 章一の操作するゲームのキャラクターが充のゴールエリアの近くまで迫っていた。
「無理やって。もうせえへんから。俺が勝つし」
 章一と充は再びテレビ画面に見入った。映画研究部のいつもの風景。入部当初からこの二人は、部室でこうやってゲームをするのが習慣になっていた。サッカーゲームの対戦成績はほぼ互角。だからこそ、楽しく出来るらしい。部室には、ゲーム機の他に、大きなテレビ、ソファ、机、五人は腰かけられる長い椅子と、一人用の椅子がある。加えて、映像編集用のビデオデッキとパソコンが三台置いてある。壁には古いアメリカ映画のポスターが無数に貼ってあるが、これは映画マニアの充の趣味だ。同じ映画研究部に所属しながらも、それぞれの風貌は少しも似ていなかった。
 啓太は、カジュアル系の服を愛し、社交的に見える。
 良子は古着と民族衣装を好み、音楽系のクラブに出入りしていそうだ。
 章一は、黒縁メガネで、短髪で色白。神経質そうに見える。服にはいつも気にかけ、綺麗に着こなしている。
 充は、黒髪と銀縁メガネ。服装はお世辞にでもおしゃれとは言えないが、本人は全く気にしていなかった。
 外見は全員別の世界で生きている様に見えるが、心と心で繋がっている。
 良子を除いて三人は大学四年生。良子は三年生だけど、入学直後に入部した事もあり、すっかり打ち解けている。そして良子はこの三人が卒業して部を去ると考えただけで憂鬱になってしまう。それだけ三人が好きなのだ。
 二人は、もう明日の作品は完成しているので先ほどからこうしてゲームをしている。勿論手伝う気は毛頭ない。啓太も二人の性格は熟知しているからお願いなどせず、良子に助けを求めたという訳。
 二時間前から作業をしているが、一向に完成のメドは立たなかった。
 啓太は内心焦っていた。
 パソコンで映像を編集するが、頭の中で描いていた絵に近づく気配すらない。もう映像は撮り終わっているから、後は編集だけだが、悩み過ぎて、果たして自分はこんな映画を撮りたかったのか・・という疑問すらわいてきた。やばい。 
「もー二人も手伝って下さいよ。このままやと絶対明日に間に合わないやん・・。それか、もう諦めたら?もうええやろ」
「な、何言うとんねん。絶対作る。それに二人の手は借りん。やり遂げるねん」  
「あーそうですか。言うだけやったら誰でも言えるもんな」
良子は呆れて、携帯電話を鞄から取り出していじり始めた。
「言ったなー。今に見てろよ。傑作を完成させてやる。驚くなよ」
「はいはい。で、この前の作品は何だった?」
「コント、だよな?」
ゲームをしながら充が横から口出しをした。
「コントじゃないって。立派な短編映画。素晴らしい芸術作品やし。どこ見て言うてんねん。あれを芸術と言わんで何を芸術と言うねん」
「あれが芸術作品?ほとんど、見た人誰も、笑わんかったやん。それ観て俺と章一は控え室で笑ってたやん。アホや、すべりよったって」
啓太たちのクラブは、近くの大学と集まって定期的に上映会を開いている。市民会館などを活用して大々的に宣伝をし、それは、今ではちょっとした有名なイベントになりつつあった。
 定期的に行われているこの前の上映会で、啓太は七分間のコメディーを発表した。
内容は、八十年代に流行ったイギリスのロックを流しながら、一人の男が学校内を走り回るといったものだが、シュール過ぎて万人うけはしなかった。
観客の反応に落ちこんだが、後で回収したアンケートが思いのほか好感触で一気に立ち直った記憶が啓太にあった。
 そして、啓太は懲りずに今回もコメディーに挑戦している。
「けど、また啓太はコントを作るんでしょ?」
「コントじゃない、コメディー」
「はいはい・・・。もう良い。さっきから、手、あまり動いてないんじゃない?」
「か、考えているんや。イマジネーションが降りてくるのを待ってんねん」
「もう待ってたらあかんやん。待つ時間なんてないって。明日やで。わかってんの?もうさーはようしーや」
「はは、この夫婦漫才も、おもろいな。これがもうすぐ見れんって思ったら寂しいな」
 二人とは、啓太と良子の事。
 実際、二人は付き合っていた。交際期間二年。二人の喧嘩とも取れる会話のやりとりは、映画研究部の名物となっていた。
「充さん、そんな悲しい事言わないで下さいよ。寂しくなっちゃうじゃないですか」
良子は出来る限り数ヶ月後を考えない様に努めていた。そう、考えたくもなかった。この何年も続いてきていた当たり前が、もうすぐ当たり前ではなくなってしまう。
「そ、そうやな。この話題はやめておこう。ホラ、啓太、早く完成させろよ。手、いっぱい動かせって」
「動かしたいねんけどな・・編集していくうちに、なんか、俺はそもそも、この作品を作りたかったんかなって思えてきてん・・。実はもっと、こう違うのを撮りたかったんじゃないのかとか、俺がみんなに伝えたいメッセージがこれで果たして伝わりきれるのだろうかとか、これが最後なんやし、後悔したくないな、とか」
「アホか。今さら新しく撮影する時間なんてないやろ。もう適当にやれよ」
章一も呆れて突き放した。
「そうやけどさ・・。俺は妥協したくないねん。わかるやろ?なぁ、充ならわかってくれるよな?」
「はい、はい・・」
充は啓太の言葉を軽く受け流したと同時に、操作していたゲームのキャラがゴールを決めた。
「ゴール!」
「うわ、最悪・・」と、もう意識はゲームに戻っている。
文化祭まであと数時間、相当やばい、どうするんだろうと悩んでいるのは、この場で良子だけだった。
当本人は楽観視して、テレビ画面を見て「あ、次やりたい」と立ちあがる始末。勿論良子が鉄拳で止めたのは言うまでもない。
啓太は叩かれた頭をさすりながら椅子に座り直し、深いため息をついた。そしてぼんやりと天井を見上げる。じっと一点を見た。ぼんやり眺めれば眺める程、やはり答えは一つしか出てこなかった。頭の中でその意見に反対するが、ついに覆る事はなかった・ 
「あかん。映像を加えたい」ぼそっとつぶやいた。
 啓太は頭を掻き毟った。
「ほ、本気か??」と全員驚いた。
「本気や。幸い、ここにはカメラもあるし、テープもある。それに出演者もおるしな」
 そう言い、充と章一を見た。
「またアホな事せんとあかんの?」
「ええやん。おもろいやろ?」
「まぁ、おもろいけど・・」
 全員、啓太の性格を熟知していて、一度決めると頑なに人の意見を聞き入れない事くらいわかっていた。だからこそ、誰も、もうそれ以上は止めなかった。 
「ストーリーは練ってんのか?今から考えるってんなったら時間かかるで。もうすでに撮っているよな。本来はそれで完成のはずなのに、新しい場面を入れても大丈夫なのか?」
「大丈夫。それはここ、俺の頭の中に入ってるから。もう出来ている。よし、ちょっと待ってな」
 啓太はボールペンを筆箱から出し、白紙のコピー用紙に何かを書き込んでいった。
啓太は一気に紙を文章で埋めると、章一にそれを披露した。それが映画の脚本になっており、いつも啓太は、撮影前に仲間に見せている、この瞬間が特に緊張する。
 読み終わってから、章一が声を上げて笑った。
「アホやろ、お前って」
啓太は内心ほっとした。
「ホンマにこれ、撮るん?」
「ホンマや。やるで。今日は文化祭前で学校がずっと開いてるからな。丁度都合がええねん。二人共、頼むで。今もう撮ってあるのに加えるから、そんなに時間かからんはずやし」
 充もその脚本を確認したが、やはり笑ってしまった。
そして「やろうか。暇やしな」といつの間にかやる気にまでなっている。
「やろうか。最後やしな。時間、間に合うかな?俺達だけで良いのか。どっちにしろ徹夜になりそうだな。けど最後だしそれも良いか。やろう」
「よし、ありがとう。最高の作品にするから。それは約束する。見た人をめっちゃ笑わすで。俺らが卒業した後も、後輩から伝説的な作品と言われる様な映画にするからまかせてくれ」
 啓太は椅子の上に立ち上がってそう宣言した。
「アホやん・・」
「アホで結構。アホが最強やねんで」
「知ってるわ」
「そうか、そうか。良子は俺の彼女やもんな。俺ってアホやと思う?」
「かなりのアホやと思うで」
「ありがとう。褒め言葉にとるわ。よし、撮影しよう。あと一人、男の出演者が必要なんやけど、あいつに電話してみようかな」
「この時間からか?」
 充が部室にかけられている時計を見た。
「ええねん。あいつもこういうの好きやし。大丈夫。多分」
「それもそうやなー。巻き込んでやろうぜ」
 夜遅くに電話をして、あいつを呼び出すのなんてかわいそうだからやめた方が良いと言う人は誰もいなかった。良子も、あいつ以外だったら止めていただろうが、あいつに関しては止める気なんてない。
「寝てるかな。寝てたら寝てたで起こしたら良いか。最後だしな。おもしろそうってすぐ来るさ」
 いつの間にか充も乗り気になっている。
良子は愛おしい目でそんな光景を見守っていた。
いつもこうだった。啓太の先輩たちが卒業をし、良子の一つ下の学年が入学してくるまでこのメンバーで、映画を作ってきた。啓太の急な提案に、笑顔で参加する二人が大好きだった。結局は、二人は最大の味方なのだ。良子は、このクラブに入って良かったと心の底から思う。シュールな作品を撮る充に、昔の白黒映画が好きで、必ず白黒映画しか作らない章一。それに、コメディーしか撮らない啓太と、まだ一度も自身では作品を監督せず、出演のみの良子。少数精鋭で、団結力と仲の良さはどこのクラブにも負けない自信が全員にあった。

