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【アジア横断バックパッカー】#44 8ヵ国目:ネパール-カトマンズ→インド‐アムリトサル 心身ともに疲弊 おっちゃんユーチューバー出現

 朝、荷物をまとめ、バナナとクラッカーの朝食を済ませた。まだ静かな宿の階段をそっと降りる。入り口にはシャッターが下りていたが、脇に通路があって通り抜けることができた。フロント前のソファー僕が倒れこんだーにはスタッフが布団をかぶって寝ていた。小声で別れを言い、外に出てタクシーを捕まえた。

 カトマンズ・トリブバン国際空港はレンガ造りで、一見したところ大きめの市役所のようだった。チェックインを済ませ、売店でコーヒーを買い、広い待合室で時間をつぶした。備え付けのテレビではロシア・W杯をやっていた。
 ゲートが表示され、同じ場所で待つのも退屈なのでゲート前に場所を移した。1本前の飛行機はクウェート行きだった。列を作って並ぶ(おそらく)クウェート人たちを僕は眺めた。光の加減もあるだろうが、どことなく肌に青味がかかっているような気がした。

 飛行機は1番後ろの席で、飛行中に乗客たちが色めきだった。どうやらエベレストが窓の外に見えるらしい。僕ものぞき込んだが、雲海にちょっと何かがみえるな、程度でよくわからなかった。

 飛行機はニューデリー経由なので、ニューデリー空港で6時間ほどの乗換時間があった。ニューデリー空港の搭乗口が並ぶ場所は横に長い。昼寝をして時間をつぶしたり、窓からニューデリーの街を眺め、あの辺りには悪いインド人がいっぱいいるのかもと思ったり、バスならこの地に降り立っていたんだなと思ったりした。ちょっと後悔もあるが、今の心身ではとても無理だなと思った。

 トイレには清掃員業者の青年がヒマそうにトイレに出入りする人を眺めていた。僕もヒマなので水を飲んだりしているとトイレが近くなる。2回目にトイレに行ったときだった。青年は僕が用を足すのをちょっと離れたところから眺め、手を洗おうとすると横から手を出して水道のセンサーにかざし、水を出してくれた。一見不必要なサービスの後、今度はペーパータオルを渡してくれた。サンキュー、と僕が言うと青年は僕の耳に口を近づけこう言った。
「マネー、マネー」
 ああそうか、と僕は思い出した。ここは空港内といえどもインドなのだ。
 次からトイレは別のところを使った。

 アムリトサルはスィク教徒の総本山である。スィク教徒と言えばターバンである。インドのおじさんターバン巻いて、という歌があるがターバンを巻くのは主にスィク教徒で、インド人はおじさんかどうかにかかわらず全員がターバンを巻いているわけではない。
 
 さすがに搭乗口にはターバンを巻いたインド人の姿がちらほら見えたが、思ったよりも少なかった。また、これは鉄道の2等に乗っていたインド人同様、身なりが綺麗な人が多かった。

 バングラディッシュに入国したとき同様、飛行機はまたしても1時間半ほど遅延し到着は夕方になりそうだった。入国審査やらなんやらをしていれば真っ暗だろう。宿は予約してあったが、またかよ、と少しうんざりした。

 アムリトサルに到着し、入国審査、両替を済ませると8時を過ぎ、真っ暗だった。空港にも人は少ない。両替するとき「本当に20ドルだけでいいのね?」と何回も念押しされたのがうっとうしかった。とりあえず宿に着く分だけ両替し、後でATMで工面する計画だったのだ。いいから、両替してくれという自分の声を聞きながら、自分がだいぶ疲れていることに気付かないわけには行かなかった。新しい地につき気も高ぶっている。
 
 プリペイドタクシーを購入し外に出た。外は静かで、雨が降り出している。
 タクシー運転手はターバンを巻いたおじさんだった。乗車するまで得体のしれないインド人が車を囲んでいたので何事かと気が気でなかった。だが何事もなくタクシーは雨のアムリトサルへ走り出した。

 中心街と思われる地域に近づくとあのインドの喧騒が再び息を吹き返した。渋滞に次ぐ渋滞、車などお構いなしに行き来する人たち。雨が一層不安感をあおる。
 スマートフォンのマップで示された宿の付近に着いたが、見渡してもそれらしき宿が見当たらない。おじさんも知らないようで、あっちへ行き、こっちへ行き、途中で降りて場所を訊き、なかなか発見に至らなかった。
 マップが違うのかもしれない。ありうることだった。もう9時近い。マップに示された付近をゆっくりと通ってもらうと、やっとの思いで発見した。看板が小さく見過ごしていたのだ。タクシーを降り、リキシャーと車をかわしつつ道を横断した。水たまりに足を突っ込んで足が濡れた。
 
 中級のホテルで地下にドミトリーがある。綺麗な作りで、オーナーらしき人はこれまたターバン姿だった。
 着いたのに、すんなりベッドへは行けなかった。まずチェックインの時点で、ネットを通じて予約しているにも関わらず逆に僕が値段を訊かれるという訳の分からない事態になった。予約メールを見せてと言われたが日本語なのでどうにもならない。
 なんとかチェックインし、案内するからちょっと待っててと言われ座って待っていたが、いくら待っても案内されない。後から団体で客が来たりして、どんどん後回しにされていくのだ。疲れで僕はついに爆発してしまった。
「俺のベッドはどこなんだ!早くしてくれよ!」
 ああわかったわかったという感じで地下の部屋に案内された。その間にも日本語で悪態をついてしまう。

 部屋は廊下のような長い作りで、両脇にベッドが並んでいる。僕のベッドはカーテンで仕切れる場所だったが、セキュリティーボックスの鍵が壊れていたので替えてもらった。荷物を下ろしてほっと一息つく。

 奥の方にソファセットがあって、旅行者のおっちゃん2人が酒盛りをしていた。勧められたのでご相伴に預かることにする。
 君はどんな旅をしているんだい、と訊かれ、僕は簡単に行程を説明した。
「なるほど。君はユーチューバーなのかね?」
 旅を動画に撮って、動画サイトの「YouTube」にあげているのか、と訊いているのだ。
 いや、動画も撮ってないしユーチューバーでもないと言うとおっちゃんはスマホを取り出し、YouTubeを見せてくれた。なんだなんだと思っていると、音楽とともに動画が始まった。おっちゃんが写っていた。
「私はユーチューバーなんだ」
 ははあと僕は思った。いわゆる自撮り棒と言うやつで動画を撮っているらしい。自身のチャンネルもちゃんとあった。
「チャンネル登録してくれたまえ」
 後でするよとも言えず、僕はおっちゃんのチャンネルを登録した。おっちゃんはそのあとスマホに向かってぶつぶつ言いながら動画を撮っていた。別にそれはよかったが、後日急に僕の隣に座り「やあみんな。これはマイフレンドのタカ(僕の事)だ」と言いながらカメラを回し始めたのには辟易した。自分の顔が全世界に公開されるかもと思うと戦々恐々で、そのあとおっちゃんの動画が更新されるたびにいちいちチェックしなければならなかった。
 食事をし、アルコールが入ると少しほっとした。シャワーを浴びてベッドに横になる。カーテンで仕切られてはいるが真っ暗にはならない。明日は動けそうにないなと思った。(続きます)

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