短歌結社 まひる野
2023年のテーマ評論をまとめました。
まひる野2023年6月号特集「結社の魅力」は堂々21人21ページの大特集!! 各地の会員や相対的な若手に結社の魅力について語ってもらいました。 その中から12名の作品とエッセイを転載しています。
9月号恒例歌集評特集です。
まひる野会です。 こちらでは、誌面に掲載されたいくつかの記事を公開していきたいと思っています。実際の更新は8月号から始めます。 * まひる野は1946年3月、窪田空穂の長男窪田章一郎の元に若い歌人が集まり創刊されました。 現在は、代表・篠弘、編集人・大下一真のもと、中根誠、島田修三、今井恵子、柳宣宏、柴田典昭、広坂早苗が運営・編集に当たっています。 生活の中で生まれる感動を大切にする作風が特徴です。 どなたでも入会できます。 詳しくはホームペ
「短歌」九月号の山下翔の時評「短歌を決定するもの」は山中律雄、小池光の主張する「五句三十一音」について取り上げている。短歌はたんに三十一音であればいいわけでなく、五句から成ることを意識しなければならない、というのが山中、小池の意見だが、これに関わってくるのが句跨りの問題だ。山下は次のような歌を挙げながら口語文体の句跨りについて整理する。 靴音の消えてしまった街角でふいにモーツァルトがうたいだす 笹井宏之 果樹園に風をむすんでいるひとと風をほどいているひとの声 『ひとさ
最近、是枝裕和監督作『歩いても 歩いても』をみた。二〇〇八年公開だから、結構前の映画になる。老いた両親をさびしくみつめた話で、過ぎ去った歳月や人間関係の立ち行かなさといったものが、たとえば浴室の壊れたタイルの描写からにわかに浮かび上がってきたりする、しみじみとした逸品だった。 老いた両親といえば、大口玲子「東京」二十八首(「短歌」八月号)は、認知症の母と「暴力暴言」の父を歌って切実な一連であった。と同時に、作者が父母を、そして東京を主題に歌っていることに、軽くない驚きを
「女性」の場 濱田美枝子『『女人短歌』小なるものの芽生えを、女性から奪うことなかれ』が書肆侃侃房から出た。一九四九年から約五十年間にわたって刊行されてきた季刊誌「女人短歌」の軌跡を辿ったもの。殆ど予備知識がないまま手にとったのだが、雑誌の中身だけでなく当時の社会情勢や歌壇の動向についての丁寧な解説があって、読んでいて気後れしない。誌面からの引用歌が多かったのもよかった。 全五章のうち、第四章「五島美代子と『女人短歌』を牽引した歌人たち」は歌人論として五島、長沢美津、山
ただ歳月を 滝本賢太郎 サーベルと燕。魅力的なタイトルの歌集である。著者が七〇代前半の、二〇一八年から二一年に発表した歌を収める。この時期小池は母や弟の死、墓じまいによる故郷との別れを体験する。そのせいか時間、歳月と向き合う歌の多さが目を引く。 氷結の川ひとたびも見しことなし七十年をたちまち生きて 籠のカナリア逃してしまひしその日より六十余年がひらりと過ぎつ たまごからうさぎ孵るとおもひゐし弟よあれから六十年か 小池はかつて「廃駅をくさあぢさゐの花
SNS時代の抵抗の歌 小島一記 歌集名の百四十字はTwitterの文字制限のことを指す。2021年2月から2022年2月28日まで1日一首をTwitterに投稿し、短歌373首と短文が纏められている。老いらくの歌とあるが、健康不安などの老いの些事を詠うのではなく、文学と政治の過去と未来を自由に往来する往年の福島節が健在である。コロナ禍二年目の混沌のなかで、国民の反対多数であった東京五輪の強引な開催に憤り、明治大正昭和の文学を行き来しながら抵抗する姿はエネルギッシュに絶叫
高潔な魂 伊藤いずみ 絵本には地球見をする家族をり三十年後の月の暮らしに 『地球見』は春日いづみの第五歌集である。 地球見。不思議な言葉だ。帯には「遠くから地球を見る、その眼差し」とある。帯文にあるとおり、作者の興味は地球上のあらゆる出来事に向けられ尽きることはない。 クルド語の映画にサヌレとふ女の子その名「国境」の意味を知りたり にっぽんに赤ちゃんポスト増えぬなり 生れし直後に殺められしも 執行に胸のすく者救はるる者ただの一人もをらぬが悲し
生き抜くためのユーモア 久納美輝 センタッキ―・フライドチキンと言いながら洗濯物を干す妻ぞよし スキップをしているのかと思ったら道が熱くてたまらぬワンコ 「あけおめ」と子に言わるれば「ことよろ」と少し威厳をもちて答える もう少し余韻があるかと思ってたコンサート見て立ち上がる時 日常がたまらなくおかしい。「センタッキ―」はただのダジャレだが、軽妙に家事をこなす生き生きとした「妻」が浮かぶ。「ワンコ」も足をバタつかせている様子が人間くさい。自身もまわ
