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数字の力に負けそうな気持ちと戦ってみる

ちょっと、ちょっとだけね。
書いてから反省しているのです。


年末のホリデーシーズンにしては毒が多かったね


noteから届いた今年のレポート。
Twitterでシェアされるその画像を見ていると、なんだかちょっとだけ心の奥がちりりと痛んだ。

だってたくさん書いている人やたくさんスキをもらっている人と比べてしまったから。

ごめんなさいね、我ながら心が狭いのよ。

数字ってはっきり成果を表すから、人より劣ってるとわかっちゃう。
たとえ物事の本質がその数字ではなかったとしてもね。あ、わたしぜんぜん頑張ってないなって。

自分の中で評価しておけばいいのに、悪い癖。

で、その数字の強さに負けそうになったので、あえて真っ向から向き合ってみようと(馬鹿なの)。

ひとことお断りをしておくと、誰かを貶めたり必要以上に卑屈になったりするつもりはまったくなく、あくまで全部「わたしじしんのこと」です。

そんなわたしの2019年のレポートがこちら▼

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(ほーら、絶妙にしょっぱいでしょう。)


たった35本。
それでも読んでくれた方がいたんだなあ、ありがたいなあ、というのがひとつ。

うじうししてばっかりいないで、もうちょっと頑張りなさいよねわたし、というのがひとつ。

いやでもちょっと待て、ただの趣味なのに頑張って書く必要あるのか?というのがひとつ。


はじめては観劇の記録

わたしが初めてnoteを書いたのは2月。

田中圭主演の舞台「チャイメリカ」の観劇レポだった。旬の俳優の作品についてだったから、初投稿にして一番多く読んでいただけた文章。今読み返してもやっぱり一発目だから気合いが入っていたと思うし、すごく準備して書いた。長くて重たい内容だけど(舞台も、自分のnoteも)、共感してくださる方がいてとても嬉しかったな。

そこからちらほらと観劇レポを投稿し、公演の度に少しずつじわっとビュー数が伸びて。noteユーザーの方ではなくおそらく主にTwitterの検索で目に留めていただいたんだと思う。

人間はどんどん忘れていってしまうから、生ものである演劇やミュージカルを観て感じた雑感は、多少拙い文章でもアウトプットしておくと自分の中に留まってくれるものがあったり思わぬ閃きを得たりする。

観劇記録は公演期間が過ぎたら需要はないものだけど、自分の思考の整理のためにこれからも無理しない程度にやっていきたい。
もう既に結構サボっているけれど。


掘り下げ力が足りない

そんな感じで舞台のことをちらほら書いたあと、自分のことも書くようになったのは7月に入ってから。休職期間の終盤で、思考のリハビリみたいなつもりで書き始めた。ここから月4~5本くらいのペースで投稿している。まあ、凡人が平凡を着て歩いている自覚のある私自身のことなんて誰も興味ないわけ。大半が壁打ちよ。

(そんな中スキを押してくださったりシェアしてくださったりする方ほんとうにほんとうにありがとうございます。)

自分自身の経験から書くから、文章を書くだけなら書けるんです。そこから一段頭の中にあるものを掘り下げるのがまあできないできない。ふだんぼんやり生きているので。


これは長い長い独り言なんだけれど、

ぶっちゃけ、そういう20代30代いっぱいいるでしょ?SNSやっていると「なんかみんなすごい人に見える病」を発症しがちなんだけど、きちんと頭を使って発信できている人なんて一握りで、あとはみんな誰かの真似をしたりそれっぽいことを大きな声で言ったりするだけ。あとは毎日の仕事やら人間関係に疲弊して、ただ漫然と目の前のタスクを片付ける働き蜂。成長だのなんだの、手くらい出すかもしれないけど、結局明確なゴールがあるわけでもなく成し遂げたい仕事があるわけでもない。会社だってどんどん辞めていく若手になす術なく、でも即戦力は引き留めなくちゃいけないからわけわかんない感じで迷走していて、あーもうなんだかわたしだって辞めちゃいたーい。そういう人、いるでしょう?なぜそんなこと言えるかって?私自身がそうだから、あと周りにもいっぱいそういう人がいるからだよ。


~独り言(完)~


さて、そうそう、掘り下げ力。

ついつい「読まされる」なあ、と感じる人の文章はそこら辺の掘り下げ具合が絶妙。全部掘り返すでもなく、勿体ぶったり表面をなでるだけだったりするでもなく、ちょうどよく深掘りしてある。

わたしはまだまだ掘り下げ具合が足りない。薄っぺらいなあって思う。読ませるパワーがないもの。これは!というトリガーに出会えても、掘り下げる力がないとそれも無駄になっちゃう。

これには正攻法しかなくて「本を読め」だと思っている。道具がないのに素手で掘ったってたいした深さまでは掘れないもの。本を読んだり人から知識をもらったりしてインプットして、自分の中に道具のストックを持つしかない。そうじゃないといつまでもうすーいものをさらにうすく引き延ばして切り売りするしかない。

そんな大人にはなりたくないって思っていたのに、そんな大人になりかけている。

はー情けない情けない。


で、結局なんのために?

結局、このnoteというサービスをどうやって使うかというはなし。

自分が書きたいから書く。
考えたことをまとめたいから書く。

なのか、

誰かに見てほしいから書く。
広く情報発信したいから書く。

なのか。

どっちもあっていいと思うけれど、自分が書きたくて書いたものを読んでほしい!選んでほしい!はただのエゴなので、あまりやりたくないな。

もちろん、書きたいものを書いて、それで読んでもらえた、選んでくれた、は理想的だけど。
でも前述の通り、平and凡なアラサーの自分語りに需要はない。

だからやっぱり指標は自分の中に持っていたくて、書きたいことを書くスイッチと、これは読んでもらいたい!というスイッチ。どっちもほしいな。

そういう目的意識なしに自然に文章が書ける人は才能だなって思う。

まあまあ、どちらにせよ、練習が必要だ。


そういうわけで


つよい言葉を書くのは苦手なので、きっと来年もゆるりと書いていると思います。

今よりもう少し、掘り下げることが実践できるといいな。


来年もよろしくどうぞ。

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