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『理論』と『論理』の定義

理論と論理の違いって? 意味や使い方はどう違うの?
以前、WordPressの方で掲載していて非常に反響があった記事ですが、本格的にnoteに移行しようと思い、WordPressの方は閉鎖したので再掲載します。(加筆・修正いっぱい!)

理論の意味

【理論】
・重力、時間、物理法則
・数学、公式、確率、計算
・法律、スポーツなど限定領域内のルールを前提とした話し

理論とは、全ての人に等しい絶対的な理(ルール・パターン)
客観的な根拠(データ)があり、条件を満たせば再現・証明可能というのが最低限の定義になります。

理論=絶対ではない

矛盾するようですが、絶対的でなくてはならない理論は実は絶対ではなく、条件1つ変われば崩れてしまう程度の短期保証に過ぎません。

黒板上の計算式と違って、現実や生物は常に相互影響を起こし、一定の条件下を固定することは不可能。
イレギュラーな事態が発生して事情が変わったり、新しい理論が出現すれば簡単に覆ってしまいます。

また、理論自体が正しくても「それを使う人が正しく使えていない」というケースもしばしば。

理論的な話しあいとは?

現時点で最も信頼できる理論をベースに計算や設計を構築すること。
それ以上でも以下でもありません。

論理の意味

【論理】
・あの店はいつも混んでいる⇒美味しいに違いない!
・今までこのやり方で失敗していない⇒これからも同じやり方で大丈夫!
・自分を満足させる異性と出会えない⇒異性は劣った存在だ!


論理とは、人により異なる個人的な理(自己ルール・思考パターン)
大雑把でも短絡的でも、本人の中で矛盾がなければ論理たりえる。
客観的な根拠(データ)のあるなしは関係なく、根拠の質も千差万別。
ジンクス・主義・経験則・思い込み・思い入れ・偏見・先入観を含む、主観ベースの見解というのが最低限の定義になります。

論理的=絶対ではない

論理的だからといって、物事が想い通りになる訳ではありません。
それは「一生懸命、詳しく説明したんだし、もういいだろ、こっちが正しいに決まってる!」レベルの癇癪であり、まさに論理の飛躍です。

その説明が本当に論理的であったか? 評価・判断するのは相手のモノサシ次第。例え話しの内容自体を理解してもらえても、その上で共感・賛同を貰えるかは、また別問題。

『論理=理論』と誤解して『論理的に〜』を絶対視すると、結局は自分自身を神聖視することになってしまいます。
低レベルな暴論・極論を盲信したり、どっちが論理的であるかを競って議題そっちのけで叩き合ったり、論理的であっても非生産的では本末転倒です。

論理的な話しあいとは?

お互いに、己の意見・考え・主張を(自分なりに)最大限解りやすく噛み砕いて説明しようとする姿勢。
それ以上でも以下でもありません。

いかがでしたでしょうか?

理論と論理。字面は似ていても、その意味はまったく別物。

専門知識を用いる話しでもない限り、『理論上〜』『理論的に〜』というセリフは使いません。大抵は『論理的に〜』を使うべき場面での誤用です。

『論理』は、お互いの意思疎通を円滑にするツールであれど万能ではないし、言い分を通す権利や正しさの証明、相手を従わせる攻撃手段ではない。
それさえ自負していれば、素晴らしい恩恵を与えてくれます。

以上、まいのこでした。スッキリして頂けたなら幸いです。
良いコミュニケーションを!

※当記事の掲載内容は個人的な見解・考察です
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