天国泥棒たちへ 富田睦子 第十歌集。第二十一回前川佐美雄賞並びに第五十七回迢空賞受賞。 日常からの飛躍が美的な世界を作る作者の短歌にファンは多い。神話や伝説、文学など大きな物語を下敷きにし、いま生きている現実の世界への抵抗、意志表明をしてきた作者だが、今歌集では読者に時事という文脈を与えたことで魅力が伝わりやすくなっている。 恐怖にまなこみひらきて死にゆける子どもたちある限り神は流血すべし ふくしまの地震(なゐ)を語らず原發を語らざる春、星はみごもる
<攻めた>言語論 田村 ふみ乃 短歌を始めた頃、文語で詠もうか、口語で詠もうか迷った記憶はないだろうか。本書は、現代短歌における文語・口語とは何かに踏み込み、丁寧に解き明かす。 まず、第Ⅰ章の<キマイラ文語>では、言葉は常に変化するものだと改めて認識させられる。正岡子規の「六たび歌よみに与ふる書」の中で「用語は雅語、俗語、漢語、洋語必要次第用うるつもりに候」と宣言して以来、雅語のみで作られていた和歌に、当時の日常語が用いられるようになった」と、子
呼ばれた人 後藤由紀恵 『ふるさとは赤』に続く九年ぶりの第二歌集。九年前の本特集でも私が評を書いている。その中で「東日本大震災、続く原発事故によって喪われた故郷への複雑な感情をひたすら詠み続けるが、その根底にあるものは生まれ育った土地や家族やめぐりの人々への愛情と、それを奪われた怒り」と記したが、第二歌集でもその姿勢は変わらない。三原の故郷である福島県双葉郡浪江町は、十二年前に突然被災地となる。 走らないスーパーひたちは雑草に襲われてゆく駅のホームに『ふるさとは赤
「人間」を受け止める 北山あさひ 二〇二三年二月刊行。著者の石畑由紀子は「未来」所属で、北海道帯広市在住の歌人である。 ゆきこ、ゆきがじきふりますよ空の底から声がする帯広の声 白樺の幹横たわる 昨晩の雷雨あなたの声、でしたか 肉体は地図であるから眉尻を撫でては辿る祖父への道を けんこうなからだとはどんなものかしら夜の樹々たち倣って眠る 生まれ育った土地や雷に倒れた白樺の木(白樺は帯広の市木である)、自らの顔に刻まれている歴史、そして大病を経
勘違いを信じ込みたい 塚田千束 声変はりしてうたへなくなる曲の高音域にゐた夏の日々 声変わりは男性だけでなく女性にもある、誰しも避けられない成長過程、あるいは進化の過程のひとつだ。皆二次性徴を経て以前とはちがう世界に立っている。だが、その違いにどれだけ注意を払うだろう? そのまま通り過ぎていくだろう世界を、鈴木加成太の第一歌集『うすがみの銀河』は、忘れ去らず丁寧にひろいあげている。 あなたはあなたへ光呼ぶ風ばかり恋ひ、ぼくはしあはせなど信じない つけこめ
玉城徹の人物詠 柳 宣宏 幻想とは、この世にはありえないことをいう。では、現実にはないものが、あるとはどういうことなのか。 そこで、世界は言語によって分節化される、ということから考えてみる。馬が走っている、これは現実に目の当たりにする。だが、馬が空を飛ぶ、これを見ることはない。けれども、馬が空を飛ぶ、という事実はなくとも、日本語としては意味を成す。では、事実ではないことを言葉で言えるのはどうしてか。それは、人間が言葉によって、馬と犬と空とを違うものだと区別している、
再読『窓、その他』その他 同人誌「外出」九号の特集「内山晶太歌集『窓、その他』座談会」では、同歌集が初版から十年を経て新装版として出たのを機に、同人による読み直しを行っている。その作品の完成度の高さ、透徹した世界に、私自身何度この歌集に打ちのめされたか知れない。それゆえ荘厳で近づきがたい感じもあったのだが、座談会はとても深く踏み込んだ内容で、歌集を通して内山作品の本質に迫っていくのが面白かった。 たんぽぽの河原を胸にうつしとりしずかなる夜の自室をひらく 内山晶太
天王星、お太鼓結び 「現代短歌」三月号に平岡直子の作品連載二十四首「傾国」が載っている。昨年秋の皆既月食・天王星食を題材にしたものだが、全体にメタファーの度合いが高く、ふつうの時事詠という感じではない。乾遥香は「短歌」四月号の短歌月評でこの連作を取り上げ、 回転寿司が寿司を回転させる間に天王星が消えてしまった 平岡直子 祖父とわたしに血のつながりがあるということよくわからない味の素 を含む数首を引いて次のように書いている。 一首目の天王星をもちろん「