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新進特集 「わたしの郷土・わたしの街」 作品&エッセイ⑦

加藤陽平

一九八一年七月一日、愛知県名古屋市昭和区に生まれる。現在もその場所に在住。二〇〇五年三月、愛知淑徳大学文化創造学部文化創造学科表現文化専攻を卒業。二〇〇五年十二月頃から、無職。

日記


救急車が近くに止まることをなぜか願いつつ夜更けサイレンを聞く
洗面所のハンガーが風に揺れて音立つれば懐かし十代の頃
遠泳とう行事が吾の高校に無くてよかった中退せしが
唯一つわが口に残る親知らずは形見の如し誰のか知らねど
ただ水を温めしものにつかりおりあるいは父の汗も混ざれるか
思いがけなきほど枕冷たくて腕を出だせば病人の如し
夕焼けの無き夕方にわが庭のそこだけ黒き土を見ている
父の吐きし唾が洗面台に残りおり幻の弟の如し
歯を磨く音の幽霊が背後より近付けり父の恨みかもしれず
吾より他聞く者あらぬに精神科の待合室によいしょと言う人

岡井隆の故郷、主税町

 岡井隆が名古屋の出身であることは知っていたが、名古屋のどこの出身かは知らなかった。先日、インターネットで調べて、主税町の出身であることを知った。主税町は、「ちからまち」と読む。
 主税町。その地名に、私は覚えがあった。葵町線の、平田町から北へ行った所に、そういう名の交差点がなかったっけ、と思った。しかし、地図を見てみると、その場所に「主税町」という名の交差点はなかった。葵町線の少し西の、空港線に「主税町3」という交差点があった。
 主税町とは名古屋城や名古屋市役所のやや東に位置している町であった。そのすぐ近くにある東片端の交差点はよく知っている場所であるが主税町そのものについては私はあまりよく知らない。
 地図で見ると、名古屋東税務署が、主税町の中に存在している。税の字が入る地名の町に税務署があるとは、何となく面白いようで
もある。
 最寄り駅はどこになるのだろうかと調べてみると、地下鉄の名古屋城駅、高岳駅、名鉄の清水駅、東大手駅が、比較的近いようであった。
 なぜ最寄り駅を調べてみようと思ったのかというと、五年ほど前から、私は自転車に乗らなくなったからである。六年前の夏、私は、泌尿器の病気を発症した。その後、半年ほどは、それまで通り自転車に乗っていたのであったが、ある日、インターネットで、私の病気に自転車がよくないということを知り、それで乗らなくなったのである。かかりつけの医者にはまったく相談していない。
 思えば、自転車は、私にとり、自分の町を知るためには、最良の道具であった。私は、自動車の運転免許を持っていない。そして、バスに乗るのもあまり好きではない。そのため、自転車に乗らなくなってからというもの、私にとって、名古屋とは、駅の周辺だけの痩せた町となってしまった。
 もう一度、地図の中の主税町を見てみよう。主税町は、空港線という南北方向の広い道をまたぐように存在している。そして、主税町に直接面してはいないが、すぐ北には出来町通が走り、すぐ東には葵町線が通っている。空港線、出来町通、葵町線。これらの道を、私は何度も自転車で通ったものである。
 空港線は、私にとって遠くへ行くための道であった。この道を北上し、小牧のあたりまで行ったことも何度かある。南下して、豊明のあたりまで行ったことも数えきれないほどある。豊明あたりでは  
この道を「空港線」と呼ばないかもしれないが、道はまっすぐに続いているのである。名古屋には、東山通という、東西方向の、これも遠くへ続いている道があるが、南北方向の、遠くへ続く道といえば、この空港線なのである。
 葵町線も、また、ずっと遠くまで行きたくなるような道である。しかし、私が、この道を、ほんとうに遠くまで進んだことは、二度しかない。一度目は、二十五年くらい前のこと。二度目は、十一年前のこと。二度目に、この道を遠くまで進んだ時、私はたしか、短歌の連作を作れないものだろうかと思って出かけたのだった。残念ながら、このサイクリングによってできた歌は、二つか三つくらいだったが。
 そして、出来町通。これも思い出深い道である。私は、いくどもその道を渡り、その道を通った。この道には、一つ大きな特徴がある。それは、中央分離帯にバス停があるということである。なぜそのようなことになったのか、その理由は私にはわからない。別に中央分離帯にバス停があってもいいように思うかもしれないが、これには一つ問題があり、というのは、バスというものは、ふつう左側にしかドアがない。中央分離帯のバス停の客を乗せるためには、中央分離帯の右側をバスは走らなければならない。そのため、出来町通の車線は、やや複雑になっているようだ。
 これらの道を、かつて私は、自転車で走っていたものだが、今は思い出となってしまった。

  自転車は弱者か少し言はせて貰ふよろよろと輪がななめに危(あやふ) 岡井隆 『神の仕事場』

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