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教育を考える―子どもの未来を見るということ

11/17(木):教育を考える⑦

 今日も中学校国語科教師の大村はま先生の言葉から子育てについて考えてみましょう。

 私たちは、とてもせっかちになりやすいと思います。自分が今、今日、このことをしますと、それが明日いいものになって出てこないと、自分のしたことがむだだったと思ったりするのは、人生の誤解ではないかと思います。(中略)教師の仕事はもっともっと長いもので、私たちの生涯の間にその結果を見ることができないものもあるのではないか。むしろ、そのほうが多いのではないか。(中略)岡本かの子の「同じ根に二つ咲きたる緋ぼたんの一つ小さきすべなかりけり」という歌がありますけれども、同じに肥料をやって同じように育てた花も、同じには咲かない。どれもみな花は咲いたけれど、花と見えないような貧しい花もあったりして、花咲くということにおいては同じですけれども、それが同時に開くわけでもなければ、いちばん美しい花といっても、だれがどれを思うかということも違いますし、みんなの認める美しい花がみな咲くものでもない。いろんな花が、いろんなときに咲くということを覚悟しないと、そういう考え方が根本にないと、教室は楽しくならないと思います。

<引用〉「教えながら教えられながら」:大村はま P61~

 子育てに悩む保護者の声を聞いていると、私はこのはま先生の言葉を伝えたくなります。上記の文章は教師に向けての言葉ではありますが、親にも伝え、考えてもらいたい、大切なことです。
 だって教師が子どもにかかわるのは、その子にとってのたった数年間。対して親は生涯に渡って子どもの人生を見守り、かかわっていきます。
 子どもの生涯を長い目で見守る覚悟が、親には必須なのではないでしょうか。

 子どもの困りごとや親にとって直したいことは、それまで長い時間をかけて形になってきた親の教育、育児の結果です。なのに困りごとに目が向いた途端「すぐに問題解決するための裏ワザ」があるような気がして、それらを求め実行しては、すぐに「ダメだった」なんて結果を出してしまう。だけど厳しいことを言うようだが、「ダメだった」のは親そのものではないでしょうか。
 
 最近、インスタやYouTubeなどで発信されている子育て情報や悩みについてあまりにも短絡的な発信がされているのが気になります。
 今日のテストが何点だった…というような数字から一度離れる勇気を持ちませんか?今日の点数で何が変わるわけではない。そんなことよりもその子の興味や自信がその子の人生を、価値観を形成していくのです。
 夏休みの宿題について考えてみると、親が「自由研究何させよう」なんて、お門違いなママ友トークをしていませんか?
その悩んでいる親の隣で、子どもたちは他人事みたいな顔をしていませんか?
 一体誰の宿題で、誰の人生なのでしょうか?
 子どもに出された宿題なのだから、やらないのなら学校で盛大に叱られて、クラスメートの前で恥をかけばいいのではないでしょうか。友達が遊ぶ中で残った宿題を焦りながらやれば、きっとその子なりに学ぶことがあるでではないでしょうか。なのに、親がその学びを奪ってしまうのは、もったいないし、余計なお世話です。

 今日の我が子が、「自分のすべきこと」を親にさせてつじつまを合わせることよりも、未来の我が子が与えられた課題を自分の力で乗り越えていけるように…彼が、時には学校で叱られたり困ったりすることさえも見守っていけるよう、腹をくくってみませんか?

 何だか「学校」が目的になってしまって、「学生生活を終えた後のことは放置…そこからは子どものせい…としてしまう。」もしくは、「そこからの人生すらも親が尻ぬぐいをすべき…と思い込んでいる」親は少なくないと思います。
 これ、全く逆ではないでしょうか?学校は社会に出るための経過でしかないのです。社会に出たら、我が子のがんばりや決断、奮闘を薄目で見るくらいで丁度良いのではないでしょうか。
 自分の手の届くうちに、我が子が失敗したり躓いたりする姿から目を逸らさない覚悟を持っていたいものです。子どものいない私には簡単に言えるけれど、きっととんでもなく困難なことなんだろうな…そんな風に思います。
 でも、困難でも理想論でも、私は伝え実現に向けて考察を続けたいです。

 最後に、またはま先生の言葉をお伝えします。
 学校の中はどうしたって比べたり、不安や得手不得手が生じるもの。せめて家庭では、このような姿を保障して、面白がりたいものです。
 そして願わくば親自身もこのような姿になれたらいいな、そう思います。

劣った子が劣等感を持っていないので、自分のやっていることが面白くて、自分のやることを一生懸命やっていて、できる子なのかできない子なのか、自分は上等か下等かなんて考えるすきがないので、力の弱い生徒がいても見つからないのです。力の弱い子がそういうことを忘れ、安心して自分の力いっぱいのことをいきいきとやっているということで、教師は許されなければならないと思います。

〈引用〉「教えながら教えられながら」

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