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時評2024年7月号

「振り切りたいものは」

  暗い夢のような映画を配信でみてみぬふりの罪のあけぼの /正岡豊「京都・東福寺・涅槃会」

 短歌研究二〇二四年五+六月号は、今年も三〇〇歌人の新作作品集と相成った。この企画は二〇二〇年五月号の二八〇歌人新作作品集からつづく今年で五回目の企画だ。短歌作品(昨年まで載っていたエッセイも今年は省かれている)のみで構成される一冊となり読み応えがある。ほぼ五十音順に、老若男女入り乱れて歌が並ぶさまは一種のアンソロジーのようで、それが代表歌ではなく毎年新作で構成されるというのは面白い試みだと思う。短歌に興味はあるけれどなにから手を出そう、というときに、最近の歌人はこういう歌を詠んでいますよ、という案内にもなるだろう。
 この企画の前身、というかたたき台になったのは、おそらく二〇一九年まで毎年三月号に掲載されていた女流歌人特集だろう。短歌研究の公式HPで確認すると、一九九〇年三月号にはすでに同特集が組まれている。
女流、という言葉からは前向きな印象を受けない。基本は男性であって、女性がその立場におさまるときにわざわざ「女」という冠をつけねばならないという負い目をまざまざと感じるからだろう。逆に団粒文学という言葉は上野千鶴子らにより批評において用いられたが、どちらも明るい意味あいは含まない。

  つぼすみれたちつぼすみれ手をつなぎ眠るのは人間だけであろうか /永田紅「どちらへむけて」

 二〇二四年前期放送のNHK「連続テレビ小説」は『虎に翼』という日本初の女性弁護士、裁判官、裁判所長を務めあげた三淵嘉子をモデルにした作品が放映されている。日本で初の女性○○、という単語にかすかな苛立ちを感じることがないわけではないが、いままで取り上げられていた権利をとりかえすため奮闘した人々がいたことを、その人たちがいたおかげでいま私たちには選択肢があるということを、感謝したい。

  早口で喋れば自分を振り切れる? 胸にミントの葉が浮く夜に /大森静佳「梅と風刺画」

 当たり前のことを当たり前だというのはひどくむずかしい。慣習という名の怠惰の前で声をあげるのはヒステリーを起こしているように裏で笑われることがあるのを知っている。どこまで特別扱いを望むんだ、と非難されるのかもしれない。女性が、母親が、社会で働くのは他人に迷惑をかけているという視線を、他人の言葉を、じくじく内面で腐らせながら生きるとき、私たちはいったいなんのために生きているんだろうと思うことがある。
 そんなとき「男性も女性も若いも老いも関係ありません」と主張することも、主張している一冊を手に取ることも、どちらも大事な一歩だ。ハラスメントについて常に考え、更新していくべきだという宣言を忘れたくない。
引用歌はいずれも短歌研究二〇二四年五+六月号より。フィクションの中で普段無造作に通り過ぎていく罪悪感を無意識の中に立ち上らせるのだろうか。連帯を求めるのは人間の意識だけなのか。私たちは既に存在する差別に、不平等にどう立ち向かうべきなのか。
(塚田千束)

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