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箱の中身はなんだろな、的な気持ち

寒さとともに忙しい日々でした。
自分でも思っている以上に忙しい日々でした。
夏が終わったぐらいから、
なんとなく、しかしそこはかとなく、忙しなくて
部屋のグリーン達にもなんとなく申し訳ないことをして
会いたい人にもまともに会えなかったりして
目の下のくまが濃くなったり薄くなったりで一喜一憂した日々でした。

ちゃんと年納まるかな〜という一握の不安と、
まあでもなるようにしかならないよね〜という諦念。
鼻水啜ったり低糖質のビールを飲んだり煙草を吸ったりしながら
ゆっくり収束するように今年を納めました。(お仕事的な意味で)

とはいえ、この1年で出会いたかった人にたくさん出会えました。
年齢を記号にしながら軽やかに生きている同世代の人たちは
みんなとても眩しくて情熱的で素敵な人達です。
私はそういう分厚い人たちに出会うたびに
心持ち強めに握手を交わしながら、
ああなんて格好良いんだろうと憧れるばかりでした。

そんな人たちと関わることができたのがとても幸せだったし、
出会える環境に自分がいることが夢のようだし、
そんな人たちがひしめいて生きている街、悪くないかも〜と思えるようになりました。
こういうのを希望って言うんだな、
屍は越えてかないとねー


渦々としても久しく新作を出せてなくて申し訳ない気持ちもあります。
この前タイミングが合ったので中村くんと遊びました。
野音で最高のライブを見たり、安い中華食べたりして遊んだのですが
ふたりともゲボが出るほど書けてないことを告白しあいました。
なんか安心して笑っちゃいました。

とはいえ書きたいことも書かなきゃと思うこともたくさんあります。
最近やっと重い指が動き始めたところです。
(本当は急にアイデアが思い付いただけ)

今考えていることを文字にするには、
意識的にじゃないと関わらないような人達に
無理にでも会ってみないといけないような気がしたので、この数ヶ月やたらと人に会うようにしてみました。
足を軽くしてどこへでもいくようにしてたら忙しさも相まって体調を崩しました。


書くために、くたびれた大人にたくさん会いたかったんですが、気づいた時には多分自分が一番くたびれてた。
いい経験にはなったけど、もう慣れないことはしない。

代わりに一昨日から、そういえば読んでなかった村上春樹の作品に取り掛かりました。
相変わらずくたびれた大人ばかりが大きく出てくるけど、
村上作品のくたびれた大人は、優雅でリッチで、なーんも参考になんなかった。
でも、そういうのもひっくるめて、なんだかんだ面白いからすごいよなー


書いている途中のものについて先んじて述べるのは気が引けるけど、
途中で放棄しないように、
自分への釘刺しのために、
作中の人(超明確なモデルがいるけど明言したくないしきっと墓場までもっていく)
の言葉をここに置いておく。

"

つくったものに魂が宿るんじゃないんだぜ、魂が宿るようにつくるんだ
自分の手を動かせば、勝手に高尚なものになるなんて思うなよ

"

この言葉はその人の態度や面構えから私が感じたメッセージで、
今年はこの気持ちが得られただけで満足です。

手探り、目隠しの中で見つけた気持ちの方が、鋭くて信頼できると私は思う。

最後に、2023年の自分的ビッグニュースは
「あたし、猫派から犬派へ」
「まさかあたしがテクノにハマるとは」
でした。

明日は久しぶりに実家の猫に会います。とっても楽しみ。


渡部有希

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