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03.19

今日も雨が降ることは昨日の天気予報からわかっていたはずなのに、傘を忘れて出社してしまった。ぼくは晴れ男だから大丈夫大丈夫。天気予報は外れるためにあるもんだろ?とじぶん自身をちいさく鼓舞する。そのおかげか日中は太陽が出てくれ雨の気配を一切感じなかった。よかった。今日はこのまま降ってくれるなよ!そんなことを外回りの運転中の車内で願ったまさしくその時、空の彼方からやってくるドス黒い雲が目に入った。嫌な予感がした。その予感は的中し、やがて雨が降ってきた。
ぼくは晴れ男だと思っていたけれど、どうやら違ったみたいだ。

TPOな"一生"

先日別の課の上司と後輩くんとで外回りにでることがあり、その車内での会話に疑問を思ったことがあった。その会話というのが、

上司  「社用車での運転初めてだよね。この道は走ったことある?」

後輩くん「散髪行くときにこの道は”一生”走ってるんで大丈夫です。」

上司  「そうか、なら大丈夫だね。」

いや、全然大丈夫じゃない。なんだ?「”一生”走ってる」っていう言葉の表現は。そんな”一生”の使い方はぼくの人生のなかで聞いたことない。そもそも”一生”っていうのは”一生涯”とか”この先ずっと”といった意味合いを持った言葉のはずだ。ぼく自身日常会話において「夜ご飯は"一生"唐揚げでいいや。」とか「一生子どものままでいたい。」とかそんな"一生"の使い方をしている。じゃあ「”一生”走っているんで大丈夫です。」はどうだ?文法的にも、”一生”の使い方的にも間違っているんじゃないか?
そんなの全然大丈夫じゃない。そう思った。

いっ‐しょう〔‐シヤウ〕【一生】
1 生まれてから死ぬまでの間。終生しゅうせい。生涯。
2 やっと生き延びること。一命。
3 生きている間に一度しかないようなこと。生涯にかかわる重大なこと。
出典:コトバンク


そう思ったぼくは、すかさず会話へ参加した。

ぼく  「”一生”走ってるってどういう意味ですか?」

上司  「最近の若い子の間で使われてるらしい言い方らしいんだけど、この場合「"一生"走ってる」っていうのは、いままででもかなり走ったことがあるっていうニュアンスになるんだよね。うちの娘も"一生"を使ってるんだけど、たとえば「休みの日は"一生"スマホいじってる」とかよく言ってるよ。まぁ、若者言葉みたいなもんなのかな。」

後輩くん「そうですね。日常でも結構"一生"は使ってますね。」

ぼく  「ほええ。」

なんとなく理解できた。最近の"一生"の使い方というのは、この先ずっとという意味合いで使われてるんじゃなく、時にはいままでに経験したことがあるという経験からくる"一生"であったり、休みの日にずっと◯◯してるといったひとつのことをずっとやっていたという行動からくる"一生"があるってことらしい。"一生"も時と場合によってはもつ意味が違ってくるということになる。つまり、TPOで"一生"の持つ意味を受け取った側が考えないといけないというそんな時代にすでになってしまっていたということだ。でも"一生"っていうのはもともと"一生涯"という長い期間を意味するものとして使ってきたぼくとしては、TPOによってかわる今の"一生"の使い方は一つ腑に落ちない。実際僕もはじめて"「一生"走ってるんで大丈夫です。」を聞いて「そうか、なら大丈夫だね。」とはならなかった。そんなの全然大丈夫じゃない。変わりゆく言葉の使い方を知らないだけでこんなに戸惑ってしまうそんな世の中になってきていることが少しだけ恐ろしくなった。これもあれなのか。どら焼きが時代に合わせて進化した=時代を受け入れたようにぼく自身も変わっていかないといけないのか?生きるって難しいなぁ。そう思った。


後日談 仲良しの上司が使う"一生"

後日、帰り際に仲良しの上司にぼくが経験した"一生"についてをありのまま伝えてみた。確かにその上司もTPOによって"一生"のもつ意味合いがかわるということを全く知らなかったようだった。でも、逆にいうと知らないのも当たり前なのかもしれない。若い世代と言葉を交わす機会がないとまず知れない。気付けない。だから、上司自身も知らないということも当たり前だったのかもしれない。

上司  「じゃあ、これからどんどん"一生"を使っていこうよ。おれ"一生"一生使っていくわ。」

ぼく  「じゃあ、ぼくも上司さんにならって"一生"一生つかっていきますよ。でもちょっと待ってください。これ使い方あってます?」

使い方があってるかなんて正直どうでも良かったのかもしれない。使う相手と受け取る相手。その双方においてコミュニケーションができるだけで十分なのかもしれない。だから、あの時運転中の車内で上司が後輩くんに「じゃあ、大丈夫だね。」と言えることができたんだ。そう思うと、なんだかぼく自身もTPOで"一生"を使い分けていくことができそうだ。そう思えた。

そうしたら帰りの準備をすまし、コートを羽織った上司がぼくに一言。

上司  「じゃあ、お先!"一生"帰るわ!」

ぼく  「え?」

いや、これは使い方としては根本的に間違っている。それはわかる。
それをわかっててあえて使っているのかもしれないけれど、いや逆にぼくが知らないだけでこの使い方があってるのかもしれない。どうなんだ?さっぱりわからなくなってきた。そんなことを思ったぼくは"一生"の使い方と、これからの"一生"との付き合い方に一抹の不安を覚えた。まぁ、使っていくうちに慣れていこう。そう思ったぼくは、とりあえず"一生"帰る準備をはじめた。


この青空を"一生"眺めていたい。これはあってる?

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