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季節の狭間に付箋を貼る

変わってるね、今まさに。 嵐が過ぎて時間が柔らかくて安心する。 今日は早く起きて洗濯を回した 部屋の掃除もした 爆音のイギーポップでひとりで踊った ついでにコインランドリーで布団も洗った 毛布も洗って畳んでしまった 待ち時間はおばあちゃんばかりの喫茶店でピザトースト 帰ってきたら煙草とビール あたしは床に寝っ転がってる お香は買い足してピカピカ ずっと窓は開けっ放し お隣の部屋の人が引っ越しするらしい 風になっていろんなことが聞こえる いまいる街はどんどん寂れていくけど そ

    • いつも本屋で泣いている

      海辺の田舎町の本屋でも 銀座の一等地のビルの高層階の本屋でも 安部公房「箱男」(新潮文庫)は税別630円。 安心する。 1人で行く旅先、誰かと行く旅先で どうしても私は本屋に立ち寄る。 土地によってラインナップや陳列が違って素敵ね〜 とかいうことじゃない。 どこの本屋にも私が手に取ったことがある本が、私が購入したのと同じ金額で売られているのを目で確認して安心したいだけです。 たまに部屋の本棚に既にある本をレジに持って行ったりする。宿泊先や移動中に開いて安堵のため息をついた

      • 覚書、冬

        ふと、仕事からの帰り道に カフカって縦揺れだな、と思い ドストエフスキーって横揺れだな、と思った 「カフカ縦揺れ、ドストエフスキー横揺れ」 とスマートフォンに打ち付けて 青い送信ボタンを押そうとして ちょっとして、やめた 言及しなくてもいいようなことを わざと嫌な方向から突いてくるような そんな糞チンケな言葉が聞こえてきそうで やめた 「いや、ちがう 縦揺れはドストエフスキーで 横揺れはトルストイだ!」 とか 「カフカはロックンロールで ドストエフスキーはブルース

        • 箱の中身はなんだろな、的な気持ち

          寒さとともに忙しい日々でした。 自分でも思っている以上に忙しい日々でした。 夏が終わったぐらいから、 なんとなく、しかしそこはかとなく、忙しなくて 部屋のグリーン達にもなんとなく申し訳ないことをして 会いたい人にもまともに会えなかったりして 目の下のくまが濃くなったり薄くなったりで一喜一憂した日々でした。 ちゃんと年納まるかな〜という一握の不安と、 まあでもなるようにしかならないよね〜という諦念。 鼻水啜ったり低糖質のビールを飲んだり煙草を吸ったりしながら ゆっくり収束する

        季節の狭間に付箋を貼る

        マガジン

        • 5本
        • 短編
          6本
        • 自由律俳句
          0本
        • 本のこと
          5本

        記事

          Gymnopédies No.1

          ロマンチックな気持ちにはとてもなれなくて、私はなぜか祖父が亡くなった日に入った冷たい白い布団のことを思い出した。 うまく眠れなかった。 なんでじいちゃん死んだんだろう、と兄は天井を見つめたまま言った。 煙草の吸いすぎじゃない、と私は言った。 祖父の死因は膵臓癌だった。 じゃあじいちゃんが死んだのはタバコを売ってる人のせいだね。 うん、そうだね。 きっとそうだよ。 タバコを作ってる人が悪い。 許せないね。 うん、そうだね。 本当のことを言うと、5歳そこそこだった私たちに

          Gymnopédies No.1

          ゴドーを待ちながら

          数年間 感じていなかったぐらいの とてつもない大きさの かなしい が突然やってきて おおきく振りかぶって 身体にぶつかった 四方八方に砕け散ったそれぞれが それぞれの声でまた かなしいって言う 通りかかったあなたが一片を払い上げて 覗き込んでくれればいいのに どうしてかなしいのと 言ってくれればいいのに ゴドー、まだ来ない 私は飛び散った身体を拾い集めて つぎはぎにしていく 不細工だけど 元々こんな感じだったかも という気もする つぎはぎの身体で 細い枯れ木にもたれ

          ゴドーを待ちながら

          例えるなら

          さながら野生動物のよう かつ どこまでも人間らしい 何かを待ったり、 何かを訪ねたりする前に あたしはどこに行きたいのだったろうか 考える そして 考える 考える あなたはどこまでも走っていく 後ろ指さされても走っていく たまにチラリと不安げに振り返るから もっと遠くに行くのよ と私は叫んでやる 恥ずかしそうに笑ってそのまま走っていく あなたは美しい だってどこまでも動物だから どこまでも人間だから あたしもどこまでも人間のまま 静かに愛している

          例えるなら

          細胞のゆらめき

          血が沸騰すると言う表現を 自分の感覚にあるので 時折使っていた 怒りや喜びなど 身体がぐらぐらするほど 感情が動くときはあるから しかし、 それ以上の気持ちになった時に なんと表現をしていいのか わからなくなってしまった 結局自分が求めているのは 転んでも助けてくれる柔らかなマットではなく 泥だらけで岩まみれで突風が吹く荒地だった 優しくしないで と言った時少し笑った気がした もう何もかもがわからない 正しいと思ってたことは 全て間違っている気がするし 間違ってい

