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それは私の知ったことではない

2024年5月11日 晴れ

唯脳論の冒頭。

現代とは、要するに脳の時代である。
情報化社会とはすなわち、社会がほとんど脳そのものになったことを意味している。
都会とは、要するに脳の産物である。
(中略)
伝統や文化、社会制度、言語もまた、脳の産物である。
したがって、我々はハード面でも、ソフト面でも、もはや脳の中にほとんど閉じ込められたと言っていい。
(中略)
滔々たる人工環境化に対抗するものとして、自然保護運動が盛んである。
しかしこれは、どこか検討が外れている。
なぜなら、「自然」保護とは言うものの、実は自然そのものが問題ではないからである。
問題は脳の浸潤をどこまで許容するかであり、つまりは脳が問題なのである。
(中略)
現代人は、脳の中に住むという意味で、いわば御伽噺の世界に住んでいると言っていい。
(中略)
御伽噺に異をたてるのは、現実である。
現実とは、我々を制約するものに他ならない。
したがってそれは、歴史的には常に自然だった。
しかし、我々を制約するものは、今では脳になってしまった。
すなわち、自己の生活を左右できない自己の脳、あるいは自己の生活を左右する他人の脳、である。
(中略)
脳がもはや夢想ではなく現実である以上、我々はそれに直面せざるを得ない。
そこから我々が解放されるか否か、それは私の知ったことではない。

唯脳論

途中まで読んで、そのままになってたけど、今日は、女子チームがお友達と遊びに行って時間が出来たから、改めて頭から読む。

それは私の知ったことではない。

から始まってたなんて、そそられますね。

しばらく本から離れてしまってたけど、また読みたくなってきた。

わかんないんだけど、わかろうとすることは、楽しいことと思う。

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