 山田ひさしは、がちがちに緊張していた。
 無理もない。
 今日という日を一体どれだけ待っただろう。
 山田は、初めて彼女を家に連れ込む事に成功し、気分は最高潮に達しようとしていた。
「ま、狭いけどゆっくりしていって。さぁさぁ。そこに座ってよ」
 高村愛は、指定された座椅子に腰を落とした。
 付き合って二ヶ月。
 山田から告白したが、愛も好きな気持ちは負けていなかった。
 だから自然と笑顔になる。
「音楽でも流そうか」
コンポの電源を入れ、音楽を流した。
 曲は愛が好きなアーティストの代表曲。
 準備に抜かりはない、それが男山田だ、と心の中で山田がつぶやいた。
 この歌で良い雰囲気になって、あとは巧みな話術を駆使し、最後の壁までも越えたいと妄想は膨らむばかりだ。大丈夫、俺なら出来ると、心の中ではやる自分の気持ちを抑えた。何もかも上手くいくはずだ、すでに妄想の中で何度も本番に挑んでいるのだ、問題ない。正真正銘童貞で、まだキスすらこれまでの人生であまりしてきていないが、大丈夫だ。
どれだけ想像しただろう。予行演習はもう十分やってきている。
 ベッドに敷いてある布団は綺麗にしている。枕の下にコンドームもすでに準備させている。使い方も予習済みだ。
この日を迎える為に、俺は今日まで生きてきたんだとさえ思えた。
「これ私の好きな歌やん。知ってたん?」
 愛はコンポのそばに置いてあったアルバムを手に取った。
「勿論。何でも知ってるで。当然やん。あー今日は疲れたな。お疲れさん」
 冷蔵庫から冷えた缶ビールを二本出し、テーブルに置いた。山田は缶を愛の分まで開けてから渡した。
「おー気が利くやん。乾杯しよ。お疲れさん」
 二人は乾杯をし、酒を乾いた喉に流し込んだ。
「ホンマお疲れやな。毎年やってるけど、準備は大変やんな」
 準備とは、文化祭の事だった。
 二人は映画研究部の部員として、明日の準備に先ほどまで追われていた。
 最終学年の四年生と違い、三年生の二人はまだ上映会場の準備をする義務があり、部長である山田は朝から晩まで動いていた。
 しかし、もう学校でやる事はない。
 後はもうゆっくり明日を迎えるだけで良い。準備を完璧にしたので、まだ文化祭は終わっていないがある種の達成感もある。
 そして、彼女と二人きり。
 これは萌えない、いや、燃えない訳ないでしょう。
 ふいに山田の携帯が鳴る。懐かしい九十年代に流行ったアニメの主題歌。その着信メロディは、部活の先輩から専用だ。しかし、嫌な予感がして一気に山田のテンションが下がる。
「どうしたん?出なよ」
 勿論、愛も先輩の誰かからの電話だとわかっている。
「あ、あぁ。そうだな」
 電話を手に取り、耳に当てる。
「もしもし」
「おー山田。今ちょっと良い?」聞きなれた声。
「はい。お疲れ様です。大丈夫ですよ」
 相手は先輩である啓太からだった。
 山田は窓の方まで移動した。
 この部屋は時々電波が入りにくくなるので、いつも電話の時はそこで喋っている。
「そうか?じゃあさ、今からちょっと学校に来てくれないかな?」
「え?今からですか?」
 山田は当然驚く。
 嫌な予感が当たってしまった。
 そのリアクションを見て愛も驚いた。
「そう、今から。大丈夫なんやろ?」
「え、マジですか?もう夜ですよ」
「そう、マジ」
 思わず天を仰いだ。
 どうして今からなんだよ、と山田は叫びたかった。
「どうしたの?」
 愛が山田に聞く。
「今から学校に来いとよ・・」
 携帯の話す所を指で隠し、小声で伝えた。
「本当?」
「な、何かするんですか?」
 とりあえず理由を尋ねてみる。
「うん。今から映画を撮り直そうって思っていてな。さっきまで編集してたけど、どーもしっくりこうへんねん。ホンマごめんな。頼むわ。手伝って欲しいねん。俺の最後の文化祭やし、悔いは残したくないし」
 山田は絶望した。
 まさか、今から再び学校に行かなければならないのか、今日じゃなければならないのかと思うが、本番は明日に迫っている。
 もう断れない。
「わかりました。出る準備もするので、三十分後でも構いませんか?」
「オーケー、オーケー。それで。あと、お前は部長やし明日も早いから、そんな時間はかからへん様にするから。サンキュー」
 会話を切ると、山田はその場に今すぐ倒れたくなった。
「どうしたん?」
 山田は残念そうに会話内容を説明した。 
「そっか。しゃーないな。じゃあ行こっか。私も行くわ。その方が早く終わるやろ?」
 愛はあっさりと言ってのけた。
 そればかりか、立ってもう外に出ようとさえしている。
 予想外の提案。
 しかしそれは、山田にとって大歓迎な案だった。  
「マジで?一緒に行ってくれるん?いいのかな、先輩は俺だけ呼んでると思うねんけど」
「一応私も部員なんやから、何か手伝えるやろ。行くよ。それに、先輩にはお世話になってきたしね」
「そうやな。ありがとう。一緒に行こうか」
 そう、山田も愛も、啓太をはじめ先輩たちにずっとお世話になってきたという気持ちがあった。
 嫌な先輩は一人もいない。
 みんな後輩にやさしく、みんな良い人。
 映画に対する姿勢も、考え方も尊敬できる人ばかり、だからこの位喜んで駆けつける。山田も、これが決意の夜じゃなかったら二つ返事で現場に向かっていただろう。
 山田はシャツにジーンズといった軽い服装で外に出た。十月に入ったが、まだ寒さは感じない。空を眺めると、大きな満月を見つけた。大学までは家から徒歩十分もかからない距離にある。いつもは自転車を使うが、愛も一緒なので今回は歩く事にした。 
 どちらともなく、二人は手を繋いだ。 
 しょうもない話を山田がする。
 笑顔でうなずく愛。
 二人の気持ちは同じだった。
こういう日がずっと続けばいいと思った。
小さな幸せだと他人は言うのだろうが、二人にとってはこれ以上の幸せはなかった。空気、水、ちょっとの食糧、それに好きな人と、こうして二人でいられる時間、それだけで幸せだった。
 二人はそれ以上の幸せを求めなかった。
 ゆっくりと同じ方向を向いて歩く。
 それが大事だった。

