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夫へ期待しなくなった日―夫婦の妊活日記

2024/1/22(月):妊活日記㊹
※この投稿は私達夫婦の不妊治療の日々を振り返って書き記したものです。
 書いている今、私達は不妊治療が実を結び妊娠することができました。
 不妊治療の末の妊娠…という流れが辛く感じる方もいらっしゃると思います。そういう方は、読まれるのをお控えくださいね。


 夫の単身赴任生活がもうすぐ2カ月になるころ、私達夫婦の結婚記念日がありました。
 「記念日はゆっくり観光でもしようか」
ということで、私が夫の赴任先に遊びに行くことになりました。

 「夕飯は一緒に!」と張り切って、夫の好きなお店の干物を焼いて、だし巻き卵に、ほうれん草の胡麻和えに…なんて張り切って用意して持って行ったものの、夫は夫で
「疲れたぁ~ケンタ食べたい♡」
の主張。
「作って来てくれたおかずは明日の朝食べよう!」
ということになり、結局ケンタッキーにお世話になり、つぎの日の朝も食べることはなく、おかずは処分することになりました。
 一緒に居られることへの喜びと、元気でいてくれたことへの安心感、そしてがんばってくれていることへの感謝と、張り切った自分への「バカみたい…」というちょっと寂しい嘲笑…でもどこかで仕方ないと思えるようになっている自分の変化を感じてもいました。
 私が勝手に考えてしていることだから、夫が思うように受け取ってくれていなくても仕方がないのだ…そんな風に。

 
 
 こう思うようになったのは、このおかずのことだけがきっかけではなくて…夫がマンションに持って行っていた妊活用のサプリメントが残り半月分も無かったはずが2カ月経っても一向に減っていなかったり、私が用意して夫に送ったレンチンで食べられるおかずが、減ることなく賞味期限を越えていたり…
 そんな風に何だか小さな「ガッカリ感」と、それでも「久しぶりに会えているのだから小言を言いたくない」という思いが交錯し、一緒に生活していた頃には夫に言ってしまっていたことを「たまにしか会えないから…」と飲み込むようになりました。

 また、この結婚記念日の期間、夫婦最大レベルの派手なケンカをしたのも夫婦関係を見直すきっかけになったのかもしれません。
 私がどれだけ夫を心配していようと、夫との約束を信じていようと夫に強要することはできないし、夫にその気がなければ、いかに私が怒ったって仕方がないのだ。夫を動かすことは私にはできないし夫は私の言葉で変わるはずがない…と、良く聞く「他人は変えられない」という教えを身をもって感じたのかもしれません。それは、夫婦を続けていくために夫を信頼するのをやめるような、どこかでシャッターを下ろしたような感覚になりました。

 そうするうち、すこしずつ
「夫は夫で、私がいかに考えていたって仕方がないのだ」
「私が私で勝手にやったことは、夫に見返りを求めても仕方がない」
「私が夫にすることは私の為にやっているにすぎないのだ」
というような気持ちをもてるようになっていきました。
 (…サプリメントの件は夫婦で決めたことなので、何度かは嫌味なことは言ってしまいましたが…夫は変わることはなく、
「夫は私に付き合ってくれているだけで、妊活に当事者意識はないのだな…」
と半分夫を見限ったような、
「離れて暮らしてるから飲まない夫にイライラしなくてもいいわ!」
と突き放すような気持ちでした。)

 こんな気持ちの変化の結果、夫婦の関係が少しずつ変わっていったように思います。
 夫にイライラすることが極端に減り、有難いと思える機会が増え、伝えられるようになりました。

 「諦める」「期待しない」というと、とっても冷たく聞こえてしまうけど、それは夫そのものを受け入れるということ…この変化のお陰で、私は夫に対してイライラしたり悩んだりすることが減り、夫に何かを伝えるのも少し上手になったように自負しています。

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