3.11と魔法/台湾、東北へ/ぼくはすごく生きていた/回想とこれから
黙祷。
東日本大震災で被害に遭われた皆様のご冥福をお祈りいたします。
これは誰かへのメッセージではなく、年に1度の自分の整理。
あの当時とめどなく押し寄せてきた感情や出来事を辿ってみるため、乱文雑文ご容赦ください。
また、極めて主観的に書いていますので、不快に思う方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。
9年前の今日、午後2時46分。
地元の喫茶店で珈琲を飲んでいると突然お店が揺れ、地面が揺れ、外に飛び出すと電柱がしなり、窓ガラスが割れる音。
揺れだけでなく、壊れる音、軋む音、擦れる音、落ちる音、悲鳴、叫び声、車のクラクション、たくさんの恐ろしい音が同時に襲ってきた。
揺れがおさまってから家に帰り、妻と両親の無事を確認してテレビをつける。。。
画面越しに、現実のものとは思えない光景が視界に入ってきた。
近い人が数名亡くなり、仕事も半年後まで全部なくなった。
フリーズ
長い間、何日も何日も、脳がフリーズしたままだった。
その後も自粛モードで仕事の気配はない。
仕事をする気も起きない。
ただ、時間だけができてしまい、みんなの心にぽっかりと穴が空いてしまった。
人間として、何かしなければ
仕事なんかではなく、人間として、何かできることをしなければ。
そんな思いだけが虚しく現れては消えていく。
でも、ライフラインの確保ができる前にマジックを楽しみたい被災者の方などいるはずがない。いたとしても、今行くべきじゃない。
台湾へ
多くの国民や組織が多額の義援金を送ってくれた台湾に対して、日本政府が政治的な理由で正面から堂々とありがとうを言えないのだという話を友人から聞き、その2、3日後、ぼくは台湾に飛び
「台湾の皆さんありがとう、日本人は感謝しています!」
と伝える魔法をして回ることに。
行動
仕事がなくなって収入が断たれたこと、渡航費や現地での滞在費は自腹になることなど、いろいろ思考がはたらく前に身体が動いていた。貯金はゼロになったけれど、動かずにはいられなかった。
というよりも、自分にできることで何かのために動いていないと頭がやられてしまいそうだったので、とにかく行動したというのが正しいかもしれない。
結局のところ、自分のためだったのかもしれない。
今となっては、わからない。
twitterで現実が動いた
台湾にお礼を言いに行きたいので、どなたかお礼のメッセージを翻訳してください!
とtwitterで投げかけたら、すぐに一人の女性が手を挙げてくださり、現地の台湾人女性が協力してくれる体制まで整えてくれた。誰もお会いしたことのない方々と、気持ちだけで繋がった。
不思議な感覚。9年前なのに動きがなんだか今っぽい。
たくさんのお店で、感謝の魔法を披露した。
たくさんの方が、哀悼の意を表してくださった。
葛藤
今自分がやっていることに意味がるのか?
これが正しい動きなのか?
あんなにもたくさんの方が亡くなり、今も行方不明者が多数いるのに、ぼくは笑顔を見せて良いのか?
感謝を伝えるのは、twitterでもよかったのでは?
いや、こうして直接交流して伝え得ることには意味があるに違いない。
脳の中で悲しみと自問自答がひたすら繰り返された。
妻
メッセージはまだ結婚前だった現在の妻(漫画家)が描いてくれた。思いというものは、伝わらないと意味がないので、これはとても助かった。
国が大変な時に、自腹で突然台湾に行こうというのに、なんと台湾までついてきてくれた。今思うと、すごい。ありがとう。
一般家庭でも感謝の魔法。
みんなから、日本を応援するメッセージをいただく。
現地のTVや新聞で取材される
現地でアテンドしてくれた女性が、
せっかく素晴らしい活動をしてくれてるので、これはもっと多くの人に伝えないともったいないよ!
と、直接メディア各社に電話して熱心に伝えてくれたため、
「日本からわざわざ魔法つかいがやってきて、ありがとうを伝えて回っている。」
と現地のテレビ局や新聞の記者が飛んできて、翌日報道された。
そんなことを期待していたわけではなかったのに、
思いだけで動くと、何かが伝わるのかな。
と不思議な感覚を覚えた。
なにか大きな力が生まれていた。
感謝
twitterで会ったこともないぼくの無謀な呼びかけに手を挙げてくれた藤井さん。現地でアテンドだけでなく通訳まで買って出てくれた欣芸、同行していろいろ手伝ってくれたmikoちゃん、ありがとうございました。
謝謝!
台湾で、たくさんの方と抱き合った。
あのとき、すごく「生きていた」
たくさんの方に伝わった。心に大きな痛みを抱えながらでも、やっぱり嬉しかった。
自分の行いが正しいかどうか、さっぱりわからなかった。
でも、まったくお金が介入する余地のない次元での行動、そして現地の人々の無償での協力、そして思いが伝わったという事実。
じぶんはいま、生きている。
あれほど強くそう感じた日々は無かったかもしれない。
たくさんの方が亡くなってしまった直後に、
じぶんはいま生きている!