 山田と愛がクラブ館に着いた頃には、もうすでに撮影は始まっていた。
 クラブ館の中にはまだ生徒が多く残って作業に没頭している。撮影現場は、クラブ館の正面玄関を入ってすぐ右の廊下だ。その廊下に面している教室に入っているクラブの部員はもうすでに帰っているので静かだった。
 啓太が真剣にカメラを回している。その先では、章一が奇妙な舞を踊っていた。いつもの事なので特に驚きはしない。啓太はとにかくおかしな映像を撮りたがる。
 山田たちは四人と合流すると、山田だけ啓太に呼ばれてカメラの方まで行った。愛は良子と一緒に少し離れた邪魔にならない所で待機した。
「これ、またコメディーですか?先輩」
 愛は答えがわかりきっている質問を一応した。
「そうよ。啓太はコメディーしか撮らないしね」
「前々から気になっていたんですけど、どうして啓太先輩はコメディーしか作らないんですか?」
「それが彼の哲学やねんて。笑いは世界を救う、だから俺は笑いで世界を平和にしたいんやって。アホやろ」
「はい。アホですね」
アホな男と違って女は怖い。
 しかし、そんなアホな男に良子は惚れていた。 
「良子さん、なんで私ってあんなアホに惚れたんですかね?」
 そのアホとは、山田のこと。愛も、良子同様にアホな男に惚れていた。
 愛は良子に聞いた。
 今、山田はカメラの前で章一と一緒になって変な動きをしている。
 一見しても、よく見ても、どこからどう見てもアホにしか見えない。しかし、全員すごく楽しそうで、活き活きしているのがわかる。真剣にアホな事をして楽しんでいる。それがかっこ良い。部員の数は少なくてマニアックだが、いつもみんなこそこそなんかしていない。堂々とアホな事をしている。
「さーね。私もアホな啓太に惚れてる訳やし。外見では選んでへんな。正直、あいつらよりイケメンなのはようさんおるし」
「そうですよね。あーなんでやろ。大して勉強もできへんし、時々やさしいだけやし。不思議です」
「不思議やな。私は、啓太の前向きな所が好きなんかな。多分、世界で一番あいつは前向きやと思うねん」
「あ、それわかります。ビックリする位前向きですよね。山田とよく入部直後は話していました。何があっても全然落ち込まないですよね。常にニコニコしていて、どれだけ私たちが救われたか。初めて私が作品を上映して、あまり評判がよくなくて沈んでいる時も、とびっきりの笑顔で励まされました。私も大好きです。あ、よき先輩としてですけどね。啓太先輩って悩んだりするんですか?」
「あいつも人間だからね。ロボットじゃないから、そりゃあたまに落ち込む事もあるけど、すぐにケロッとしてるかも。あいつの頭の中ってどうなっているんだろうってたまに思うよ。ぶっ飛んだ作品を作るしね。絶対私じゃあ作れない。いつも私の予想を上回るしね。しかもこれがおもしろいから、むかつく」
 何だかんだ言って、良子が啓太の一番のファンだった。彼氏だとどうしてもひいきしてしまうが、それを抜きにしても、啓太の才能に惚れている。
 啓太は部員も驚く程前向きだった。
 前向き過ぎる位前向き。
 そして、コメディーじゃなく、他ジャンルにも挑戦すれば良いという助言に一切耳を貸さない頑固さも持ち合わせていた。そこが又良子は好きだった。寝ても覚めてもおもしろい事を常に探して、良子を笑わせてくれる。一緒にてこれ程楽しい人なんて他にいなかった。どんなお笑い芸人よりもおもしろいし、どんな紳士よりもやさしかった。
「どうしてあんなに前向きなんですか?影響されて山田もかなり前向きになりましたけど。ほら、最初の頃なんて、あんな動きを人前でするなんて有り得へんかったし」
「なんでやろな。まー色々あいつもヘビーな過去を持ってんねん。だからこそアホが出来るんかな」
「ヘビーな過去・・か」それは愛は全く知らないが、今の啓太からはヘビーなか過去があったなんて想像も出来ない。愛にとって啓太は、いつも陽気でおもしろい映画を撮る尊敬出来る先輩である。
 そう言われている啓太は、カメラを止めて山田に演技指導をしている。アホな動きを身振り手振りを交えて熱く教える姿は、それが恋人でもアホだと思う。
「あいつと一緒におったら、おもろいねん。別に何をせんでも良いねん。ただ一緒にいるだけでええねん。それが好きって事なんやろうな。今まで、こんなに好きになった事ないわ。むかつくけど、好きやわ。好きな事して楽しんでいるやん。出会ってから、自分もそういう生き方をしたいなってめっちゃ思う様になったわ。」
「素敵です、先輩」
 生き方。
 良子は、啓太に出会うまで、ただ何となく生きてきた。
 けど、今は違う。
 今は、ただ何となく過ごす日は一日もなかった。
 出会ってから、一日を大切にする様になった。

「あれ、何してるん?」
 良子の横から知らない顔が現われた。
 他クラブの生徒らしき女二人組。派手な髪の色に、似た様な服を着ている。いわゆる、今風の人間。
「うわー変な動き」
「きもいね」 
「きもいって。あれどこのクラブ?」
「カメラ置いてるから、映画研究部じゃないの?」
「何それ?そんなクラブあったっけ?とりあえずきもい。ださいし」
「あ、こんな所でさぼってたら部長に怒られる。早く上行こう」
「そうね。行こう。それにしても、うちの部長めっちゃかっこいいやんなー。あれはやばい。ほんまあれこそロックやんな」
「サチはああいうのが好きやもんな。私もかっこいいとはおもうけど」
 その二人があと数秒その場を離れるのが遅かったら、愛が確実に殴っていただろう。
「な、なんですかあの二人。めっちゃむかつきました。追いかけてぶん殴ってきてもいいですか」
「やめとき、愛ちゃん。しょうもないだけや。バカはほっとくもんや。あいつら一年やろ?あの顏見覚えあるわ。多分軽音楽部やろな。部長と知り合いやから、あとできつく部長に言うとくわ」
 愛は、良子にそう説得されたがどうしてもすぐに納得出来なかった。
 むかつく。
 悲しいけど世間一般のほとんどの人は、映画研究部に対してその二人の様にそういうイメージがある。
 愛は入部してから、幾度もそういう場面に遭遇してきた。しかし先輩達はいつもその度に、そんな事どうでも良いとばかりに一切気にしなかった。そんな背中を見て、愛もいつしか映画研究部に誇りを持つ様になった。
 言いたければ言えばいい。
 こんな素敵で最高なクラブは他にないぞと堂々とした。
「けど、むかつきます。作品見たのかって言いたいし、何様やねんってかんじです。啓太さんの映画を、お前も作れるのかって」怒りが収まらない。
「あー怒ってるねー」
「怒りますよ。私はああいう人が一番むかつくんです。そう思いませんか?」
「そうやなー。私も同じや。自分は大して頑張ってへんのに、上からそれを批判する奴は大っ嫌いや。だから私は評論家を認めてへんねん。あの女たちも、どーせしょうもない演奏しかできへんやろ。頑張ってないお前らは、なんで頑張ってる人を否定するねんってな。死ぬ程頑張ってから言いなさいって」
 はい、毒舌の嵐。なだめていた良子の方が実は怒っている。
「良子さん・・かっこいいです。一生ついていきます先輩」
「そう?ついてきなさい」
 愛は毒舌で、部員おもいなそんな良子をずっと尊敬していた。大学は普通の文系の大学で、クラブは大きなものから小さなものまで無数にある。サークルも合わせると、その数は百を余裕で超えるだろう。その中にあって、映画研究部は特殊な立場にあった。部員は全員で十五名。一般生徒からの印象は、先ほどの二人が述べた通り。それでも愛はこのクラブが好きだった。他の部員も同じだろう。

