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未接続の人たち / 社会とも自然とも繋がっていない / この世と自分との関係性を見直す

今回けっこう辛口になってしまったので、苦手な方はご注意ください

『未接続の人』

というのが非常に多いなと感じるこの頃です。

人は『群れ社会』を形成して生きるタイプです。地球の生物として『生態系にも組み込まれてる』わけですよね。

大きなシステム、大きな輪の中に接続されている。
そして全体と個、お互いに影響されたり、影響を与えたりしています。

当たり前バナシです。

ところがですよ・・・!!

自然と社会。2つの輪の中で(内包される細かい輪を含めて)生きていながら、それを忘却してる人 が多いんです。

SNSを見ていると、自分だけ ポツンと浮かんでる点 みたいな視点で話している人ばかり・・・。

実際の例をあげてご紹介します。

具体例:代替肉の価値がわからない人

海外にお住まいの方で『最近プラントベース肉がグイグイきてるけど、実際どうなの?』と。各チェーン店から続々発売される代替肉バーガーを召し上がったそうなんですが、結論は『オススメできない』なんです。

理由:畜肉バーガーに比べて高いから

味の方は全然問題ない、むしろ言われなきゃ気づかないほど完成度が高いと太鼓判をおしてる。

でも、通常2〜3ドルのバーガーが5〜7ドルになるからダメ だと。あまりにお得感がないじゃないか〜という話しだったんですね。

興味深いと思いませんか??

🔸自分は健康志向である。
🔸だがチェーン店のバーガーを愛する。
🔸ヘルシーに生きたいが、その食べ物を作る環境はどうでもいい。
🔸お得感がないなら無価値。
🔸ダメ商品なので他人にも勧めない。

その方のお話しをまとめるとこうなりました。『複数の矛盾点』にお気づきでしょうか。

この方にとって代替肉バーガーは『目新しさだけのボッタクリ商品』としか映らなかったようです。

なぜその価格なのか、なぜ買う価値があるのか、それがどう自分の未来に、世界に影響するのか。

なぜ代替肉が発明され、ここ2年とてつもない勢いでプッシュされているのか。

開発背景・現状・将来性。なにもわかってないし、関心もないんです。

安さ・うまさ・量・利便性・話題性。
いかに手軽に腹が膨れ、財布が痛まないか。

『買う』という行為は 自己表現・投資・体験・経験の獲得・投票権利の行使である という本質を忘れているんですね。もう完全に。

究極の消費者。消費するために消費する者。

こういう消費者がなにを消費してるかって『自分の存在価値』なんです。

なぜそれを選ぶのか。選択に主体性・本人性が一切ないので、『モノ引換券=お金』を惜しむ代わりに『自分の存在=魂』で支払ってるんですね。

ただ時間と体力と金をすり減らす人生。生きてるというより死んでないだけ。金を温存する目的もないのに、金というモノ自体が『皆が求めるイイモノ』だと思っているから、お金自体が豊かさだと錯覚しており、払うと貧乏になると感じている、

社会経済という仕組みの中に、自分自身が接続されてない方の感性です。


具体例2:野生動物を見習えと嘆く人

親猫がベビーニャンコのお世話をしてたり、肉食動物が草食動物の子を助けているような感動(?)シーン。そういうアニマルニュースがあると

『素晴らしい!これぞ愛!愚かな人間は見習うべき!!』

というコメントで溢れるんですね。もしコメントが3件しかつかなくても1件はコレになります。

興味深いと思いませんか??

