他人と縁を結ぶということ、養子縁組―野望とお願い
11/2(水):養子縁組①
「入籍」と聞くと、どんな言葉を書けますか?
「おめでとう✨」?
「ゴールイン!」?
「人生の墓場」?
「ゴールじゃない!まだまだスタート地点!」?
本来なら同じように幸せでちょっとドキドキして、きっとこれからいろいろあって…それでもやっぱり幸せで、労いや喜びの言葉をかけてあげたいことなのに、何だか少し遠巻きに見られてしまうコトがあります。
それは一般的にはあまり思い出されないであろう、もうひとつの「入籍」。
「特別養子縁組」
この言葉を聞いて、どんなイメージが湧きますか?
そして社会は、メディアは、どんなイメージで伝え、イメージを作っているでしょうか?
では、児童養護施設で育った子ども達のイメージは?
『2時間サスペンスでは、殺人犯が施設育ち、養子であることの恨み辛みを語る』
『心に影を持ち、人付き合いは最低限で、アパートなどの少し貧しい生活』
『成功者は幼少期の経験をバネに、世間を見返すことだけを考えてのしあがった』
『施設育ちの子達は、大人になっても一緒にいて、辛い思いも互い支えあって生きている』
こんな描かれ方していませんか?
確かに、いわゆる一般家庭のイメージとは違う人生を歩んできた子達かも知れない。
そして、養子縁組をしようと考えた夫婦は、確かに不妊治療や流産などを経験した末に養子縁組の決断をしたのかもしれない。
背景には悲しい涙があったかもしれないし、その後もハードルや涙はあるかもしれない。
だけど、そんなことは養子縁組をした親子に限った話ではなく、いわゆる「普通の家族」に見える親子でも様々な涙も抱えて、乗り越えて様々な人生を選びます。
施設育ちの子の人生も悲喜こもごも。
養子縁組した親子も悲喜こもごも。
血縁関係のある親子も悲喜こもごも。
ならばどうして、私たちの社会は、人の人生を勝手に想像して悲観したり同情したりするのでしょうか?
養子縁組の親子だからがんばってるね!なんて考えも、そもそも差別意識によるものだと思うのです。
人の人生を推し量るなんてこと、他人がしてはいけない!と私は思います。
これは、私が24時間テレビにも抱いている思いなのですが、
一般的ではない境遇=かわいそう
なんて、ゴミ箱に捨てるべき差別意識ではないでしょうか?
無意識に育てられた根っこの深い差別、もういい加減、変えていきたいのです。
例えば結婚!
私たちは新郎新婦にどんな過去があろうとも、今向かえた「結婚」という門出を祝福するでしょう。
二人で歩みだしたたどたどしい人生も、心で応援して見守り、時には励ましたり話を聞いてあげたりするでしょう。
それならば何故、養子縁組は喜ばしく見守れないのか。
養子だと知ると何故、かける言葉を選んでしまうのでしょうか。
「同情」という名の自己満足の質の悪い差別を少しでも変えていきたい。
そしてできれば、今行われている里親研修の内容も変えたい!今のままでは問題があると思っています。
私に何ができるのか、そもそも私にできることなんてあるのか…分からないけれど考え続けようと思います。
分からないけれど発信し続けます。
誰に届くか分からないけれど、もし何か思われたことがあれば教えてください。
社会を変える方法を、アイデアを、知っている方は教えてください。
どうぞよろしくお願いします!
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