 どう思われているかなんて百も承知。けど、そんな事関係なかった。部員はみんな変わり者で、はみだし者ばかりには違いない。それでも、映画が好きだから、部員のみんなが好きだからそんなの気にしなかった。
「あ、もうすぐここのシーン終わるみたい」
「そうなんですか?早く脚本読んでみたいな」
「後で読ませてあげる。絶対笑うよ」
「ですよねー。ほんと啓太先輩の映画ってバカバカしいし・・。あ、恋人の前ですみません・・」
「ははは、いいって。あいつアホやねんから。でも、最高でしょ?」
「はい、最高です。私も大好きです。ガンガン山田を使ってください」 
 出演者は部員のみとは決まっていないが、啓太の映画には部員しか出演しなかった。その理由を良子は聞いた事があるが、部員以外では俺が求める動きをしてくれないという事だった。良子はそれもそうだとあっさり納得した。他の誰がああいったアホな事を人前で楽しそうに出来るだろうか。よっぽどのアホか、芸人志望しか無理だろう。この大学にはそいうクラブはない。必然的にアホな部員に限定されるという訳である。そして、啓太はそんなアホな部員の中でも山田をいたく気に入り、入部してからというもの必ず啓太の映画に出演させていた。

 啓太は撮影を終え、部室で映画の編集作業に入っていた。そして、幾度か見た光景に。啓太が一人でパソコンに向かい、その他が遊ぶ。
 しかし、今回はパソコンの編集ソフトに詳しい山田が横に座ってサポートをしていた。充と章一がアクションゲームをし、愛と良子はテレビ画面を眺めながらくだらない話をしている。
「そのゲームっておもしろいんですか?」
 愛が疑問を口にする。愛が入部してからこれまで、部室に来ると、充達がいつもゲームをしていて、どうして飽きないか気になっていた。愛はあまりゲームをしてのめり込んだ経験がないので、いつも長時間ゲームをしている二人が不思議でならなかった。
「めちゃくちゃおもろいで、なぁ章一?」
「そうそう、めっちゃおもろい。やばいで。じゃー次やるか?」   
「え?いいんですか?」
 実は、愛は随分前からそのゲームに興味を持っていた。
「ええよ、ええよ。おもろいし。良子もやらん?」
「私は遠慮しときます。すぐ死ぬと思うし」
「大丈夫やってー。おもろいで。絶対はまる」
「そうかな?」
 実際にやるまで、愛は半信半疑だった。
 しかし、直ぐに愛はゲームに熱中した。
 声を出しながら敵をバッサバッサとなぎ倒していく。
 これって意外とおもしろいかも、と思ってくる。
「あ、やばい、体力がなくなってきました。やばいです。どうしよう」
「大丈夫、俺がすぐに助けたる。そこで待っとけよ。俺は強いから安心しろ」
「なーんか、その会話、きもい」
 良子はすっかりはまってしまった愛にさえ呆れていた。そして自分は何があろうとやらないと心に一人決めた。
「先輩、これって結構おもしろいですよ」
「はいはい。私は遠慮しとくわ」
 アホやな、と良子は毒を吐く。
「かなりセンスあるで。初めてとはおもえへんわ」
「本当ですか?充先輩にそう言っていただけると嬉しいなー。よし、もうすぐボスですよね?」
「もうすぐボスやで。慎重に行こうな。いいか、油断したらあかんで」
「はい、ついていきます」
「まかしとけ」
「俺もやりたいな」 
 作業をしていた山田も話に加わってきた。
「ちょっと、あんたは啓太先輩の編集を手伝うんやろ。余所見してんとはよやりーや。あんたが一番そのパソコンの編集ソフト詳しいんやろ」
 愛がすかさず注意をする。
 これぞ映画研究部伝統、男は尻に敷かれるの図。
「だってー啓太さんもこのソフトの使い方一応知っているから、今の所、何もする事ないもん・・。あーお腹すいた。そういえば晩飯あんま食べてへんかったしな」
山田は自分の腹をさすった。
 突然、啓太が五千円札を手に持って皆に見せた。
「なんや、それ?」
「俺も腹がへった。これで、コンビニで飯でも買ってきてくれ。俺のおごりや。皆の分も買ってええよ」
「ま、マジですか?」
 貧乏学生達は当然態度を一変させる。
 急に畏まると、啓太に頭を下げた。
「あざーす」
 あみだクジの結果、啓太、良子、充が残り、山田、愛、章一が買出しに行く事になった。
 山田達が出て行くと、啓太は手を休めてタバコに火をつけた。章一も一服し、灰皿を啓太の近くに置いた。良子がタバコ嫌いな為、啓太が窓の近くに移動した。
「またタバコ吸うんや、やめたらええやん」
「無理や。やめられへん」
「もー体に悪いやん。やめてや。やめんと別れるって言ったらやめる?」
「その質問の意味がわからん。別にええやん。ほっとけや」
「まーまーお二人さん。イチャイチャすんのはあとでやりーや。啓太、ありがとうな」
「ああ。腹減ってたやろ?」
「かなり」
「啓太のアホ。トイレ行ってくるわ」
 良子はそう吐き捨てると、部屋を出ていった。
「ホント、お前ら仲ええよなー。羨ましいわ」
「どこがやねん。今さっき喧嘩したやろ。良子のアホ。禁煙せー禁煙せーってうるさいねん。そんなん禁煙出来たらとっくにしてるってな?無理やから吸うてんねや」
「良子ちゃんは、お前のことを考えて言うてくれてんねんで」
「そんなん知るか。アホ」
「確か、でも医者からとめられているんやろ」
「大丈夫やって。俺は死なんわ。無敵やねん」
「どこぞのヒーローやねん。お前はただの人間や」
「まだまだ死ねるか。やりたい事沢山あるわ」
「じゃあやめろよ」
「それとこれとは話が違うねん」
「なんでやねん」
「お前まで良子みたいな事言うなよ。あいつ、ガミガミうるさいねん」
 喧嘩する程仲が良いとはまさに二人を指している。
「そう言うなよ。こうやって頻繁に会えるのも、もうすぐだろ」
「それも、そうやな。もうすぐ卒業か。卒業したら働くから、こんなにあいつと毎日長時間会わないやろな。なんか、それはそれで寂しいな。何か悔しいけど」
 啓太は数か月後の遠くない未来を想像した。
 どんな社会人になっているのだろうか。
 来年の今後、自分はもうここにはいない。
 こんな風に、夜みんなで集まるなんてもうないのかもしれない。
「啓太、映画は完成するのか?」
「完成させる・・それも最高傑作をや。みんなにかなり協力してもらったしな。これで間に合わなかったら、俺は卒業せえへん」 
「アホ、普通に卒業しろ。まーとにかく、飯食ったら俺も協力するわ」
「マジ?サンキュー」
啓太は三人が戻るまで、作業を再開する事にした。
 もう映像はある。あとはそれを、頭の中でイメージした絵にどこまで近づけれるかだ。
 どうせなら最高傑作を、というおもいが強かった。 
 啓太は卒業すると、映像と無関係の会社に就職する事が決まっていた。自分が選んだ道なので、もう受け入れる覚悟はある。大学生活の大半を、好きな仲間と共に、好きな作品を撮る事に集中出来て満足している。周りの人間にそれなりに評価され、良い気分になった事もある。後悔は一つもない。子供の頃、ぼんやりと憧れていた映画監督。これから進む道は違うけれども、最後に、一番の作品を撮って卒業したい。小さい頃からの夢を追うのはこれで終わりだ。しかし、何も夢を持たずにこれから生きるつもりもない。社会に出てから新しい夢を見つける気でいる。この年まで一つの夢のおかげで楽しく生きてこられて、映画に対して凄く感謝をしている。まだ今はその新しい夢が見つかっていないし、何が果たして新しい夢になるかもわからない。けれども、不思議と不安はなかった。これまで映画に注いだ情熱と努力は無駄じゃあなかったと感じている。努力はどの道に進んだとしても、きっと力になってくれるし、もう努力する楽しさと素晴らしさを知っているのだ。それが啓太には大きかった。それを知っているので、同じスタートラインに立った同期になんて負ける気がしない。それに、良子がいる。それだけで啓太には、これから楽しく生きるのに十分だった。
 必然的にキーボードを打つ手にも力が入る。
 今日残ってくれた仲間の為にも、とっておきのおもしろい作品に仕上げてみせる。