確かに人間には、愚かな面も残酷な面もあります。しかし動物が絶対やらないレベルの優しさも沢山持ってるんですよ。

🔸高齢者介護
🔸障がい者サポート
🔸未熟児の集中治療
🔸健康保険制度
🔸年金制度
🔸お見合いサービス
🔸メガネや補聴器の開発

野生の世界では『弱い個体』は切り捨てられます。そりゃもうあっさりと。

育児がストレスになって『子を捨てる』なんて日常茶飯事です。
親自身が『子をバリバリ食らう』こともあります。
子育てが終われば基本『解散』で2度と世話しません。
新しいボスは目障りな『前のボスの子ども』を全滅させます。
役に立たなくなった『年寄り』は放置。
『異常や病気をもつ個体』も見捨てられます。
同種の子が真横で飢えていても『餌を分け与える』ことはありません。

弱者に対して、容赦無い。非情で無慈悲、とことん冷酷なのが野生動物の世界です。

自分個人に発生した問題を、他人に解決して貰うなんてあり得ないんです。

ここまで手厚く手厚く『自己犠牲的なほど他を全面サポートする生き物』は、過去すべての生物と比較しても人間だけでしょう。

誰もが、そのやり過ぎなほどの『優しさの恩恵』を受けています。毎日、あらゆるシーンで受けまくっています。

でも忘れちゃうんですよ。それが『当たり前』だから。自分が健常者で『守られている自覚』が薄いから。

だから、隣の芝生(動物のごくわずかな一面)を見て

ああ動物は優しい!人間はヒドイ!
人間批判できる自分はなんと謙虚で尊いのか!

と自己陶酔しちゃうんです。安いセルフイメージで酔っ払いになる。

アチラはいいがコチラはダメ、だが自分だけは特別だ(それに気づいてるから)

ゼロ感謝でふんぞり返って、サポートだけはバンバン受ける。

これも社会という仕組みの中に、自分自身が接続されてない方の感性です。


具体例3:百均のパクリ商品で『高みえ』を狙う人

もともと百均っていうのは『ビンボー臭いもの・場所』だったんです。安かろう悪かろう。無いよりはマシ程度の位置づけ。

『なんのこだわりもない人』がいく、底辺のイメージだったんです。

ところが、Francfranc系のヒット商品を露骨に『パクる』ようになって潮目がかわっていったんですね。2008年辺りからだった気がします。

いまインスタでキラキラと『百均ライフハック』投稿してる人たちっていうのは、もともとは百均にこない、どちらかといえば毛嫌いしてる層だったんです。

非正規雇用もどんどん増えて、オシャレ雑貨を定価で買い揃えられる人が激減。でも百均に行けば100円で『類似品』が買えるんで難民がドドドっと押し寄せました。

味をしめた百均はキッチン雑貨や掃除用品など、有名ブランドのヒット商品を片っ端から調べ上げ、後出しジャンケンするようになりました。バズってたらパクるの精神(マーケティングともいう)

ちょっと待っていれば百均に『ジェネリック版』が出る。
味をしめた消費者は『本家』から買わなくなっていきました。

興味深いと思いませんか?

商品ができるまでには、企発や試作を何度も練り、膨大な時間・コスト・リスクをかけています。無から出てくる商品はありません。しかし、百均はそこに『タダ乗り』してくるわけです。しかも消費者は『安いから』『店舗多いしまとめて買いやすいから』とそっちを選ぶ。

もちろん、パクられた側(本家のメーカー)はたまったもんじゃありません。少しでも物作りをした経験のある方なら・・・いや、ない方でも想像すればわかりますよね。

バカらしくて、オリジナル商品を開発するのがイヤになりますよ。もう絶対に百均じゃマネできない、高級路線・専門分野に舵をきらないと負け戦なんですから…

パクリ商品を買い支える行為って、自滅行為なんですよ。

パクリ元がみんな消えてなくなったら、百均はなにも作れなくなる。魔法が解けて、元の『安かろう悪かろうの薄暗い店』に戻ってしまうんですね。

節約術のツケ。残される選択肢は『粗悪品』 or 『高級品』

ウンと支出が増えるか、ウンと見窄らしくなるか。

売る側も買う側も、後先考えてないんです。

高みえは『ドケチの高見栄』の略。

ひっそり楽しむ分にはいいものの、堂々とマネしてね〜と吹聴することではない。間違っても『上手な買い物をした』というステータス ではないのです。

パクリ品をいかに安く買えたかは自慢じゃないです。だってそれは『本来の作り手が儲けられなかった』『アイデアや技術が盗まれ、安く雑に売り払われた』『見えない犠牲の上に成り立つ搾取の構造化に加担した』という意味ですから。

百均自体が悪いと言ってるんじゃないです。パクリ商品の買い支えが問題なのです。自分が同じことされたらうれしいですか??

