見出し画像

説教臭い人にならないために気を付けたいこと。

私が「共にいられないもの」を一つあげるとしたら、説教というのがあります。この前、人にちょっとしたお説教じみたことを言われて怒ってしまいました。そのくらい色々なものが刺激されてイライラしてしまいます。汗

とはいえ私自身もですが、少しずつ年齢が上がってくると場面によっては「説教できる側」に立ってしまう、というのも事実です。まあそういう場面になると、「説教したい欲」みたいのが湧いてくるというのは、それはそれでよく分かりますw

一方で説教なんてしてる間は快楽かもしれませんが、結果的に自分にとても相手にとっても得することはないわけで、なるべく減らした方がよさそうです。そこで今回は、説教臭くならないために気を付けたいことについて書いてみます。


相手のことを自分の経験で決めつけない

まず自分の経験が全てという思い込みから脱することが大切ですね。無知の知を嚙みしめるということでもあります。よく言われる話ですが特に最近は時代や技術が常に移り変わっており、ある時通用したものが今では通用しないということも頻繁にありますね。

そうすると、自分の経験でどこまで何かを決めつけてよいのか、というのもかなり曖昧な領域となってきます。自分の中にある「どの前提」がズレているのかも、無知の知に十分気を配らないと自覚するのが難しいです。

これは数年前に言われてブチ切れたことですが、高齢者の方に「なんで共働きなんてしなきゃならんのか理解できない」と言われたことがあります。さすがにその時は「一体あんたらの世代のためにいくら保険料を払ってると思ってるんだ」と言い返しました。

さすがに相手もバツが悪そうでしたが、そこにあるのは単なる情報の非対称性、お互いに知っていることが違うという事実だけです。保険料の金額の違い。普通預金の金利の違い。給与上昇率の違い。30年後の年金への信頼度。ただ違うというのがそこにあるということです。

もちろんそこにある無理解は双方向的なものです。ただし、基本的に社会では年長者の方が不均衡に強めの権力を持てるようになっているので、不快な説教してしまう確率は年長者の方が高くなるという点は気を付けたいところです。

相手の人生と歴史を軽んじずにまず受容する

さて説教に潜むもう一つの問題は、相手の人生と歴史を軽んじてしまっているかもしれない、ということにあります。

説教とはすなわち、「あなたは人生経験がなく分からないだろうから、経験豊富な私が教えてあげるよ」という裏のメッセージも含んでいます。だから不意によく知らんヤツに説教されるとムカつくんですねw

説教するのは気持ちがいいんです。自分の優位性を承認してもらう機会でもあり、自己肯定感が高まります。相手の時間を犠牲にして

そして気の利いた若者なら、合コンさしすせそを駆使して年長者を盛り立ててくれます。「さすがですぅ!」「知らなかったぁ!」「すごいですねぇ!」「センスありますねぇ~っ!」「そうなんですねぇ!」・・・こんな言葉を浴びせられたら脳内快楽物質が止まらないですよね?日々のストレスや激務で前頭葉の働きが弱っていようものなら、「もっと”さしすせそ”をくれ!!」って叫びたくなる自分を止められなくなりそうです。

ちょっと落ち着けと。そもそも、目の前にいる人は、一人の人間として決して短くない人生を歩んできているんですよ。どんな人であれ唯一無二の歴史を持っています

それを勝手に「自分の方が優れている」と決めつけうる理由は何かあるのでしょうか?あなたの人生が相手の人生より優れている証拠はあるのですか?というか比較可能なんですか?

まずは相手にも相手なりの人生と歴史があるということを、受容したいものですね。

経験を伝える前には許可を取ると安全

さてそうは言っても、何らかのアドバイスをどうしても伝えたい・伝えるべきと感じるシーンは出てくると思います。そして中には実際にそうした方がいいケースもあるでしょう。

そんな時は「許可を取る」という関わり方が役に立つかもしれません。「役に立つかは分からないけど、自分の経験を話してみてもいいかな?」とまず聞いてみる。もちろん、基本的に断られないことが多いと思います。もしここで「いや、その話はしないでください」となったら相当な心理的安全性がある証拠ですw

それでも、「お前らなぁ、、俺の若いころはだな・・・」と説教をおっぱじめるよりは大分マシです。どうしても自分が抑えられなくなったら、こんなワンクッションも試してみてください^^


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?