 三人は大学から一番近いコンビニに来ていた。いらっしゃいませ、やる気のない声で店員に歓迎された。深夜帯に来る事があまりないので、店員はいつも見ない顔だった。夕方の時間だと威勢のいい声で出迎えてくれるので、少し拍子抜けした。
 とりあえず店内をぶらりと一周してみる。途中、漫画を立ち読みしそうになった山田を愛が服を引っ張って止めさせた。毎週立ち読みをしている週刊誌が発売しているという訴えも却下する。
「何がええやろ?みんな何食べたい?」
 章一が提案すると、二人はしばし考え込んだ。
 何を買えば良いのだろう? 
 お弁当?
 おにぎり?
 サラダ?
 酒のつまみ? 
「何が良いですか?お弁当とかって重いですよね?」
「そうやなー、体育会系の男やったらええかもしれんけど、俺たちはモロ文化会系やからな。ちょっと食いきれんで。この時間から弁当は重いしな。何やろな。うーん・・さっと食べれて、みんなが好きなもの・・難しいな」
 確かに難しい。
 しかも、自分のお金ならまだしも、奢って貰うのだ。変なものは買ってはいけない。何がいいのだろう。悩む。考えるが、どれを買えば喜んでくれるのかわからない。がっかりはさせてはいけない。そう思うと、いやでも慎重になる。
「啓太さんの好物って何でした・・」自分より知っている章一に聞いてみた。 
「あいつの好物なー、あいつは、はまるとそればっかり食べる傾向があるねん。この前は三週間、毎日クリームパン食べてたし、焼きそばを一ヶ月間毎日食べていた事もあったし、お好み焼きを毎日食べてた事もあったしな・・」
「ああ、確かに、最近はクリームパンばっかり食べていましたよね」
「今はまっているのってありました?」
「さーどうやろう?今はないんとちゃうかな。はまっているの、最近聞いてへんしな」
「そ、そうですか・・。困りましたね」
 何が喜ぶのだろう。
 じっと考えてみる。カップめんをとりあえず手にするが、すぐに棚に戻す。クラブ館の中にはお湯を沸かす設備はない。パンコーナーに足を運ぶが、これも違う気がする。夜中にパンかよって否定されそうだ。じゃあ、何を買うか。おかしは好きじゃないのは知っている。スナック菓子を横で食べていても、あまり好きじゃないと言って食べなかったのを覚えている。じゃあ、何を選んだらいい。ここにきて、一番悩む人かもしれないと思った。
「じゃあ、おでんでええやん」と愛が言い放った。
「え?」
 章一と山田は、愛の発言に驚いた。 
「おでん?啓太さんって好きやった?」
「さぁ?それはわからんけど、私が今食べたいねん。ここのおでんおいしいし、いいやん。ね、そう思いますよね?」
 啓太さんの事は無視で、自分がただ食べたいからっていうだけかよ、と山田は言いそうになった。しかし、言葉にしたらその倍反論されると思ったので言わなかった。それに、章一が否定をしてくれると期待した。もっと考えるべきだ。
「そ、そうやな・・。あいつがおでん嫌いっていうのも聞いたことないし、おでんやったら沢山買えるしな」
 あっさりと承諾した章一に山田は驚いた。
 何でやねん、とこれまた心の中で突っ込みをした。
 結局、盛りだくさんのおでんと、ジュースを購入してコンビニを後にした。このクラブではいつも、迷った時は女の意見が尊重される。山田も章一も、良い案が浮かばないので、反対する理由もなかった。
 山田がお酒を購入しようとしたが、愛によってまたしても却下された。そこは先輩である章一が言っても覆りはしない。これぞ文化会系統クラブ。愛はこの部員たちの酒の弱さを誰よりも知っていた。酒が入ったら確実に映画は完成しないまま朝を迎えるだろう。酒は文化祭のあとの飲み会でいっぱい飲むのだ。体育会系とは違って、飲み会は静かなもので酒の強要などもなかったが、いつも愛と良子が男連中を介抱していた。酒は好きだが、男は全員酒が弱かった。
 コンビニを出る。外はもう暗く、闇に支配されていた。
 薄暗い道の中、三人の足は大学へと向かった。誰ともすれ違わなかった。車も数台しか通らない、閑静な住宅地が続く。まばらな街灯と、満月が行き先を照らす。音のない世界。
「あ、月だ。ホラ」
 愛が空に浮かんだ丸い月を指差した。
 満月だ。
「満月やなー。大きいな」
 しみじみと章一が感想を述べた。
「そうですねー。キレイですね」
「何か、山田と月って、似合わないわー」
「何やそれーほっとけ。アホ」
 珍しく山田が愛につっこみを入れる。
「はい、はい、いちゃつくのは後でやって」
「そんなんちゃいますよ」
 そう言ってはいるものの、まんざらでもない様子。
 章一は二人から一歩下がって歩いた。 
 遠慮とかではない、この幸せな背中をもう少し長く見たかったのだ。
 もうすぐこうやって、この二人とも夜中にコンビニに夜食を買いにも行けなくなる。
 美しい月のせいだろうか。 
 章一はこの大学生活を思い出し、切なくなってしまった。
 今思い出しても、楽しい記憶しかない。地元神戸から出ての大阪での一人暮らしは非常に楽しいものだった。クラブに入って、心の底から信頼し合え、一生付き合っていきたいと思える友達が出来た。ほっとけない弟、妹の様にかわいい後輩も出来た。その大学生活において何の後悔もない。このクラブを選んで本当に良かったと思う。
 月はいつまでも美しいままではない。
 満月であっても、やがて三日月や、半月などに変化していく。
 楽しい時間も月のようにいつまでも続かないかもしれないが、せめて卒業まで、もう少し長くこの仲間と一緒に居たいと章一は思った。これで終わりではないが、やはり寂しかった。

