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生活の質第一スパルタkaigo2

63年間続けた仕事をやめてから転がるように老人化、ボケが加速する母を、スパルタ介護する話。

5月に入ってから、今までなんの支障なくやれていた事の記憶が無くなることが増えた。人と会わず、刺激が少なくなったことが原因と思われ、外出や歩くように勧めた。
これを真面目に実行した母は、足を痛める。

「足の裏が痛い」
との連絡を受けて行ってみると足の裏に湿布をしていた。
「整形の先生が歩きすぎだって。出歩かないで安静にだと」
歩くことを勧めた癖に、靴にまで気が回っていなかった。悪いことしたな。
それも気になったが、これ以上、刺激が少なくなったらますますボケる。
焦ったが仕方ない。早速母の靴をチェック。自分とサイズが同じなのでその時履いていた靴を試してみる。
なんて底の薄い靴だ。こんなん履いてたらそりゃ痛めるわ。
自分は高いインソール買ってる癖に。

普段母が履いている靴を全部履いて足先まで確認して、すぐインソールを購入した。何度か試しばきしてもらってカットする。

今更だが、やっておいて損はない。
母は楽だと喜んでいた。
それから1ヶ月病院ばかり行くことになるのだが、その際やはり履く時に不便なのでハンズフリーのジューズを購入した。

インソールはこちらに敷いた。履きやすいらしい。うーん。もっと早くやっていれば。

足の湿布をはじめた翌日今度は腰が痛いと訴えはじめる。
湿布を腰に貼ったりしたのだが、痛い痛いと訴えるので、週明けに大きい病院へ行くことになった。行く前はこの病院で以前手術してもらった主治医がいいと言っていてその担当日まで待つと言っていたが待てないくらいに痛い、とのこと。嫌な予感がしていた。担当医のことをとても信じているので、変えてくれと言い出さないかな、と心配していた。
当日、痛いから車椅子を用意してくれ
座れないから寝て待つ。などの要求に、それを伝え聞いた先生、診察始まってすぐ、「入院する?とりあえずそれでいろいろ検査したら?」と聞いてくれる。すぐその気になる母は「そうする?」などとこちらをみる。アイコンタクトでNOと応える。
まァまずレントゲン、ということで一旦そちらへ。2人になったところで。車椅子の母に。
「あなたね、今自分がだいぶ危ないこと分かってる?あなたがいちばん危惧してる寝たきりになってボケが進行するよ。医者なんかあなたの頭の健康なんか知るわけないじゃん。痛い痛いって寝てたらそのままボケ直行!入院なんかもってのほかだよ」というと。
「そうだわねぇ。」
「当たり前じゃん。整形の先生なんだから頭なんか知るかだよ。」
急に不安になった母、車椅子から立ち上がる!!
歩行器に変えて、そろそろと歩き出す。
いや、そこまでやれとは。
結局レントゲン取ってから、歩行器でガラガラ院内を歩き出す奇行、看護師さんに大丈夫ですか?と聞かれる始末で。「大丈夫です。なんか調子出たみたいで」
そして、診察になり。
「レントゲンでは所見はないです。もちろんMRI撮らないと細かい骨折は分からないけど、入院やめとく?どうする?」
「大丈夫でしたら入院はしなくて通院でお願いします。ボケが心配なので」
「そういうこともあるからねぇ。やめとくか。」ということで1週間後に再診、痛み止めと胃薬の処方がでた。痛みが酷かったら受診してくれとのこと。とりあえず大きな骨折ではないよう。そして入院も回避できた。
ほっとしたのもつかの間で、次の日恐ろしいことが起きていた。
「あの医者、薬も出してくれないからやっぱり主治医の先生に診てもらいたくてかかりつけの先生に頼んで診断書依頼したら診察2週間後になった。もう痛くてやれん、どうしよう」というホラーな連絡が来た。
「な・に・を・し・て・く・れ・る・ん・じゃ!!!」

とにかく母の元へ。
「どうしたのよ。」
「痛くてやれんのに、薬もないからあの先生じゃだめだと思って主治医の先生にしてもらいたくて頼んだら2週間先になってしまった」
「はぁ?薬出てたでしょ、昨夜飲んでないの?それは痛いに決まってるじゃん!」
まるで初めて聞く顔をして「薬出てたかいね〜」ときた。

これはまずい。
今まで薬はいつもちゃんと管理してやっていたのでまさか!だった。処方自体忘れているとは、、、
出された薬は山と積まれた薬袋の上に置かれたままだった。
「ここにあるじゃん」
「これはなんだね?」
あかん。これはあかん。
参った。ここまでとは。下手に行動力はあるので電話して何とか出来ちゃうんだよね。
すぐ薬をだしてとりあえず飲ませた。夜はこれこれ、だしておく。
とりあえずマッサージしてあげるからとベッドへ、横になるのも一苦労だけど、私がいなくてもやらなきゃならないのだから敢えて手を貸さず「はい、頑張って!」とうつ伏せになってもらった。
患部をさわると熱も持っていないようだし、揉んでも特に痛がらないむしろ気持ちよさそう。折れてたら痛いだろうし、これ以上どうしようもない。
だって診察伸びちゃったんだもの。
夜、LINEで薬を飲むよう促す。
「忘れてたぁ」
ガッカリする。あんなに言ったのに。
次の日から怒涛の痛い痛いムーブのため、毎日背中をマッサージしに行く。
それと、思いついたことがあったのでダイソーへ。

この7DAYSのピルケースを買いに行った。
これがものすごく役にたった。
飲んでいないのもこれを見れば一目瞭然だし、本人も忘れたのか飲んだのかすぐ分かる。
今は私と確認ながらだけれど、そのうち自分で入れられるようになってもらいたい。
そして、その後も痛みは治まらず、何とかしてくれと訴えるので、「最近できた整形にはMRIあるから、そこに行こう。レントゲン撮ってもらってるしあとはMRIだから」
と言うことでMRIを備えた病院に連れていくことに。
大人しく最初の先生にしていたらすぐ診て貰えたものを、担当変えろとごねた手前、無理やりねじ込んだ元主治医の診察を動かせない。痛がるのを可哀想とは思うけど自業自得だし、何してくれたんだ。病院変えるしかないよね。
MRIの結果は、疲労骨折だった。それは痛いよね。骨が潰れているとの事、注射をうってもらいリハビリを受ける。
この病院はリハビリと車の送迎があるということで母はすっかりその気になり、コルセットの型どり送迎の申込み初回のリハビリを受けて1週間後の診察とリハビリを予約した。
診断がおりて安心したようだった。
そして次の日、さらに恐ろしい事態が待っていた。

つづく。

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ちょっと寂しいみんなに😢