と叫びたくなるくらい全身の細胞で「生」を感じた。
そのことに、また後ろめたさが募る。
そんなことを繰り返す日々だった。
被災地へ
その後、帰国してしばらくすると被災地でも最低限のライフラインが整い始め、ボランティア活動やエンターテイメントが必要とされるシーンが少しずつ生まれてきた。
仲間たちと車で被災地に向かった。
大きな避難所は全国からボランティアや取材が殺到するけれど、小さな避難所には行き届かないという格差があったようなので、少ない情報を手に、現地へ。
衝撃
テレビで見て覚悟はしていたものの、実際にその光景を目の当たりにして、身体も心も硬直。
目の前の凄惨な光景だけでなく、人々の穏やかだった日常も重なって見えてきてしまうため、あまりにも突然であっただろう人々の命の終焉を脳が処理しきれなかった。
交流
ボランティアだったのだろうか、なんだったんだろう。交流だったのかもしれない。
ボランティアの知識があるわけでもない、すごい肉体労働ができるわけでもない。
でも、何かの役に立ちたい。
そんな思いで、バラバラの職業の仲間たちと、何度か通った。
皆、自分にできることをしに。
ぼくには魔法しかできないので、避難所や公園、保育園、お店、いろいろなところで魔法を披露。
今思えば、逆に被災者の方々にたくさん気を遣わせてしまったのではないかなぁ、とも思う。
実際、ボランティアで被災地入りした人々の世話を被災者の方々がせねばならない事態はメディアでも問題視されていた。
それでも、たくさんの方とお酒を酌み交わし、いろいろな話をした。
今でも交流させていただいて、2、3年に1度会いにいくお友達になった方も多数。
言葉ではうまく表現できないけれど、「ご縁」でしょうか。
最初に被災地行きの計画を練ってくれたソムリエの坂上恒平くん、本当にありがとう。
一回目がなければ、その後は無かったかもしれない。今となってはわからないけど、あの時のぼくらなりのベストは、あれだったと思う。
そのクルーと被災地に行ったことがきっかけで、その後単身でも何度か、他の方とも何度か足を運んだ。でも、最初の一回目がなければ、ぼくは東京でできることをしていたかもしれない。
それも、今となってはわからない。
ちっぽけな魔法
ぼくには、人を幸せにすることはできない。
人を変えることもできない。
ちっぽけな魔法で、フッと空気を変える。
ほんの一瞬だけ有効な魔法。
結局のところ、ぼくにはそれしかできない。
被災者のみなさんの、大きな悲しみを消せるわけではない。これっぽっちも消せはしない。
魔法を笑顔で楽しんでくれても、また厳しい日常に帰ることはわかっていた。
変えることなんて、できない。
それでも行って良かったと思っていることだけは確かだ。
ただの魔法つかい
ちっぽけな魔法しかできないから、
その魔法をつかってどうやって人の役に立てるのか、いつも考えている。
魔法を披露することが目的では、決してない。
まだまだ他にも魔法の使い道があるからこそ、まだまだ納得がいかないからこそ、
与えられた寿命が来るまで、考え続けたい。
キキの魔法
魔女の宅急便のキキは空を飛べる。
でも、飛ぶところを見せてあげるから5万円ちょうだい、2回転するから10万円ちょうだいとは言わない。
マジシャンじゃないのだ。
彼女は魔法つかいなので、飛べるのは当たり前。
その飛べるというちっぽけな魔法を使って、みんなの役に立つにはどうすれば良いか?真剣に考えた結果、宅急便だった。
ぼくの魔法
ぼくは、これまで魔法を使って
・人と人を繋げる
・場の空気を変え、設計する手伝いをする
・みんながちょっとした魔法つかいになれるように教える
ことで貢献してきたつもり。
だけど、今後はもっと大きな視点でマジックという枠を超えて色々挑戦していこうと思っている。
極めて自分ごとの東日本大震災
震災の話の最後に、突然自分の魔法の話になってしまって、正直自分でもビックリした。
最後は自分の話かよ。お前は本気で哀悼の意を表しているのか?
と言われてしまいそうだが、もちろん、心の底から哀悼の意を表している。
しかし考えてみれば、僕の人生の中の、僕にとっての東日本大震災という体験は、どうしても僕自身の生き方に影響を与えてくるに決まっているのだ。
僕は、僕という人間の人生劇場をひとつだけ与えられていて、僕という人生を演じ切るために生きているようなものだ。それがどんなちっぽけな人生であろうと。
だからこそ、どんなに悲しい出来事も自分なりに受け止めて、自分の人生劇のシナリオに加えて、背負って、自分の人生を書き換えていかなければならないのではないだろうか。
悲しんでいるだけでは、劇がとまってしまう。
何か出来事が起きたら、どんな悲劇であっても自分なりに消化してストーリーを進めなければならない。
どんなにダサくて不甲斐なくても、この人生では自分以外に主役を演じて劇を進めてくれるキャラクターはいない。
だから、ぼくはどんな話題について考えても、最後は結局
で、ぼくの魔法のあり方とは?生き方とは?
というところに行き着いてしまう。
大きな出来事だからこそ、短い文章で思い返すことなどできないし、まとめきれるものでもないけれど、今噴き出してくる思いを書いてみたら、あっという間に2時間が過ぎていました。
あらためて
東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福と、被災地の皆さまの生活の回復を深くお祈り申し上げます。
被災地や台湾で出会ったみなさまとのご縁に感謝するとともに、今後も大切にあたためて生きたいと思っています。
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最後までお読みいただきありがとうございました。
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