 啓太の集中力はすさまじかった。
 慣れた手つきで次々に休む事なく画像を繋ぎ合わせていった。
 おでんは一個しか口にしていない。今、丁度テンションが上がっている時らしく、鼻歌まで歌ってしまっている。
 その啓太の横には長年の盟友である充と章一が座り、おでんを食べながら作業をじっと見守っていた。
「おでんいるか?」
 一応気をきかせて充が聞く。
「いや、ええわ、なんか今めっちゃ集中できてるねん、なんか知らんけどな。ここに神様が降臨してると思うねん。やばいで」
「それはやばいな。じゃあ、全部喰ってしまうで?ええんか?」
いつの間にあれだけ大量に購入したおでんは残りわずか一個となってしまっている。
「ええわ。今こっちに集中してるし」
「そうかーじゃあ俺が最後食べるで」
待ってましたと、充がこんにゃくに箸をつけた。
「うん、うまい。めっちゃうまい」
 充はおでんの中でもこんにゃくが一番好きだった。
 食べるかどうか聞いたが、本音は自分が食べたかったのだ。
「先輩、もう山田は用なしですか?」
手持ちぶたさで漫画を読んでいた山田が気になり、しびれを切らして愛が聞いてみた。
「あ、そうやなー。もう俺たちで充分やわ。愛ちゃん、山田、ホンマありがとうなー。めっちゃ助かったわ」
 啓太はパソコンに向かいながら礼を言った。
「え、大丈夫ですか?ボク、まだまだお手伝い出来ることあるならやりますよ?」
「さんきゅー、けどもう大丈夫や。お前は部長やし明日早いやろ?助かった。上映会頼むで。俺らも顔は出すから」
「そ、そうですか・・」
「そうや。山田と愛ちゃんありがとうー。ほんまこんな啓太なんかのためになー」
「良子、こんな俺のためって何やねん」
「うっさいなー。ホンマ感謝しいやー」
「わかっとるわ。二人ともさんきゅー。明日までに最高な、そして名作を完成させるから」
「わかりました。完成楽しみにしていますね。期待しています」
 二人がいなくなるとさらに静かになった。
 黙々と編集作業をこなしていく啓太。
 それを見る充と章一。
 あくびをしながら漫画を読む良子。
 コンポからは啓太のお気に入りのバンドのアルバムがエンドレスで流れている。そう、いつもの光景。三人が入学して、そして良子が入学して、ずっとずっと当たり前にあった日常。これが最後だと四人はわかっていたが、もう誰もそれを口にしようとしなかった。
 四人共、この最後の時間をいつも通りに過ごす事で涙を堪えていた。
 ずっと続くと思っていた。
トンネルを歩いている時は、退屈過ぎる程ゆっくりと時間が流れていた。ずっと続くと思い、ただ何となく過ごした日もあった。しかし出口の光が見えた途端、それは加速した。   
 終わりに近づくにつれ、どうして時間は平等ではないのだろうと思った。トンネルの中の居心地が良すぎて、永遠に続けば良いのに。
この世に、ずっと変わらないものなんてないと言ったゼミの先生の言葉を良子は思い出した。その時は反論しなかったが、良子はそれは違うと思っている。ずっと変わらないものは絶対に存在する。

 啓太が雄叫びを上げた。
 そして立ち上がり、ガッツポーズを決める。
 ついに、納得した作品になったのだ。
「できた、できたで。オレはやった」
 三人が一斉にパソコンの画面に注目した。眠気も吹き飛ぶ。
 まだ啓太以外はその完成形を見ていない。
 後半二時間は啓太の一人作業となっていた為、充たちは「見たい。早く再生して」と急かした。
「オッケー。男啓太、一世一代の作品だ。これがオレの最後の芸術だ。堪能してくれよ」キーボードを操作し、マウスをクリックした。
 映像が流れ出す。
 三人は、モニターに視線を合わせ、同時に耳をぴんと立てた。一言も聞き漏らさない様に集中力を高めた。
 この同じクラブの仲間として異才を放った男の最後の作品。
 ここに至るまでの数々の思い出がそれぞれの脳裏を過った。
 啓太は少し離れ、後ろでタバコをふかした。
 三人の反応が怖くもあり、楽しみでもあった。一番の観客はいつもこのメンバーであった。この瞬間は何度経験しても緊張する。手ごたえは充分ある。最高傑作であると信じている。しかし、タバコを味わっていられる余裕は少しもなかった。
 画面が流れ始めた。
 神経が張り詰める。
 開始してすぐ、充が声を上げて笑った。
 続いて良子と章一もすぐに笑った。
「ありえへん」
「何やねん、これ」
「やばい、やば過ぎる」
 章一と山田が廊下で踊る場面が効果的に使われて、三人の笑いを誘った。
「あの映像がこうなるのか。おもしろい。さっき撮影して良かったな。これは傑作だ」
 口々に絶賛する。
 それが、お世辞ではない事を啓太はわかっている。おもしろくなければ、この三人は笑わない。だからこそいつも最初に見せている。この三人をまず笑わす。それを頭に今まで映画を作ってきた。充と章一を笑わせたい。そして、何より良子の笑顔がみたいから。
 あとはもう笑いっぱなし。
 章一と充なんて笑い転げている。
 良子は映画を見て、啓太を更に好きになった。
 二十分間の上映が終わり、最後に「完」という文字が浮き出ると、充は啓太に握手を求めた。
「おめでとう」
「ありがとう、ありがとう。お前たちのおかげだ」
啓太は全員と握手をし、最後熱い抱擁もした。
 その目には涙が溢れていた。
 それは、ほかの誰よりもその握手と抱擁の意味をよく知っていたから。
 これで四人の青春が終わった。 
 完成したばかりの映画を、DVDに記録していく作業中、四人は昔話に花を咲かせた。
 四人が初めて出会った日の事。
 人見知りをしない啓太に驚いたけど、うれしかった事を充が話し、章一はその啓太のあほさに会ったすぐから惚れてしまい、映画研究部に幽霊部員でいるつもりが、がっちり啓太の作品で最多登場を記録してしまった事。
 そして、初めて撮った作品の思い出。
 三人の間では名作だと自信があったが、上映会では全く笑ってもらえず、その夜みんなで自棄酒を呑んだ話。
 昨日の事の様で、もう明日には決して起こらない。
 クラブは卒業するが、友達関係は勿論続けていく。
 しかし、もうあの日々は二度とやって来ないと、それぞれは知っている。
 話は尽きない。冗談を言ってその場にいる全員を笑わせて、言った方も笑う。誰もがしんみりするのは苦手なのだ。最後まで映画研究部らしく、いっぱい笑っていたかったが、時間には限りがあった。
 完成させた作品を部室の机の上に置き、山田に向けた伝言を添える。揃って部室を出て、鍵を閉める。そして、静まり返った廊下をゆっくり歩く。
 クラブ館の外に出ると、空が少し明るくなっていた。
「明るいな。結局、ほぼ徹夜か。クラブ館の中、俺達だけだったなー。ほかのクラブの連中は帰ったのかな」
「そりゃあ、そうだろう。もう朝だぜ。徹夜とか久しぶりだな。懐かしくないか?二年の時の文化祭。啓太が初めて長い時間の映画を作ったもんな」
「覚えてる。懐かしいな。もう二年前になるんだな。早いもんだな。残ってやってたな。あの作品、自分の中でかなり気に入っているんだぜ」
「俺と充がはじけたもんな。無茶苦茶なこと要求してくるもんな」
「そうか?別に普通だろう?」
「今でこそ普通やけど。一年の時って、俺らに遠慮してたよな」
「そりゃあ、そうだろう。まだ出会ってそんなに経っていなかったしな。それなのに、今と同じことを頼んでもやらないだろ」
「確かに」
校門を抜けて、大学を出た。
 章一が空を指さした。
 綺麗な満月だ。
「綺麗だよな。さっき、コンビニ行った時も見えたんだ」
「綺麗ですね」
 良子は手を空に伸ばしてみた。捕まえられない。月は遠くにある。
「満月か。明日は晴れて欲しいな。あ、けどもう日付変わっているから今日か。晴れて欲しいな。いっぱい見に来てくれるかな」充がつぶやいた。
「やっぱり晴れて欲しいな。どうだろう、見に来てくれるかな。最後だし、色んな人に見てほしいな」
「そうだな」
 ゆっくりと歩く。
「あーこれで終わりか。寂しいな」
 全員の気持ちを、章一が代弁した。
 やっぱり寂しい。
「あ、先輩、それなしですよ、泣いちゃいます。最後まで笑っていましょう。私たちらしくないですよ。そんな事言ってると、私、泣いてしまいます」
「仕方ないだろう、寂しいのはどうやっても寂しいんだから」
「寂しいな。けど、これからスタートや。人生まだまだ。俺達もこれからの方が長いねんからな。ありがとう。俺は、お前たちに出会えて良かったって本当に思う。最高のクラブやった。大学生活、おかげででめっちゃ楽しかったで。最高やった。」
「俺も。ありがとう、啓太」充も同調する。
「俺も。このクラブに入って良かった。最高だった。ありがとうしかないよ」
「やめて下さい。私、泣きます」
 ついに良子は泣き出した。
「なんで泣いてるねん。泣くなよ」
「うっさい、アホ啓太。泣くわ。ほんまに楽しかってんで」
「ありがとう」
 啓太が良子の頭をやさしくなぜた。
「俺達が抜けたあとは頼んだぞ。山田も愛もいる。めちゃくちゃ頼もしいな。最高のクラブにしてくれ。俺達の代みたいにな」
「余裕やし」
 涙を拭きながらも、毒舌は健在だ。
「ありがとう」
「まだ卒業じゃないけどな」
「そんなん、すぐですよ。もうあまり学校に来なくても良いんですよね。けどたまには部室に遊びに来て下さいね」
「勿論、ゲームしに行くから。教えてあげようか?」
「それはいいです」
「何やそれ」
 同時に全員笑った。
「さよならじゃないからな。俺は良子とずっと付き合っていくし。二人もずっと友達やしな。卒業しても、さよなら、じゃなくて、またな、だぜ。これまで楽しかった。じゃあ、また楽しい事して思い出増やしていこうぜ。明日も、明後日も平等にあるんだ」
「うん、そうだよね。そうだ。さよならじゃない」
 良子は、珍しく啓太が良い事を言ったと思った。
 けど、その通りだと思う。
 さよならじゃない。
 今日という日はもう二度と戻って来ないが、明日はやってくる。
 一人じゃない。
 大切な人がいる。
 それだけで、明日も特別な日になる。

