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映画「世界でいちばん美しい村」

震災に襲われたネパール山岳地帯のラプラック村に密着取材したドキュメンタリーである。
民族学のフィールド調査に帯同しているような雰囲気さえ感じる作品だった。評論するほどの力量はないので、思いつく限り所感を書きなぐることとする。

逞しいことは美しいこと

ラプラック村の人たちは、幼い子どもも青年も、父も母も、老婆までもみんな美しかった。

衛生状況は決して良いとは言えない。濁った水を使っているし、身につける服も土埃にまみれている。肌は日に焼けて、目尻や手にはしっかりと年齢が刻まれている。装飾品から身だしなみへの配慮は感じられるが、いわゆる先進国の女性のような化粧っ気は感じられない。だが美しいのだ。

この美しさはどこから来たものかと考えた時に、目の綺麗なことに気がついた。目つきが美しい。目つきが美しいということは表情が美しいということだ。

その表情はどこから来たものか。それぞれの内から湧いてきたものだ。生活ぶりは生命力に溢れている。

引っこ抜いた大根にそのまま齧り付く少年。
土のうえででんぐり返ししてケラケラ笑う少女。
家が崩れ、雨で住居が水浸しになろうが、
懸命に生きようとする生命力。その逞しさが、美しくほどばしる。

内から湧き出る生命力の不足を補うように、化粧をしたり、ブランドものの洋服で塗り固めているのが僕たちだとしたら、決して彼らの美しさには敵わない。化粧も洋服も生きていないのだから。

彼らの生命力はダイナミズムだ。

その生命力は、都市でワークアウトに打ち込む人たちとも違っている。筋力は生命力の一部をなすが、筋力は生命力ではないからだ。その逞しさは希望のあらわれでもあろうかと思う。

東日本大震災の記憶とのオーバーラップ

ラプラック村の被災後の様子は、東日本大震災をはじめ日本の被災地と重なるところがあった。

村は震災によって地盤が緩み、住み続けることが危険なレッドゾーンと指定された。より高地のキャンプに移住する人たちの一方で、残り続ける人たちもいた。

84歳の老婆は「今更別の場所には行こうと思わない。危険であろうと村に住み続ける。」と言っていた。キャンプへ移動した村民のリーダーはその意見を尊重すると言っていたが、老婆とキャンプへ移動する家族との間で衝突があったに違いない。原発事故などの影響で地元を散り散りになる東北の人たちの姿がよぎる。

地盤が緩んだとしても、農地はキャンプに持っていくことができない。ある女性は「キャンプに行けるのはキャンプに職がある人だ。農民はそうはいかない。」という主旨の発言をしていた。村の中に横たわっていた見えない格差を震災が顕在化させたのだ。

熊本の震災から1ヶ月後、ボランティアに赴いたことがある。そのとき、同じ地域でも被害に大きな差があることが印象に残っている。東北の震災では一律に被害を受けていた印象がある。津波や放射能汚染が理由だ。
一方、熊本ではそれが無かった。無かったこと自体はよいことなのだが、住民間の被災状況には差が開いた。うちは倒壊して家屋を崩さないといけないのに、道を隔てた家は被害がなく、何事もなかったかのように仕事を続けている。元の家の強度が理由かも知れないし、そうでないかも知れない。
いずれにせよ心理的なズレを引き起こしたことには間違いない。

翻って、ラプラック村。幼い娘を亡くした夫婦は村を去った。仲良くしていた娘の友だちは怪我こそしたが、回復した。居続けるといつまでもフラッシュバックする、そう考えたのかも知れない。

どう死と向き合うべきか

その夫婦も首都カトマンズなど転々としたのち、ラプラック村に戻ってきた。どこへ行っても悲しみから逃れることはできなかったと言う。それなら夫婦が生まれ育った地に戻ろう、ということだろう。しばらくして夫婦に子どもが生まれた。娘の生まれ変わりのようだ、と言っていた。

ラプラックは、4千人の村民のうち24人が震災によって命を落とした。村にただ一人の医療従事者である女性も震災による山崩れで配偶者を失った。

女性は言う、「これだけ村に尽くしてきて、こんなことがあるなんて神も仏もあるものか」と。主人の通夜で他の村民たちと共に咽び泣く姿が悲痛であった。

悲痛ではあったが、必要でもあったのだろう感じた。悲しみを誰と分かち合うこともなくやり過ごすことはできない。気づかぬ間に心に歪みができ、いつか音を立てて崩れてしまうに違いない。だから、どの土地にも葬儀があるのだろうと思った。しっかり悲しんで、故人にこの世での別れを告げる機会はいつどこでも大切なのであろう。

葬儀が終わり、本当に配偶者と別れることになったと涙した女性。
しかし、葬儀中にマントラ(お経)が唱えられると、他の人には目もくれず自分と娘のところにやって来たひな鳥のことを「こんな不思議なことがあるのだろうか。主人の魂がひな鳥にのり移ったように思えた」と言っていた。
神仏を取り戻し、新年を祝う行事には姿を見せていた。

踊り、歌い、祈る

全編を通して印象的だったのが、村民たちの踊り、歌う姿だった。いつでもどこでも踊る、歌う。子供も大人も踊り、歌う。歌と踊りが生活の一部となっている。歌も踊りもお金がかからず生活を彩ることができる。「彩る」ということは本来「エッセンシャルではない(=省略可能)」ということを意味する。しかし、(前述の故人との別れも同様だが)省略することによって心のリズムが狂ってしまうということがあるように思う。

私たちは歌を聞き、ダンスを見る。しかし、それは化粧と生命力の関係と同じで内側から出てくるリズムではない。自己から出てくるリズムのままに歌い、それが周囲のリズムと呼応しあい、一つのうねり(グルーヴ)を作る。これがプリミティヴな音楽のあり方だろう。自発性と双方向性。踊りも然り。私たちはもっと、自分の歌を歌い、身体の動くままに踊るべきなのかも知れない。

そして、歌と踊りは儀式と結びついている。祝祭でも葬祭でもラプラックの人びとは歌い踊っていた。歌と踊りが生活の一部なのだとしたら、それと結びつく祈りだけ切り離すことはできない。食卓に花を飾るように祈ることがあってもいいのかも知れない。


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