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初詣誕生の年、日本人が思い出すべき伝統一覧、古い順ランクは?

~西暦1868年10月23日(明治元年9月8日) ここを基準にしてみましょうか~

高校の歴史の授業で、明治新政府の最初の仕事は天皇の存在を知らせることだった。ときいた時、本当かいそれは? 嘘くさいな と。

でもよく考えてみると確かに、ほとんどすべての国民は天皇を知る機会はないですよね?

学校も新聞もなくバスも鉄道も本屋もない。そして害をなすとすると怖いのは大抵は北朝鮮や中国ではなく隣潘。あとは江戸幕府。そういう人がいたとしても関心持てないのも無理はない。

交通機関と活字のなさに加えて関所。「日本人」という意識があったかは疑わしい。

言葉も通じないのですよ。

聞くとCNNのほうがよほどわかる。

どうぞ 

今話されている標準語は明治の人工語のようですね。

それ以前は

奥羽「ずんだらべっがやずんらめんでらせずよな?」

九州「ばっどん、でんがらさぐらずたいまあばってん」

秋田「んだんだ」

江戸「なにが“んだんだ”だよ! あんたら通じてんの?」


 「【秋田弁講座】
アドバンスド(あとは夜やりましょう)
マイノリティ(前に乗りなさい)
グローバルスタンダード(苦労ばかりしたそうです)
アジェンダ(あ、お金だ)
エビデンス(海老であります)
ユビキタス(指を切りました)
クラスター(暮らしています)
アベンジャーズ(行こうかそれじゃ)」 / Twitter

日本語においては、明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の教養層が使用する言葉(山の手言葉)を基に標準語を整備しようという試みが推進された[7][8](そのうち最も代表的で革新的だったのは小学校における国語教科書である)。これに文壇の言文一致運動が大きな影響を与えて、「標準語」と呼ばれる言語の基礎が築かれた。(wikipediaより

※まずは二葉亭四迷ですが、完成させたのは夏目漱石。漱石は文学的には今や価値はないと個人的には思いますが、日本語創設の功労は巨大です。

それはいいとして、詳しくないので調べながら書く。

年表をつくります

ネトウヨ伯父

「和」の精神は教育勅語から、とみるべきなので、和も何も言葉が通じていないので、それより「パン」のほうが古い? 

では初詣

方位は方違え(かたたがえ)として昔からありましたが節分に吉方位の神社に行く習慣が江戸の一部にはあったそうです。

1872年(明治5年)、東海道線が開通し、川崎大師へのアクセスが容易になる。川崎大師は江戸から見て恵方にあたり、行楽も兼ねて参詣に行く人が急増し、特に1月21日の縁日(初大師)は大盛況となった。

この吉方位とされる恵方は5年に一度しか来ないとのこと。それ以外の4年間は正確には恵方はない。なので詣でない。ほかには「年籠もり」「二年参り」「恵方参り」など。どれも作法はバラバラなので初詣ではない。

https://diamond.jp/articles/-/156382

「初詣」という言葉は、1885年(明治18年)の『万朝報』記事を管見の初出と紹介している。鉄道網の発達に伴い、成田山新勝寺など郊外・遠方の社寺にもアクセスは容易となり、また京成電鉄や京浜急行電鉄など、参拝客輸送を目的として開業された鉄道会社も登場した。年ごとに変わる恵方に対して「初詣」という言葉がよく使われるようになり、大正時代以後は「初詣」が主に使用されるようになった。

大正!

ま、川崎恵方の1885年を初出としましょう。ただし広まっていないので「初詣に行こう」といおうものなら、「なにそれ?」と訊き返される。

はつもうで

ラグビーの伝統は?