 山田が目覚めると、愛が当たり前の様に横で寝息をたてていた。その顔を見て、山田は幸せを感じた。好きな人が朝起きたらすぐそばにいる。これ以上の幸せを知っている人がいたら教えて欲しいと思った。
 ずっとずっと眺めていたい気持ちもあるが、そろそろ布団から出なければならなかった。携帯で時間を確認したら、もうそろそろ家を出る支度をしなければならない時間だった。
 そっと動いたつもりだったが、愛が気づいてしまった。愛おしい声を漏らし、ゆっくりと目を開ける。
「あ、おはよう」
 山田は思わず笑顔になる。
 愛も笑顔で返し、上半身を起こしていた山田に抱きついた。
 山田も愛を抱きしめる。
同時に、世界で一番の幸せはまさしく自分であると山田は確信した。
「あれ、もう行く時間かな」
「うん、準備しないと」
山田は愛の唇に触れると、そっとやさしく抱擁を解いて布団から抜け出した。何も身に着けていない為、収納ケースを開けてボクサーパンツをまずはいた。
「寒い・・上着、何を着ようかな」
山田が服を選んでいる間、愛も下着と服を布団にくるまりながら手で引き寄せて着けた。
 愛が窓を見て、その先の空を想像した。
「今日晴れたね。良かった。先輩達の最後の大舞台だもんね。やった。嬉しいね」
「そうやな。あーもうほんまに最後やねんな・・。なんかほんま寂しいわ。先輩達もこれまでみたいに頻繁に部室に来てくれへんよな。あーあっという間やったな。早いな。まだまだあの人達と一緒に色々映画撮りたかったし、あほな事いっぱいしたかったな」
「そうやな・・。寂しいなー。けど、今日は楽しむで。泣いたらあかんで。笑って最後の祭をやり遂げるんや。新しい世界へ笑顔で送らんと、先輩達も心配しはる」
「そうやな」
そう言ったものの、最後笑顔で終わる自信なんてなかった。自分が人一倍涙脆いのはわかっている。
「寂しいな」
山田はまたつぶやいた。
「やっぱりそうやな」
「最高のクラブにしていこうな」
「もちろんやで」
 そうだ、先輩達がやってきた事を今度は俺達がやる番だ。先輩達みたいに後輩から慕われる先輩にならなければならない。なれるか不安だが、絶対なる。俺がこのクラブに履いてよかったと思っている様に、後輩にもそう思って卒業してもらいたい。



 良子は、早く目の前の光景を啓太に見せたくて、啓太を電話で無理やり起こした。
「おはよう・・」
と寝ぼけた声で啓太が電話に出た。
「何してんの、早く起きて。学校に来て」
「え、俺は、昼から充達と行くって言ってたよな?」啓太は混乱した。「今・・何時だ?えーっと、まだまだ時間あるよな。ちょっと寝かせてくれよ。俺が全然寝ていないの知ってるだろう」
「そんなん関係ないから。早く来て。めっちゃびっくりするで。寝ぼけてないでとにかく来て。わかった?ダッシュで来ないと怒るで」
 そう一気にそうまくしたてると電話を一方的に切った。
 良子は興奮していた。
 その目には涙が溢れてこぼれそうになっている。
 悲しいのではない
 嬉しいのだ。
 無理もない。
 啓太を一番近くで見てきて、一番のファンである人がこの光景を目にしたら、誰でもそうなるだろう。
 映画は毎回教室の一室を使用して上映をしているのだが、いつも通りその上映会は始まっている。しかし、その観客の数が過去最高に多いのだ。
用意した三十の椅子ではたりず、廊下で待ってもらっている人が十数人。一回目の上映から待っている数は減らず、むしら増えていた。待っている人の会話が聞こえてくるが、どうやら一回目で見た人や、過去に見た人が周りの人間に啓太の映画はおもしろいと伝えてくれているらしかった。それがまた泣けてくる。お客さんがちっとも入らず、どうにかして自分達の作品を見てもらおうと、色々な呼びかけをして苦労してきた良子からしたら、感極まる光景だった。そして、ほとんどの人が啓太の作品目当てだった。
 廊下で良子と一緒に受付をしていた愛も興奮していた。
「良子さん、すごいですね、これ。私めちゃくちゃ嬉しいです。すごい。なんか、泣きそうです」
「わかる、わかる。私もそう。あー早く啓太のアホ来ないかな。どうしてこういう時に限ってあいつは寝ているんだ。あいつはこれを見ないといけないねん。あいつの頑張ってきた姿を私は誰よりも知ってるから。あいつは頑張ってきたから。そう、誰よりも頑張ってきてんで。私が一番知ってるねん。あいつはすごい」
教室から笑い声が扉を隔てた廊下まで聞こえてくる。それがまた二人の心を躍らせた。
 私達は間違っていなかった。映画研究部に入って活動してきて良かった。啓太を、すべての部員を誇りに思った。
 良子は先ほどの回で記入してもらったアンケート用紙の分厚い束に再度目を通した。回収してからすぐ読んだが、まだ読みたかった。何度も何度も読みたかった。
「啓太は間違っていなかった」と読みながらつぶやいた。
 その感想が答えだった。
 おもしろかった。
 毎回楽しみにしていて、最後だと思うと残念です。
 啓太さん最高。
 また作ってください。
 ずっとファンでした。
 こんなに笑ったの久しぶりです。
 笑いってすごいですね。
 腹の底から笑いました。小さな事で悩んでウジウジしている自分が、ちっぽけに思えました。ありがとう。この映画、友達にも勧めます。とにかくおもしろい。
 その感想に、感動して泣けてくるが、愛もいるのでそこはぐっと我慢する。良子は、誰の真似もせず、自分流を貫き通した啓太を改めて尊敬した。
「そうです。啓太さんは間違っていないです。啓太さん大好きです」
「うん、うん。あいつ、バカでさ。他校との合同上映会のあとの呑み会も最初は参加してたけど、後半ほとんど参加しなかったのは、ほかの人と議論しすぎるんだよね。そして最後は大抵喧嘩になるの。あつい、あつい男。みんなと話していてさ、お前達は真似をし過ぎる、最初は真似するのも良いかもしれないけど、あまりにも真似し過ぎているって。何もかも過去の有名な映画監督の真似をして、いかにも自分が考えたとか主張するやつが大嫌いだって。お前達には自分がないのかって」
「そ、そうなんですか・・。あの啓太さんもそんなに怒ったりするんですね。知らなかったです」
「映画に関したらあいつは妥協を知らない、ただの頑固者だからね。真似ばっかりしてる人が大嫌いみたい。物まね歌合戦か?て叫んだこともあったっけ。じゃああんたは真似した事ないのって聞いたら、最初は自分も真似したって。一緒やんって言ったら、俺はもうオリジナルやから違うって言うてたけどな」
「物真似歌合戦ですか・・。確かに真似しすぎるのは良くないですよね」
「まぁねー。映画を作って、真似ばっかりしてるのにオリジナルって言う人が丁度いて、けちょんけちょんにしてたよ。その人、啓太に憧れていたらしいんだけど啓太の作品いっぱい見て、誰が見てもおもいっきり真似ているってわかったからね。恥ずかしくないのかってね。けどあの人はおかしかったなー。ある意味ストーカーだったからね」
「そんな人いたんですか?」
「いたいた。名前何ていうんだったっけな。忘れちゃった。啓太が好きなのはわかるけどさ、付きまとったり、気持ち悪かったな。ホント啓太の真似ばっかりするからね・・。啓太の発言も真似してほかで言うて、いかにも自分が考えて言ったみたいな顔して。それも腹が立ったみたい。そんな発言するけど、実際には何も行動してなくてね、あー懐かしいな」
「こ、怖いですね。ストーカーじゃないですか。発言まで真似するって・・・。変な人もいるんです。」
「いたよー。何から何まで真似して・・。まぁもうどうでもいいけどね」
 啓太の作品はまぎれもなく啓太の魂が宿っている。
 オリジナル。
 それを簡単に模写し、あたかも自分のオリジナルと主張する人を、良子も許せなかった。
 それは最大の侮辱行為。
 どうしてその人があの様な行動をしたのか理解出来なかった。
 懐かしいどうでもいい人を何故思い出したと自分でも思った。どうしてか考えるのもバカバカしいので、五分後にはその存在自体を再び頭の中からかき消した。どうでもいい人はどこで何をしていようがどうでもよかった。良子には人間関係を広く浅く持つのは不可能だった。ずっと深く狭く生きてきて、これからもその考えを変える気はない。だからこそ、大切な存在を大事にしたいと思っている。

