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チャンスは均等にあるべきなのか

ヨルダンの幼稚園で活動していて思うことがある。
それは、子どもたちの出番や経験の機会(=チャンス)が平等に与えられていないこと。

つまり、一部の子どもたちの出番はたくさんあるのに、他の子の出番がないような場面をよく見かける。

幼稚園に通う子どもたちの目はキラキラしている子が多く、先生が「この答えが分かる人?」って聞いたら、一斉に手があがる。

みんな自分を当ててほしいから、手を上げながら席を立ち、前に押し寄せてくる。
「席で行儀良く手を上げている子だけ(を当てる)よ!」なんて怒られながら、席に戻されているのが日常茶飯事だ。

その様子を見ると、一見みんなやる気があっていいんじゃないかと思うけど、中には大人しくて、全く手を上げない子も存在する。

先生によるところもあるが、そういう自己主張をしない子どもたちは、発言する機会を持たずに、そのまま見過ごされてしまうことがよくあるように思う。


イベントがある時には、それが顕著になる。

3月の母の日のイベントの時には、全4クラスの子どもたちが集合し、それぞれのクラスがダンスや、詩の朗読や、行進などの出し物をしていた。

クラス全員が参加すると思いきや、ダンスが上手な女の子だけだったり、クラスで賢い男の子が一人で詩の朗読をしたりするなど、明らかにそれぞれのクラスで優秀な子どもたちだけが前に立っていた。

それ以外の子どもたちは、ただ「見ているだけ」であった。

一方で、子どもを全員前に出させているクラスが一つだけあった。
担任の先生によるところが大きいな、ということも実感した。




来月末には、幼稚園に通う年長さん(ヨルダンではKG2と呼ぶ)の卒業式イベントが行われる。

そのイベントに向けて、何か歌って踊れるようなダンスを子どもたちに教えてほしい、と園長先生に言われた。

曲を決めた後、ダンスの練習をしたいことを各担任の先生に言うと、「誰が踊るの?」と聞かれた。
KG2の子どもたち全員が踊るものだと思っていた私は、その質問に少し驚いた。

「子どもたち全員で踊らせたい」
「毎日少しずつ踊るからきっとみんな覚えられると思う」

担任の先生たちは理解してくれたので、先週からKG2の全ての子どもたちに対して、ダンスの練習を行っている。


クラスの中にはいろんな子どもがいる。

積極的に前で踊ろうとする子。
楽しみながら真面目に練習する子。
そもそも全く指示を聞かない子。
隣の子とすぐ喧嘩をする子。

練習はスムーズにいかないことが当たり前だし、大きい声を出してばかりでとっても疲れる(笑)

でも、どこかのタイミングで、子どもたちの意識がこっちに向いてきて、子どもたちの集中した意欲的な表情が見られる時がある。

そういう時の子どもたちの表情って、すごく生き生きとしていて、楽しそうで、前に立っている私と心が通じ合っているような感覚になる。

そんな時、やっぱり一部の子だけにダンスをやらせるんじゃなくて、チャンスはみんなに与えられるべきだよなぁって強く思った。

「やりたい!」と自己主張する力はとても大切。
ヨルダンでは、日本以上にその力が重要になってくると思う。

だけど、最初から大人が子どもたちの挑戦する機会を奪ってしまってはいけないと思う。


活動先の幼稚園では、アクティビティがあまり行われていない。
机に向かって文字を書く作業が、大半の時間を占めてしまっている。

身体を動かすこと、物を作ること、友だちと協力すること、ルールを守ること、、、
さまざまなアクティビティを通して、いろんな体験ができるように、私ももっと自分から発信していかないとな、と思った出来事でした。


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