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教育に焦点を―絵本ってテストなの?

2024/2/22(木):教育に焦点を

 今日も覗いて下さってありがとうございます。
 木曜日。教育について少し、考えていきましょう。


はじめに


 今日テーマとしたいのは、子どもの真の喜びについて。
 絵本作家の安野光雅さんの優しく鋭いエッセイから学び、考えていきましょう。
 私達おとなの、子どもへのかかわりは無意識下のものが多く、気付かずにいると取り返しのつかないことになる…ということも考えられます。
 安野の教えに耳を傾けることで、「無意識」をきちんと意識し、子どもと向き合っていく道しるべとしていきましょう。

自分の力を保証する

『もりのえほん』という私の絵本があります。これも文字のない絵本で、ページをめくると、森の絵が描いてあって、木の枝、草むらの間に隠れた、たくさんの動物が見えてきます。 
 子どもがこの絵本を見ていると、そばにいるおとなは、子どもが森に隠れた動物を見つけるのを待っていられなくて、何が隠れているのか、おとなが一生懸命教えようとする場面を見かけることがあります。何がいるのか、自分で見つけるところに喜びがある本なのに、それを教えてしまっては、子どもの発見の喜びをうばっている、ということに気がついていないのです。
(中略)教わるのと、自分で見つけるのとの違いは、月とすっぽんほどの違いです。自分でものを見つけた喜びというのは、その子にとって、とても大きな喜びなのです。

「かんがえる子ども」:安野光雅 P61~


 …どうでしょうか?ちょっとドキッとした方、いらっしゃいませんか?
 おとなが「教えてやっている」なんて、どこか優位な気持ちで子どもとこんな風にかかわっているとしたら…子どもの折角の楽しみと喜びを奪う、子どもにとっての「余計なお世話」「ありがた迷惑」でしかないのではないでしょうか。
 子どもが額に汗かき、夢中で課題に取り組む姿、「やってみる」楽しさに…達成感に心を躍らせている姿を奪ってしまう。何より子どもの興味関心の目を摘んで、成長の機会を奪うだけでなくこれからの子どもの人生での「成長欲」ともいえるものを人生から取り去ってしまう危険性を、「無自覚な大人の言動」がもっているということを知り、考えてかかわらなければいけないと思います。

 

絵本や学びの意味

 保育士をしてきて、多くの保護者さんに会って気付いたことがあります。
 それは「子どもには近道を教えることが良い」と思い込んでいる保護者さんが多い!ということ。
 これ!絶対に間違いです!
 「勉強は過程よりも、正解の数を一つでも知っていること」
 「早く気付くことこそが良いことで誇れること」
 「子どもは教えてあげなければ分からない存在」
 「学びや考えることは苦行」
…そんな思い込みは子どもの意欲を削り取り、安易で本来退屈であるはずのゲームに身を置くことに安心感を見出してしまうのです。

 安野さんの文章にもあったように、じっくり自分で向き合った先に芽生える「気付き」こそが子どもの「嬉しい」「楽しい」「もっと!」「おもしろい」「自分ってすごい」の気持ちを沢山経験した子どもは、相手の気持ちも慮り、素直に相手の気付きを喜んだり敬意をもって聞くことができるようになると思います。

 そして絵本についての誤解は…
「絵本の内容をおとなが受け取るように正しく受け取らなければいけない」
ということ。
 安野さんの「もりのえほん」のように文字のない絵本はもちろんのこと、絵本は、自由に受け取って想像して良いものだと思います。絵本の世界のその後を想像したり、登場人物になりきって表現したりすること、子どもたちは大好きなのですが、平気で
「そんなこと、書いてなかったでしょう?」
と「間違っている!」という反応をして子どもを批判する保護者さんもいます。
 もう!!間違っているのはあなたです!
 子どもの考察と想像の自由、気付きの楽しみを奪わないでやって欲しい!そう、心から思います。

 子どもの伸びしろを摘むことのない、子どもの邪魔をしないかかわりをできるおとなでありたい!我が子の子育てを控える今、心からそう思います。
 皆さんも一度、子どもの目を見て一緒に考えてみませんか?

最後まで読んでくださってありがとうございます。
スキ!など、喜びます。宜しければよろしくお願いします。
では、またあした。

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