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野口悠紀雄。元大蔵官僚、一橋大教授が語る「平成経済史」(文字起こし+図)

平成とは世界経済の大きな変化に日本は取り残されて地位が低下した時代である。

同じ場所にとどまるためには懸命に走らなければならない。それをしなかったのが平成である。

キャッチアップせず大きな変化に気づいておらず、今も気づいていない。

そう野口教授は語る。

大きく年代を分けて説明する。

1990年代

80年代のバブルが崩壊した時代。特徴的なことはバブル崩壊に気づいていなかったことである。

90年の大崩壊は株価の下落から始まった。

でもバブルの象徴であるジュリアナ東京は91年にできた。つまりこの時点で世の中は危機の深刻さに気づいていなかったことが分かる。

日本は一時的な足踏みで繁栄はまだつづくと。

ジュリアナ東京3


二日酔い経済はしばらく続き危機感もなく、変わるべきことに誰も気づかなかった。

95年は重要で阪神大震災が起きた年、ここから日本人が後退を体感しだしたが破綻はその前に起きていたのである。

バブル発生にも気づかなかった。株価や地価の上昇は崩壊するようなバブルではなく競争力の強い日本成長を背景とした当然のことととみられていた。

※誤解の代表者は岩田規久男上智大学教授。(リフレ派)

※安倍晋三氏に引き上げられ第二次安倍政権では日銀副総裁へ。

そして株価が大幅下落しても不動産神話は残った 株は下がることはあっても日本の地価は下がらない。当時不動産神話とよばれた。

しかし株価大幅下落の翌年 上昇が当然だった日本の地価は下落を開始し90年代後半に顕在化して山一と拓銀破綻として時間差を経て大きな危機となったのである。



90年代の世界にいったいなにが起きていたのか?

バブル発生も崩壊も世界の変化が原因としてある

大きく言うと

①社会主義国の崩壊

②中国の工業化の本格化

③技術の変化 モノづくり製造業の有り様の変化

80年代から情報技術へとシフトしていっており90年代に加速した

大きな要因はインターネット その普及により世界の経済構造が変化していたのであり日本は既に追い上げられており、その技術も陳腐化しつつあった。

80年代バブルの原因はモノづくりが頭打ちとなったことが原因であるがその説明をする。

頭打ちの理由には中国の工業化。

そして金融機関の資金の使い道がなくなったこと。

それまでの銀行システムは預金で集めて製造業へ貸し付ける。

しかし製造業は設備投資をする環境になかった。売り先が飽和に近づいていたのである。

変わるべきは金融機関の投資銀行化であり製造業への貸付からの転換であった しかし、したことは不動産融資 これが日本のバブル発生の原因である。

そしてこの過剰な不動産融資により作られたのがバブル。

それは90年代に崩壊へ。

2000年代~2010

日本回復の理由は為替が円安になったためである。

2000年代初頭から量的緩和政策を取るようになり政府は円安誘導に走った。

既に金利はゼロ。円資金を金融機関に押し込む量的緩和政策により円安へ。

日本は金融緩和の世界の先頭のランナーだった

世界各国中銀の量的緩和ぐらふ

この政策によりインフレ率を加味した実質為替はプラザ合意前のバブル前の昭和の水準にもどり、海外への工場移転に出遅れていた日本企業に風が吹いた。

円を弱くすることで日本人の賃金は国際的に切り下げられ鉄鋼や自動車はアメリカに向けて再び洪水のような輸出攻勢を再開した。

実質実効為替

■リーマンショック前のアメリカの不動産バブルの原因は日本にあった

円安のための緩和に加えて1ドル100円で介入するため企業は円高による損失は考えずに済んだ。

そのため、貸し先を失っていたジャパンマネーはアメリカへの不動産投資へと向かったのである。

円高にならない約束をしたために円売りドル買いが顕著になった。利回りの高いドルに換えて投資する動きとなりこの資金がアメリカの住宅への融資になった。

日本がアメリカバブルを促進していたといえる。

日本の自動車や家電、鉄鋼はアメリカ住宅バブル、その資産効果により

そして生産拠点を日本においていたことが有利となり、大きく輸出が伸びていった。

■しかしリーマンショックでまた急停止

アメリカのバブルは崩壊した。リーマンショックはアメリカ以外にも大きな変化をもたらしたがその不景気で日本の輸出産業は壊滅に近い痛手になった。

金融に危機的な異変が生じたアメリカより日本の製造業が一番打撃を受けたのである。

当時はスタンフォードにいたが2004年2005年。昭和はフォルクスワーゲンが一番多く見られた外国車だったがトヨタの車で全米は溢れた。トヨタは海外移転が遅れたためにトヨタは円安メリットを最大に享受した。外需主導の回復であり製鉄も家電も回復した。

■新興国との協業をしなかった日本の軌跡

たとえばアップルは中国利用がうまかった。製造の拠点を中国に置く。しかし日本企業はは外に出たがらない。円安での利益で国内に工場を建てたのがシャープの亀山工場や パナソニックの尼崎工場である。

これがのちに日本の不良設備となる。あくまでも国内にいたがる日本企業とアジア新興国と組もうとする欧米先進国。

この中国との付き合い方の差も明暗を分けた大きな一因だ。

リーマンショックによりアメリカは金融緩和へ向かうが限界まで円安緩和していた日本に対抗策はなく急激な円高へ。

為替はシーソー。この図でおわかりいただけるかと

アメリカ政策金利とドル円推移


アメリカが金融緩和に踏み切った瞬間に日本は急激な円高に見舞われて日本はこの時対抗できる術は失われた。

※中国は当時はまだ日用品の工場だったために崩壊の痛手は殆どなかった。

原油も欧州住宅も欧州国債もバブルだったため危機に伴い欧州からの資金は日本へ戻り円高へ。旧産業を円安により延命させ賃金ダウンさせて競争力を回復しようとしていた日本に手持ち札はなくなった。

政府依存の製造業へ

農業と同じく製造業も補助金産業となった。エコカー減税は自動車メーカーへの補助金であり地デジの移行は家電への補助金である


円安補助は継続し経済改革は逃げ、さらなる円安誘導と政府統制の強化へと向かったのがアベノミクスである。

2010~

異次元金融緩和 

現在の日本回復は円安による見かけでありいつまで続くかわからない


歴史的円安に支えられている

賃金はドルに対して抑えられている

今後はこの問題が日本の重い楔となるだろう

■人口の高齢化

人口減より問題は労働人口と高齢者人口が問題でますます不足が深刻になる。

推計では20年後には労働力の4分1が介護医療従事となり成長どころではなく経済が成り立たない。解決の道は簡単ではない。


そして先端技術での中国の躍進も日本の脅威になる。

人工知能での飛躍はめざましく基礎的能力世界一になった。

世界一のコンピューターサイエンスの大学はかつてはMITかスタンフォードだったが中国とシンガポールが10の大半となっている。
東大は91位である。学科すら無ければ当然にそうなる(※筆者の感想)

日本は大学研究の遅れもひどく今の現役教授陣はかつての教官の丸写しが大半。(野口教授談)

円安で低賃金。低賃金産業が雇用増をもたらしているが。高度サービス産業が欲しい。GoogleやAppleの十分の一程度の技術は欲しくそうならないと日本人の賃金は絶対に上がらない。そしてあらゆる分野で古い勢力が強い。


一体どこでどうすれば良く、そしてこの責任は誰にあったのでしょうか?


では

14万回再生です



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