日吉のグランドにはラグビー発祥の地として記念碑が建てられている。チームの歴史は1899年(明治32年)、当時慶應の英文学教員であったイギリス人エドワード・B・クラークが 略

009ラグビー発祥の地-thumb-autox500-6351

おせち料理

お調べになるとわかるかと思いますが、戦後、デパートの販促として各地の節分の食べ物を重箱に詰め、儲かりまっせ?という企画開発商品だったそう。

いわれてみると

「豆でまめに働くってか?(笑)」

というデパートの販促企画会議での親父ギャグが幻のように聴こえてきた。

う~ん

おせち

テニス 

日本に正式にテニスが伝わったのは1878年(明治11年)のことでした。 文部省が体育の教員養成の案を考えていたところ、アメリカ人のリーランドという教師を呼んでテニスを紹介したのがきっかけです。

初詣よりテニスの方が古い。

てにす

とするとあの体育着の伝統は?

ブルマー

女子高等師範学校では、留学先のアメリカから井口阿くりが持ち帰ったブルマーが体操着として1903年に最初に紹介され、

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なんか変な雰囲気になってきましたが、

1903年に日本で産まれた古式ゆかしいブルマーという伝統は令和には終わっているという言い方でいいのでしょうか?

お花見

日本の花見は奈良時代の貴族の行事が起源だといわれる。奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていたが、平安時代に桜に代わってきた。また『万葉集』には桜を詠んだ歌が43首、梅を詠んだ歌が110首程度みられ、梅花の宴のように梅を観賞しながらの歌会も開かれていた。これが10世紀初期の『古今和歌集』では、桜が70首に対し梅が18首と逆転している。

これが起源。例のデタラメではなく本当に古いですね。ま、習慣で特定の花をめでる人は太古の酋長にもいたかも。もしかしてそれはひまわりだったりして。

広まったのは

花見の風習が広く庶民に広まっていったのは江戸時代といわれる。名高かった花見の名所が忍岡で、天海大僧正(1536年(天文5年)? - 1643年(寛永20年))によって植えられた上野恩賜公園の桜である。1720年(享保5年)に徳川吉宗が浅草(墨田川堤)や飛鳥山に桜を植えさせ[12]、庶民の行楽を奨励した。

相撲

調べてわかりました(これは神事論争のあるヤバネタなので回避)

古事記によると鹿島の神と出雲の神の対決が起源とのこと。

え、記紀の弱みは数百年後に加筆修正されて違う話になることが多い点。

霊視でみえたとか、デタラメな書き換えだとしても、そうだった可能性が0.00000001%ある。書かれていないだけで偶然の確率であったのかもしれない。

(ex 小野妹子はインド人を刺した。即興のデタラメですが可能性はゼロではない)

神事かは極めて怪しいものの徳川将軍には好む人もおり天皇がいる京都とは離れた江戸で隆盛。一時期、不人気で滅亡しかかるも明治天皇の天覧相撲で息を吹き返した。

こういう話は距離を置きたい。というのも個人的体験

■ではランキング決定 古い順から

☆1位 お花見    奈良時代

☆2位 木村屋のパン 1867年 

☆3位 テニス               1878年

☆4位 初詣           1885年

☆5位 ラグビー   1899年

☆6位 和の精神   1890年

☆7位 ブルマー   1903年

☆8位 おせち料理        戦後の朝鮮特需の頃


初詣に関しては各鉄道会社の努力で浸透しつつ、一気に流れを作ったのは【明治神宮創建】の直後の1921年。これで国民行事になった。

ちなみに早慶戦

早慶両校は一躍球界の頂点を争う存在となったが、同時に応援合戦の過熱も招き、1906年秋、第1戦に勝利した慶應の学生が大隈重信邸・早稲田正門で万歳を行えば、第2戦に勝利した早稲田の学生も福澤諭吉邸・慶應正門に大挙して万歳三唱を行うなど、両校応援団は一触即発となる険悪な状況となった。

1906年でこの熱狂

新聞などで盛んに報じられる早慶戦の方が初詣より先に国民を巻き込むイベントになっている。

順当でしたか?

ちなみにお餅

土地の作物が米である地帯では風習は存在した。取れないとダメ。他の土地の作物を土地の神に捧げると神は怒るためでだから新潟以外の人は越後の切り餅はダメ





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