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双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第3回(22歳:新卒入社での浮き沈み)

〜22歳(2005年)〜

入社日の朝、とても気分が重く、朝起きるのもつらかった。
何とか電車にのり、会社に向かう道で

(ここで引き返すとどうなるんだろう。新卒で会社を入社1日で退職なんて、誰にも顔見せできない。)

そんな考えがうかび、何とか会社にたどり着きました。


私が入社した会社は、名古屋で50年以上続く社員30名程度の食品原料の商社。

なぜ起業志望の私が入社したかといえば、当時60歳近い社長はとても考えが柔軟で、また原料商社というスタイルだけでは生き残れないので新規事業に対しても積極的だったから。

会社の中には既存事業とは違うネット通販事業部があり、「ネットに関わる新規事業を給料をもらいながら考えることができそう」と思ったからです。

また、その事業部長が、私が当時関心をもっていた神田昌典氏(日本でダイレクトマーケティングという「小予算で大きな反響を出す広告手法」を提唱した人。現在は『GQ JAPAN』で“日本のトップマーケター”に選出されている)を知っていて、そのノウハウをもとにネット通販事業をされていたのも、入社の決め手になりました。

(ここに行けば、起業するときのいろいろなノウハウが手に入るのではないか。)


入社前のもやもやは、入社日以降も晴れることはないまま、新人研修として3ヶ月間、食品原料に関わるいろいろな現場をまわりました。

その研修期間の生活リズムはひどかった。定時に間に合うギリギリまで寝て、会社から帰ってきてすぐご飯を食べると寝るという日々。入社早々、モチベーションマイナスのギリギリで働いている状況。あのころも今考えればうつだったと思います。

仕事への興味はもちろん、友達づきあいも最低限でした。その頃に高校時代の友人が結婚式をあげるということで、友人代表の挨拶を頼まれました。

調子が悪いとはいえせっかくの依頼で断ることはできず、いざ挨拶の時には新郎新婦の顔がまともに見れず。

頭が真っ白となり、まとまりなく話終え、「悪いことをした」とひどく落ち込んだのを、今でもはっきり覚えています。

こんなうつ状態でも、ひとつ希望をもって取り組んでいたことがありました。

それは大学時代にNPOを紹介してくれた友人のつてではじめた、私個人で立ち上げたネットショップ。販売するのは友人の実家でとりあつかっている真珠アクセサリーでした。

ネットショップの右も左もわからないなか、当時はブログなどもなかったので、HTMLというウェブページを作る言語を本を読んで独学で学び、見た目にとてもきれいとはいえないサイトを作っていました。

サイトが完成した状態で入社していたので、あとは注文を待つばかり。集客としてヤフーにサイト登録したり、地方新聞に広告を打ったり、個人のお金で投資してやっていました。


入社3ヶ月経った2005年7月。

ネット事業部への配属が言い渡され

「既存のネットショップに関わってもらう気はない。新しい事業をやってくれ」

と、私がもとめていた環境が急に飛び込んできます。

(自分の中で進む方向が決まった!力を出し切ろう)

ある出来事で、真逆のモチベーションになる傾向は今も続いています。何かの使命や目的をみつけると、急に世界が変わり、すべてのことが自分にとってプラスだと思え、想像以上にパワーが沸いてくる。
これはもちろん軽躁サインでもありますが、それだけで片付けてしまうにはもったいないものだと、捉えなおしています。
コントロールできる範囲にこのパワーを飼いならせられないか、今の私がチャレンジしているひとつです。


この新しい事業への配属とともに、プライベートでも変化があります。

それは、真珠アクセサリーの初注文が入るのです。
このときの喜びも、記憶に残っています。

まったく何もなかったところから、自分が関わって形にし、それが誰かの手に届く。ゼロからイチを作ったこの経験は、今後にとても影響を与えるものになりました。

ただ、会社で取り組む方向性が見えたいま、力を分散させたくない。この初注文とともに、真珠アクセサリーサイトは閉鎖、新規ネット事業の立ち上げに注力することになります。

つづく

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