 今の感情をどう表現したら良いのか、啓太は全く思いつかなかった。
一言で伝えるとしたら。
 震えていた。
 心が、感情が震えていた。
 嬉しいというのが突き抜けたらこれ程までに心が揺れるものだと驚いた。
 そう、感動していた。
 良子に寝ている所を無理やり起こされ、重いまぶたをこすりながら上映している教室の前に着いた時、良子に教えてもらった。廊下に並んだ上映待ちのお客さんと、教室から洩れる笑い声が、全て啓太の映画がそうさせていると知った瞬間、啓太の心を振動させた。
 まさか、自分の人生でこういう景色が見られるとは想像も出来なかった。
とっくにあきらめていた景色。
 映画監督になるという夢は、多くの人に自分が作った映画を見てもらうというものだった。全国上映と、大学の一教室での上映と規模は大きく違っているかもしれないが、啓太からしたら夢が叶った瞬間だった。
 啓太は、ただただ呆然と立ち尽くした。
 上映が終わり、観客が廊下に出てきた。
 その表情は晴れ晴れとし、誰もがみな笑みを浮かべていた。
 啓太は、これ以上の幸せがあるなら教えてほしいと思った。
 山田がその中で棒立ちの啓太を発見して声をかけた。
「啓太さん」
「山田・・・オレ、オレ・・」
 思わず二人は抱き合った。
 熱い、暑い、厚い抱擁。
 良子も山田に続いて啓太を求めた。
 啓太は今日という日を一生忘れないだろう。
 もう死んでもいいとさえ本気で思った。
 夢が叶った瞬間だった。
 自分の夢。
 それは映画監督になることだった。
 小さい頃から想像、妄想、空想が好きで、いろんな話を考えてはひとりでにやにやしていた。一歩間違えたらただの気持ち悪い少年だ。
 そのにやにやもいつしか、誰かに聞いてほしい、みてほしい、知って欲しいという欲求になった。
 だが、その専門の学校には進まなかった。
 経済的な問題と言えば聞こえはいいが、ただ単に逃げただけと自分ではわかっていた。
 映像の世界で成功する人なんてほんの一握り。
 自分が、そのほんの一握りの人間になれるという空想はしなかった。
 大学で普通に勉強して、一般企業にそのまま就職をするつもりだったが、入学式の時に映画研究部の存在を知った。各クラブが新入生の勧誘の為にブースを設けていて、そこにひっそりと映画研究部もあった。部員が多いクラブと違って、ちょこんと椅子に座って部員同士で楽しそうに話をしている姿が、啓太には輝いて見えた。それまで空想で終わり、実際に何も行動に移していなかった夢だったが、どうしてもあきらめきれすに、大学に入ってから迷わず映画研究部にはいった。
 そしたら、そこには変わり者ばかりがいた。
 そして、初めて自分が受け入れられたと思った。
 それまでは、親しいごく一部の人間にしか自分の空想、妄想、夢を話した事がなかった。
 どうせ、理解等されないと最初から決めつけていた。
 それが、ここでは堂々と語れた。
 部員のみんなは、そんな自分を肯定してくれた。
 嬉しかった。
 マイナーなクラブ、かわった集まりなんていう外野の声なんて全然気にならない。
 最高なやつらの集まりだと自慢できる。
 自分一人では絶対叶わなかった。最高の仲間のおかげで、夢が叶った。
 この光景を、子供の頃の自分に見せたい。
 未来は明るい。
 生きていて良かった。
「すごかったぜ」
廊下で山田と抱き合っている啓太に、軽音学部の部長が声をかけて、握手を求めてきた。
「見てくれたんや。ありがとう」
「見たぜーいつも見ているじゃねーか。今回もぶっ飛んだ話だったなー、めちゃくちゃおもしろかったぜ。休憩中の部員ひきつれて見にきたけど、みんな爆笑しとったで。やっぱりすごい才能だよ。これでやめるのって勿体ないぞ。趣味で良いから続けろよな」
「まじで。めっちゃ嬉しい。ありがとう。趣味でやっていこうかな。そしたら出演してくれるか?」
「それとこれとは別だよ」
「あ、やっぱり」
 二人は笑い合った。
「午後からの俺の最後のステージも見に来てくれよな。俺も啓太に負けないくらいこの四年間頑張ってきたんだぜ」
「もちろんだ」 
「ねえ、ねえ、すごいでしょ、啓太って」
 良子も知り合いなので、話に入ってきた。そして、ぞろぞろ教室から帰っていく軽音楽部の集団の中であの山田たちを軽蔑した女二人を見つけ、部長に言おうと思ったがやめにした。何故なら、その二人が、おもしろかったと笑いながら戻っていったからだ。 
 啓太の勝ち。
 もうあの二人を良子は許した。

 笑いは世界を救う、それは啓太の言葉だけど、どんな成功者の言葉よりも信じる価値があると思った。
 まだまだこれからだ。
 みんなに楽しい未来が待っている。そう思うとうれしい。
 未来は明るい。
 卒業しても、ずっと一緒だ。笑顔で、またね、だ。
 また会える。
 みんなの笑顔、言葉、団結した夜、失敗した日、その日々はもう戻らないけど、ずっとみんなの心の中で生きている。
 私はまたその時のみんなに会いたくなったら目を閉じ、思い出す。そして、泣くんじゃなくて、笑うんだ。だって、楽しい思い出の方がずっとずっと多いんだもん。啓太のアホな映画、みんなでやったバカなこと。思い出すと笑える事だらけだ。
 あの日の幸せと今日の幸せ。
 あの日にはあって、今ない事、あの日にはなくて、今この手にある沢山の幸せ。その幸せをこぼれない様大切にして、上を向いて歩く。
 夜になると私は月を探すだろう。
 そして、明日の月は違って見える。

読んでいただきありがとうございます。もしよかったらサポートしていただけると嬉しいです。ほかにも小説を書いています。





この記事が参加している募集

私の作品紹介

つくってみた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?