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刑法39条「刑事責任能力」(心神喪失・心神耗弱)を理解する。

刑事責任能力について問題になった事件が報道されると、SNSなどには誤解に満ちたポストが山のように投稿されます。
そしてそれらのポストの大半が、刑事責任能力に関する刑法39条を廃止すべきという意見です。

しかし、それらのポストなどを見ていると、刑事責任能力、そして心神喪失、心神耗弱という概念について、真に理解している方は殆どおられないように見受けられます。
最も目立つのは、「精神病に罹患している者=無罪」という、完全に誤りである単純な等式です。しかしそんなわけありません。
以下、以前の記事で書いた責任能力の定義等を再掲します。

一般的に責任能力とは、

①行為の事理を弁識し、かつ
②その弁識に従って行動(行為)する能力

とされています。

①を、事理弁識能力
②を、行動制御能力

と呼びます。

この、①事理弁識能力か、②行動制御能力が全くない場合を「責任無能力」と呼び、刑法39条1項により「心神喪失」として、犯罪は不成立となります。

そして、①事理弁識能力か、②行動制御能力が著しく減退している場合を「限定責任能力」と呼び、刑法39条2項により「心神耗弱」として、犯罪は成立しますが、その刑が必ず減軽されることになります。

そのような、責任能力の判断方法としては、生物学的方法と心理学的方法を併用する「混合的方法」が、判例および通説において採用されています。この判断方法は、心理学的要素に関する判断を、精神障害の有無・程度の判断と組み合わせることにより、責任能力の判定に科学的基礎を与えることを可能とします(「刑法講義・総論」井田良、p404参照)。

思うに、この点が、多くの方にとって責任能力や心神喪失・心神耗弱という概念の理解の妨げになっているように思います。「精神病に罹患している者=無罪」という完全に誤っている図式が蔓延る一因が、この混合的方法における生物学的方法、すなわち精神障害の有無・程度を判断要素に加えるという方法の独り歩きによるものではないかと考えられます。

責任能力が問題となる典型的な事件は、被告人が統合失調症を罹患している場合であるのは確かでしょう。それはこの病気の主たる症状である「妄想」「幻視」「幻聴」が、上記のような内容を持つ責任能力を喪失させたり減退させたりすることにつながりやすいものであるからです。

例えば統合失調症における幻聴は、「あ、何かが聞こえるな」というシンプルなものではなく、「その幻聴に命じられたことに従わざるを得なくなる」という仕組みを持っています。だからこそ、責任能力の定義であった①事理弁識能力が完全に喪失するか著しく減退し、②行動制御能力も同様に完全に喪失するか、著しく減退してしまうので、適法な行動をとることが全く不可能か著しく困難な状態になってしまうのです(勿論、統合失調症により命令幻聴の症状が出た人全てが、その命令に従って行動してしまうというわけではないことに注意してください)。

責任とは、構成要件に該当する違法な行為に出たことに対する法的な非難です。当然、その前提には、当該行為者に対する非難可能性が存在していることが必要です。

しかし、上記のような場合、違法行為に出た行為者に対して「そのような違法行為に出るなどけしからん」という非難を加えることができるでしょうか。事理を弁識する能力や、それに従って行動する能力が存在せず、若しくはそれらの能力が著しく減退していた者に対して「そのような違法行為に出るなどけしからん」と法的に非難することができるでしょうか。もっといえば、そのような状態の者に非難を加えて有罪とし、刑務所に収容させることは、刑法の任務である一般予防や特別予防に資するでしょうか。少なくとも特別予防の効果は全くないものと考えられます。

考えてもみてください。幼稚園児に、いきなり「カンチョー」をされた人のことを。精々「やめんかーい!」と突っ込んで終わりにしないでしょうか。その件について暴行罪または傷害罪として警察署に被害届若しくは告訴状を提出し、強く処罰を望み、身柄が留置場から拘置所へ移送された後、公開の法廷で裁判を受けさせ、刑務所に一生ぶち込んでもらいたいと本気で願う人が果たして存在するでしょうか?もしそのような人がいるならば、むしろその人の責任能力の方が心配になってきます。

刑法41条は「14歳に満たない者の行為は、罰しない」と規定されているので、そのようなことは不可能なのですが、これは少年の特性を鑑みて、一律に責任能力を否定している規定です。

①事理弁識能力、または②行動制御能力がない者を強く非難し、刑罰を加えても、先ほども述べましたように、刑法の目的である、一般予防にも特別予防にも資することがないのです。その幼稚園児は「なぜ怒られているのか分からない」と述べるでしょうし、それ故、その行為を辞めるという選択肢は頭の中には存在しないのが現実でしょう。このような状況では、責任非難や刑罰は無力です。

更に例を挙げるならば、皆さんも嗜まれているかもしれませんが、お酒、飲酒です。責任無能力といえば精神疾患、特に統合失調症を患われている方のこと(のみ)を反射的に思い浮かべられる方は多いと思います。しかし飲酒による酩酊の程度によっては、心神喪失とされて責任無能力と判断され、その際に行なった違法行為が犯罪として成立しなかったり、心神耗弱としてその刑が減軽されたりする場合があるのです。

具体的に述べますと、病的酩酊と判断されれば心神喪失に、複雑酩酊と判断されれば心神耗弱とされるのが原則です。お酒を飲みすぎて病的酩酊になった場合、その状態で他人を殴っても、心神喪失ゆえに責任無能力として、暴行罪や傷害罪は成立しないのです。もっとも、いわゆる原因において自由な行為にあたるような場合は別論です。

ここでひとつ裁判例を挙げておきますと、飲酒により酩酊した状態で警察官に対し公務執行妨害罪および傷害罪を行ったかどで逮捕・起訴され、裁判になった事件があります(東京高判平25.3.28)。

結果的には、行為当時において心神喪失であったことが否定できないとして、無罪になりました。

この事例からは、多くの皆さんが日常のこととして経験している飲酒についても、刑法39条の守備範囲であるということが理解できます。

もうひとつ例を挙げると、「ねぼけ」という状態です。ひとつ裁判例を挙げてみます。

結構な量を飲酒した上で住居侵入(刑法130条前段)をし、身体を休めようとその場で睡眠をとった後、ねぼけた状態で包丁を奪い取って強盗傷害(240条)を行ったという事例があります(東京高判昭55.3.19)。

この裁判例の特徴として、ねぼけた状態を心神耗弱と認定したということが挙げられます。

この点と関連して、「季刊刑事弁護」(93号 p.180 釜井景介)に、「病的酩酊の一類型として『ねぼけ』(睡眠から十分覚醒していないが、一定の行動を取れる状態)というものがある」という記載があります。 これは例えば先ほど述べました飲酒の場合、病的酩酊の場合は原則的には心神喪失になるとされていることと対比して考えられます。

このようなことからも、刑法39条(責任能力・心神喪失・心神耗弱)は、精神疾患を患われている方に対してのみ向けられている規定では全くないことがわかります。ましてや、精神疾患に罹患しているということのみで、そのまま犯罪が不成立になったり、刑が減軽されたりするものではないことがわかります。

「刑法39条など削除せよ」と述べられている方をよく見かけますが、刑法39条はどのような構造を持ち、どのような意義で規定されている条文なのかということを知ることからしか何も始めることはできません。知らないものは賛成も反対もできないはずだからです。

責任能力については、こてからもまた書いていきますので、その際はどうぞよろしくお願いいたします。

それでは今回はこの辺で。



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