昭和の時代、ケチはクズと同じくらいの『最低』という意味で使われる蔑称でした。

しかし不景気になり『節約術』『ライフハック』『やりくり上手のステキ奥さま』というイメージ持ち上げられるようになると(もちろんこれは大衆をなだめる印象操作です)

必要な出費まで惜しみ『とにかく1円でも安くすれば勝ち=価値』という風潮が蔓延しました。

他人を貧乏にしてでも、自分の預貯金を守る生き方に『いいね』がつくのです。

小銭を惜しんで、貧しさを生むループを回す。その中には自分自身も含まれているのに。

今日の財布をヘコませないために、未来の自分を捨て値で売り払う。それ、本当にお買い得ですか??

これも、社会という仕組みの中に、自分自身が接続されてないから生まれる価値観です。


具体例4:『バズった特定外来生物』だけを駆除する人

もう数年前ですが『ナガミヒナゲシは特定外来生物!』『見かけたら全部抜け!』というツイートがバズりました。

それからというものの、指名手配犯となったナガミヒナゲシをぶちぶちと引き抜く『ボランティア活動』を報告する方 が増えました。

生態系もクソもない道路脇だろうと『種を飛ばすから』とブチブチ。グシャグシャになった哀れな花束(取れ高)をニコニコとアップしていました。

彼らは『悪者』にされたナガミヒナゲシだけを引き抜いて、自分は 環境に貢献したヒーローである と自負していたんですね。

しかし、シロツメクサ、西洋タンポポ、ヒメジョオン、ハルジオン、その他の外来種はは無視しています(むしろ愛でる)

だって『みんな』が『悪者』と見做していないから。

興味深いと思いませんか?

そもそも外来種とはなんでしょうか。人が関与しなくても台風にのったり、波に乗ったり、鳥のおなかにはいったりして、種(種族)は旅をするものです。

『在来種が脅かされる』といいますが、地球が生まれてこの方、今までに何億の種が生まれては滅んできたというのでしょう。人が少しでも関与しているなら悪、自然の流れなら仕方ない。その線引きはどこに??

在来種がいなくなることで地球は滅びません。地域一帯がハゲ坊主になることもありません。自然はそんなヤワじゃないんです。

『ああ居なくなってしまったね』と 人間が『勝手に』寂しがったり、後ろめたさを覚えてるだけ なんです。

何もかも自分のせいだ、だから何もかも自分が管理してあげるべき。という『傲慢な上から目線』がそこにあります。

自然界という仕組みの中に、自分自身が接続されてないから生まれる価値観ですね。

いかがでしたでしょうか?

具体例はまだまだ出せそうですが、クドくなるのでここまでにします。

社会経済においては、自分自身がどれほどの影響力を持つか失念している。

自然界においては、自分自身がどれほどちっぽけな影響力しか持たないか失念している。

経済の輪からも、自然の輪からも外れ、ポツンと漂う『未接続の人』
その無防備な背中には、テレビやSNSから伸びる『操り糸』が縫い付けられている。

世界と自分との接点が バックドア(支配・被支配)しかない のです。

彼らは『ぜんぶ自分で決めている』と思い込んでいるけれど、実際にはなにも決めていない。『決めさせられて』『模倣している』だけ。

どうしてそうなるのか・・・その理由には『利無』『貧しさ』があります。この貧しさとはもちろん『お金』のことではありません。

そちらについては、また別記事で書きます。ここまでお読みいただきありがとうございました!

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