北京で宿泊拒否を受けた時の話
チベット・インド旅行記
#9,北京
中国の宿泊施設は、その値段や設備などからグレードごとに名称が変わる。
「〇〇酒店」「〇〇賓館」「〇〇飯店」などの名称が付けばグレードの高いホテル。
「〇〇招待所」「〇〇旅館」などの名前になるにつれて、安くてボロいゲストハウスになってくる。
もちろん、貧乏旅行をしている私は、招待所や旅館一択。
安宿を探す為に意気揚々と北京の駅を降り立った。
列車内で仲良くなったおっちゃんが、自信満々に安宿に連れってやると言ってくれたので、ヒョコヒョコ後を付いていくも、残念ながら旅館は絶賛工事中。
さらにおっちゃんに、ここまでの案内料10元せびられ渋々渡す羽目に。
気を取り直して、道ゆく人に安宿を聞いて回るも、どの人も連れて行ってくれるのは高級ホテルばかり。
「北京大酒店」「北京迎賓館」などなど。
でーんとそびえ立つ立派な建物を前に、すごすごと来た道を引き返す。
それにしても北京の道は広い。
一区画から一区画までの道のりが果てしない。
まるで蜃気楼のように続く街をテクテクと歩く。
8月の日差しが照りつける。
重い荷物が肩に食い込む。
「ピェンイーダー、ツォダイソー(安い招待所)」
「ピェンイーダー、ツォダイソー(安い招待所)」
とオウムのように連呼していると、またまた見知らぬおっちゃんが、こっちに来い来い、と手招きをしている。
しばらく後を付いていくと、ビル群は終わり、道は崩れかけたレンガ塀と、未舗装のままの旧市街エリアへ入っていった。
(今はもう、こういった旧市街は取り壊されてしまっているだろうが、2004年は北京オリンピック前だったので、ゴミゴミした裏通りがまだ多く残っていた。)
ぬかるんだ道、泥だらけの水たまり、民家の瓦は落っこちて、屋根の木枠は苔むしている。
しばらく裏通りを歩くと、通りの一角に崩れかけた長屋が見えた、消えかけた看板には「招待所」と書かれている。
やったー、ついに見つけた招待所!
外れかけたドアを開けると、ヨボヨボのおじいちゃんが一人、受付で店番をしている。
「トゥオシャオヅェン?(いくらですか?)」
聞くと、不思議そうな顔でこっちを見ているおじいちゃん。
あれ?発音がまずかったかな?
「トゥオシャオヅェン?(いくらですか?)」
再度聞くと、しばらく考え込んだ後、ノートと鉛筆を取り出してさらさらと書き出すおじいちゃん。
「民族」
ノートの上にはこの2文字が書かれている。
民族、民族。ちょっと考えてから私もノートに書き込む。
「日本人」
しばらくじっとノートを見つめていたおじいちゃん。
苦笑いしながら、手をしっしっと振った。
「去れ」の合図だ。
招待所のドアを閉めて外に出る。一体何が問題だったのか。
気を取り直して、旧市街エリアの招待所を回ったのだが、どの旅館も、どの招待所も同じように門前払い。
くたくたにくたびれ果てたので、定食屋に入りチャーハン食べる事にした。(60円)
定食屋の端を見ると、そこにはテレビが備え付けられていて、客たちは白黒のドラマに見入っている。
ドラマの内容は、旧日本軍が中国を占領して乱暴狼藉を働く、いわゆる反日ドラマというやつだ。
今も中国では反日ドラマが日常的に流されている。
もしかしたら、私が旅館に泊めてもらえなかったのは、日本人だからだろうか?
そんな考えがふとよぎり、なんだか悲しくなってしまった。
「もういい、こんな所、頼まれたって泊まってやるもんか!さっさと次の街に行く事にしよう」
リュックを背負い、また北京駅へと向かった。
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駅についてびっくり、券売機の前には長蛇の列が並んでいる。
いや、列では無い。
さながらフジロックフェスティバルのモッシュピットのように、人の群れが寄せては返す波のように、ひしめき合っている。
例えるならば、お釈迦様が垂らした一本の糸に群がる亡者というべきか。
一体全体、列車の切符を買うのに、なんでそんなに押し合うの?と思ったが。
いくら考えても切符が買えるわけではないので、私もえいや!と人混みに突っ込んだ。
ところがどっこい、人波に流され、思うように券売機に近づけない。
弾かれ、蹴散らされ、気がつけば外側に戻ってきてしまう。
途方に暮れていると、何者かが私の腕をグイッと引っ張ってくれた。
見ると人の良さそうなにーちゃんが、爽やかなスマイルで微笑んでいる。
「まったく、やれやれだよな。嫌な思いさせてごめんな」
そんなやりとりをしながら、にーちゃんは私を券売機そばまでグイグイと引っ張ってきてくれた。
世の中には良いにーちゃんもいるもんだ。と思っていたのも束の間。
券売機が近づくにつれて、その魔性に我慢が出来なくなったのか、最後の最後には、にーちゃんは私を跳ね飛ばして、我先にと券売機へと向かっていってしまった。
結局、切符を買えたのはその1時間後。
もぬけのからのように道端にうずくまった。
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北京駅からは四川省の省都、成都(チェンドゥ)へと向かう事にした。
寝台特急で大陸を横断、今度は28時間の旅である。
天井すれすれの寝台ベットに横たわり、ガタゴトと旅を続ける。
韓国までの旅と違い、ここ中国では、言葉の壁や文化の違いに翻弄されている自分がいる。
ドラクエでも橋を渡ったら敵が強くなる。というルールがあるが。
旅の道のりも一層深く、険しくなってきたのをひしひしと感じた。
列車の中ではひたすらに寝た。
外を観ると、切り立った山とトウモロコシ畑、茶色く濁った河と、霞んだ空気。
だんだんと仙人の住んでいそうな山へと入っていく。
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成都(チェンドゥ)の街に着いたのは翌日の夜20時。
四川省は内陸の山に囲まれた都市の為、心なしかひんやりとした夜風が頬を撫でた。
あたりはもう日が暮れて薄暗くなっている。
慌てて街を歩き、宿を探すもなかなか見つからない。
破れかぶれで入った宿でも、やはり断られてしまう。
しまいにはしとしとと霧雨が降ってくる始末。
仕方がない、今日はここで野宿するしかないか。
持っていた紐で、カバンと靴を体にグルグル巻きに縛り、シャッターの閉まった店先にうずくまった。
その日は寒さと不安でなかなか寝付けず、寝たら寝たで、夢の中でも宿を探し回る自分がいた。
成都編へ続く
【チベット・インド旅行記】#8,大連編はこちら!
【チベット・インド旅行記】#10,成都編はこちら!
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