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新進特集 「わたしの郷土・わたしの街」 作品&エッセイ⑪

滝本賢太郎 

馬込桐里町は、それまで暮らしていた亡き祖母の家の家仕舞いに伴い、出た。今はやはり大田区の下丸子に住んでいる。ゲスい下町の代表格蒲田に近く、居心地は良い。難点は他の街の酸素濃度を薄く感じることだろうか。

炎、熾せば

あわただしき学期始めは色彩も他人行儀に過ぎゆく季節
雨に濡れずに第五校舎へ入る道を教えてもらう錆びた扉(と)を押す
指と指からめて繋ぐ手は熱く他愛ないことしかしゃべってない
恋猫のごとく歌うからグールドもキースも好きさ夜を散る花
境内の花の下にてあまつさえくちうつされている緑茶ハイ
二回目のキスで抱き寄せられたときはじめて君の髪にさわった
仰ぎたる花の向こうの夜の淵へふたり並んで溺れていたい
キスの後、ひとりに戻り帰る後、思いおり噛んだピストルの味
五時間の通話の内にまた君へ春の星座と共に傾く
約束は炎熾せば理性など消せる明るさ 週末も会う


初霜の馬込

 人生のほとんどを東京は大田区で過ごしている。雪谷大塚町で生まれ、七歳の時分に馬込桐里町へ越した。その後一時期は鎌倉稲村ケ崎へ移ったり、ドイツにいたりもしたが、この桐里町を拠点に長いこと暮らしてきた。
 桐里町という町名は、今はない。中央という情緒も味もない名前に変わっている。それが嫌で、ここで暮らす母にならって、わたしもこう呼んでいる。桐が繁り、昼間も薄暗い地域だったらしい。そう聞けば桐里という名には闇の匂いも立つ。桐里にほど近く、市野倉と呼ばれるエリアがある。川瀬巴水もその夕景を描いたさびしい野原である。もちろんその面影は残っていないが、代わりに浅草線西馬込駅へ続く見事な桜並木がある。桐里に住んでいた頃は、桜の季節から葉桜の頃まで、朝に夕にこの並木道を歩いていた。
 犬を飼っていた時分、夜の散歩はわたしの担当で、坂を下り並木道へ出て、脇道に入り、上り坂をゆく。馬込には坂が多い。なにしろ九十九坂と呼ばれるほどだ。坂の中腹を曲がると住宅街の真ん中に大ぶりの桜の樹がある。この桜と、桜の向かいに立つある作家の家を眺めるのが好きだった。今は誰も住んでいず、白い洋館に灯はない。時折隣に住む遺族が来ているのか、窓の一つだけが橙に輝いていることもあった。庭のアポロン像は塀越しにちらと覗ける。家主は大真面目で置いたのだろうが、どう見ても悪趣味、キッチュである。自然身に着いていった美意識とは別様の、頭で無理矢理つかみこしらえた歪なセンスを感じる。わたしはこの作家をさほど好きではないが、家の前では必ず一礼していた。

  益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜

 作家はこの歌と『天人五衰』の原稿を残して、この世を去る。作家とは平岡公威、三島由紀夫である。辞世の歌を残す文士が彼の死後いるのかをわたしは知らない。多分いないだろう。彼があの洋館でこの歌を詠んだと思えば、家同様の歪は感じるが、通底するもはや自意識と呼んだ方がよい美意識を十方に向けて表現せざるを得ない宿痾はわかる。それをわからせるほどのヒロイズムが、この歌にはたぎっている。しかしわたしがより惹かれるのは、三島のこのヒロイズムに共感した男、村上一郎の歌である。

  血と鉄の交はるあたり夕星(ゆふづつ)のかげ清かれと嬬(つま)と語るも
  わかくさの妻らを送り家を出で冬浅(あさ)き日に死にゆきにけり
  朱墨(しゅずみ)するわが手の凍(い)てにほのぼのと窓明かるめり 生きてゆくべし

 三島事件の報に衝撃を受けた村上は、即座に市ヶ谷へ向かっている。このときの彼の心は二十六首の連作「悼歌のための草稿」として、歌集『撃攘』に収められている。ところで関川夏央によれば掲出歌の二首目はフィクションだという。霜月は二十五日の朝、三島は八時に起きた。このとき夫人はすでに子どもたちを車で送り、自身も乗馬の練習に向かったという。そのため「妻らを送り」は村上の「思い入れ」だそうだ。なるほど、そうなのだろう。だがわたしには、村上が詠んだこの情景が、はじめてこの歌に触れたときからありありと浮かんで離れない。家族を送り、一人になり、馬込を出る剣(つるぎ)のような男のヒロイックな充血が立ち上がる。それはわたしが三島の家の前へ詣でるように行き、眺めていたからだろう。歪を思いつつも不可思議な共感に貫かれていたからだろう。
 だがそれを故郷や郷土感覚という言葉で束ねることは控えたい。わたしにとって故郷とは、土地そのものになく、土地と言語の間にしか感じられないからだ。わたしにとっての馬込とは三島のいた馬込以上に、村上の歌の馬込なのである。家庭の中の男、平岡に家族を送らせてから、一人の政治的ロマン主義者の修羅へと変え、送り出した土地なのである。
 三島の家の表札に、平岡の文字はない。ただ三島由紀夫とだけ書かれている。その「紀」の「己」がずいぶん前から剥がれ落ちている。こんなに己しかない作家の名に立つ「己」が落ちる皮肉は快く、わたしはその跡をよく指で触れていた。あなたは本当に「無益で精巧な一個の逆説」だった。そしてわたしも、できることならそうありたかったのだ。

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