          細胞のゆらめき

          asa

          最近 いろいろなものが とてもとても眩しい 悲しいことが本当に悲しく 美しいものが本当に美しく 楽しいことが本当に楽しい 柄にもなく本気で怒りを覚えたりする 世界がこんなに 真っ直ぐだったとは 私は何をひねて見ていたのだろう 今朝 人生で初めて 自分が死ぬ夢を見た 概要はそのうち書きごとの種にしますので 秘密にしておきますが 死ぬ瞬間(なんなら死んだ少し先まで)を 夢の中で味わうことができた 自分の無意識の領域に、少し驚いた SF的で、宗教的な夢だった そして悲

          多面体、もしくは

          普遍的なことや 恒久的なことが 必ずしも価値があるとは限らない 刹那的なものの方が 強烈に脳裏に張り付いたり 歪なものの方が 価値観を叩き割ってくれたりする 優しいと思う人間が、さして優しくなく 酷いと思っていた人間が、さして酷くなく 私はそういう時にどんなことを思うのか 誰に期待をして、誰に失望をするのか 髭を剃ってすぐの口にキスをしたときに、 妙に柔らかくて、動物的な気持ちになった 例えば、私を壊されるのならば、 同じく私も壊していいのだな、と思えた 野生動物が朽

          多面体、もしくは

          station

          鳩が座ったまま死んでいた。 首を丁寧に折りたたんで、 何色とも言えない羽根に押し沈めていた。 そこにだけ朝日が当たって、 辺りの寒々しい空気を溶かしていた。 美しい生の終わりを見た。 真っ白な空に 今にも飛び出しそうだった。 その隣には シュレッダー済みの紙が詰められた袋が 何十と山になって積み上げられている。 さっきまで重要の判を押されていた紙が、 裁断されてゴミとなっていく、あのさま。 たった数秒の間に 何が変わるというのだろう。 本当は何も変わっていないはずなの

          memento

          海に行きたい。 そう言えば、外に出るのが好きだった。 そんなことを忘れていた。 私はやっと思い出した。 潮の匂いを肺いっぱいに詰め込んで、 波の往来をただ眺めていたい。 いや、本当は泳いでいきたい。 まだ見たこともないものを見るために。 対極の感覚を同時に感じる時 身体が大きく分裂するように感じる。 得る 失くす 拾う 捨てる 死ぬ 生きる 自分から、また別の自分が 1枚、また1枚と剥離するよう。 剥離して、海風に煽られて私は舞い上がる。 一方の私は静かで、一方

          月刊文芸誌「渦々」について

          この度、友人の中村と、 月刊の文芸誌「渦々」 を刊行する運びとなりました。 月刊文芸誌というと 大仰なもののようですが、 月1で発表する文芸の小冊子です。 ● 私たちのことを知ってくれている人からしたら、 「お、」と思う2人組かもしれません。 簡潔に言うと、 無条件に信頼している友人です。 気づけば長い付き合いになります。 中村とは高校生の時に 一緒にバンドをやっていました。 彼の感性や才能のおかげで、 当時の自分では到底見ることのできなかった 素晴らしい景色を沢

          月刊文芸誌「渦々」について

          本のこと(5)「蛇を踏む」

          ここのところ、 立て続けに面白い本に出会うので、 読むのに必死な日々です。 何について書くか悩ましいですが 2ヶ月ほど前に読んだ 悔しいぐらい美しい作品について書いてみます。 川上弘美「蛇を踏む」文春文庫(1999.8) この表題作の初出は1996年。 私が生まれる2年も前のことだそうです。 自分が発生する前に紡がれた文章を 大人になった今読むことができるのは とても幸せ。 川上弘美さんの作品に初めて触れたのは 高校生のころの国語の教科書でした。 「離さない」とい

          本のこと(5)「蛇を踏む」

          舟を漕ぐならば

          僕たちはどこへ行くのか 帆は小さく 波は高い 床板は軋み 霧が霞む オールもエンジンも とうの昔に捨ててきてしまった ここにあるのは果てのない線と 白く獰猛な起伏 でも僕たちは 漕がねばなるまい つきまとうものを振り払うすべは カモメを眺めて泣くことか 魚にキスをすることか 太陽を口一杯に頬張ることか 僕はまだ知らない そして、知っている 世界には尻尾があるらしい ここはまだ水槽にしか過ぎない 舟を漕ぐならば ガラスを探してはならない 僕たちはどこへ行く

          舟を漕ぐならば

          耳心

          恥の多い人生でしたって太宰は書いてるけど、私だって現在進行形で恥じながら生きてる。 人間失格、だって。 ねえ、そんなのあんただけじゃないんだけど。 と思いながらショッキングピンクのカバーの文庫を閉じた。でも私は、太宰のそういう、普遍性を自分だけのものみたいにしちゃうところとかが、やっぱり好き。 私のピカピカの長い爪も、カバーと同じショッキングピンク。でもそれは、私がただピンクが好きってだけ。 生活してると、何をしてる時も結構恥ずかしい。 照れたり、緊張したり、そればっかり