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双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第2回(21歳:人生はじめての軽躁状態)

〜21歳(2004年)発病〜

はじめて精神科の入った病院に行った日、実際は病院の入り口までいって引き返してしまいました。

(この入り口を越えたら、うつ病と確定してしまうのでは。もう引き戻せないのではないか)

ただ、引き返したところで状況は改善せず、数日後再び病院へ、そして意を決して精神科の待合室までたどり着く。

(家から近い病院。同級生がいたらどうしよう。ばれたらどうしよう。。)

そんな思いの中、名前を呼ばれ、自分の症状を伝えると、

「軽いうつ症状ですね。お薬出しておきますから様子をみましょう」

と言われました。

専門家から、正式にうつと伝えられ、最初の恐怖とは違い、正直ほっとしたのを覚えています。ラクになったような、ある意味諦めにも近いような感覚。

そこから、薬も2週間くらいのんでいたら気分が通常の状態に戻ってきたため、2回目の受診日は適当な理由をつけてキャンセルし、そのまま通わず終了。


時は過ぎ、2004年秋頃。

就職することへのモヤモヤはあったものの、使える時間はたくさんあったので、起業につながるような活動には色々と首をつっこみました。

その一つで、友人の誘われるまま、人生で初めて「NPO」という名前がつく団体の活動にかかわります。

岐阜駅前に拠点をもつNPO法人G-net(ジーネット)という名の団体の事務所には、入れ替わり立ち代わり多くの人があつまり、そこには熱気と笑顔がありました。

岐阜の街・商店街を盛り上げる、学生を支援することを事業としているとのことでしたが、社会的に地域的に素晴らしいことをしていることがビジネスとしてなぜ成り立っているのかわかりませんでした。

ただ、そこにはすごく不思議な空気がありました。社会にいいことをしたいという想いの人が集い、とても心地よい、波長も合う人達が集ってました。

NPO職員の人たちの、ボランティアメンバーを束ね、社会的価値のあることに取り組む働き方にも刺激を受けました。自然とテンションが上っていく自分がおり、ノリでその団体が主催する年末のイベントの当日スタッフを引き受けたのでした。

今思い返すと、人生初の軽躁期がその頃。準備は夜から始まるのですが自宅から1時間以上かけてかけつけ、夜遅くまで作業し、友人宅で数時間寝た後早朝に起きて家に帰り、学校に行き、バイトをし、その後またイベント準備へ。。。

その時は

(楽しい、幸せ。こんなの人生ではじめて)

というテンションでいたのを今でも覚えています。病気だとはもちろん思わず、こんな状態になれるんであれば、ずっとこのままでいたい、と思うほどでした。

そして、イベントも終え、岐阜の仲間と共に2004年を終えました。

〜22歳(2005年)〜

2005年に入り、活動範囲は広がります。イベント活動で知り合った東京の学生から誘われれば東京に夜行バスで出向く。関西の学生もいたので、関西にも行く。

(大学4年の最後になって、こんな世界があるのを知るなんて。もっと前にしっていればなぁ)

そんな後悔の気持ちももちながら、悔いのない学生生活をと想い活動してました。


そして4月1日、内定が出た会社の入社日。正直、その日の朝まで入社することを迷っていました。


つづく

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