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惑っております??

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2021年11月の記事一覧

好かれる努力より、好かれないまま現実を生きる方法を考えればよかったのかも。

好かれる努力より、好かれないまま現実を生きる方法を考えればよかったのかも。

選ばれない自分を持て余している。
あまり面識のない三人で会話をしていた時のこと。

馬が合ったらしく、私以外の二人が盛り上がっていて、まぁ正直、ちょっと寂しかったのだけれど、会話に乗れない私を気遣ってくれるのも、嬉しいというより申し訳ない気持ちだった。

居場所がないというか、私がいなかったらもっと盛り上がるんだろうな。そんなセンチメンタル。

「繋がりたい」と言われていた方が羨ましかった。私も、

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私たちは、それぞれの異世界を生きている。

私たちは、それぞれの異世界を生きている。

誰もが、異世界を生きている。

隣に並んで見ている景色でさえ、同じものではないのだろう。ビルがあって、道路に車が走っていて、空が青くて…

そのビルを、カッコいいな、あんなガラス張りの高層ビルで働いてみたいとポジティブに感じるか、地震が来たらどうするんだろう、とネガティブに思うか。

道路を見て、ガードレールが曲がっているとか、あの路地には信号機いらなくない、とか、列をなして走ってゆく車のどれを見

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心根が善良なら、心を育むはずのことが、心を蝕んでいたのかもしれない。

心根が善良なら、心を育むはずのことが、心を蝕んでいたのかもしれない。

悪事は裁かれる。
害をなせば、相応の罰を受ける。

そんな社会のルールが適応されるのは、
行為に至った後のこと。

自我の解釈のまま生きていれば、
報いを受ける可能性は高くなる。

犯罪を犯していなくても、悪気がなくても、
自我は相手の領域を犯してしまう。

自我が見ている世界は、
自分にとって都合のいい世界。正しい世界。

相手を理解してるつもりでいるけれど、
見えていない世界があることに気づか

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自己愛過多でも誰かの役に立ちたいのなら、自分のためにやる。

自己愛過多でも誰かの役に立ちたいのなら、自分のためにやる。

身も蓋もない結論にたどり着いてしまった。

現実が苦しのは、性格が悪いから。
あくまでも、私の場合。

感受性が強すぎて、繊細な人間だと思いきや、人の痛みを自分のこととして感じられるような優しい人々とは、真逆の人間性だったみたいです。

どうしてこうも現実がままならないのか?
食うに困らず、健康なのに、
日々の幸せを感じられないのか?

下を見ては安堵し、上を見ては羨望する。
そんな自分を嫌悪しな

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私が自分だと思っているキャラクターは、相当、盛ってるらしい。

私が自分だと思っているキャラクターは、相当、盛ってるらしい。

こんな世界いらなくない?

そんな物騒なことを主張したくなる自分がいる。

あんたのために世の中があるわけじゃないんだから、いらないのはあんたの方じゃん。

そんな声もする。
どっちも、私。どっちも、本音。

こんな世界がいらない私と、
私のいらない世界が、
意識の中に存在する。

主張は反論を生む。
必ず、二つ以上の正論が存在する。
それが、世界のルール。たぶん。

こんな世界をいらないと思うか

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この世界に安心するのは、難しい。

この世界に安心するのは、難しい。

ずっと願ってきた自由に手が届きそうになった途端、あっけなく本能に負けてしまうことを知る。
ガッカリだ。

が、あくまでも現実での話。
求めていたのは、精神の自由だった。

精神にも、本能って影響するのだろうか?

肉体あっての精神なので、食べなきゃ死ぬってなったら、精神でも現実でも、自由なんてどうでもよくなりそう。もちろん、やっちまったら、人としてアウトだけれど。

さて、身内の話なのだけれど、亡

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ハッピーな高揚感ではなく、開放感を幸せということにしてみる。

ハッピーな高揚感ではなく、開放感を幸せということにしてみる。

とある説によると、本能とは、
今ある苦しみから逃れたいだけで、
後のことはどうでもいいもの、らしい。

のどが渇いた→どうする?
A→水を飲む→苦しみから逃れる
B→水を飲まない→苦しい→逃げたい
→水を飲む→苦しみから逃れる

(本能の欲求)→(自由)
→(行為)→(欲求の解消)

つまるところ、
本能が満たされないとなんでもする
ってのが、人間の本質らしい。

あれほど願ってきた自由さえ、

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淋しさは、自分の存在を証明したかったから。

淋しさは、自分の存在を証明したかったから。

私たちは、二つの世界を生きている。

現実を解釈する際、世界は二つに分かれ、どちらかを選ばされてしまう。無意識に。

そして、選んだ世界に生きている限り、もう一方の世界を見ることはできない。世界は二つあると、信じられない限り。根拠がなくても。

なので、不幸を感じることができるなら、必ず幸せを感じられる世界も存在している。

…という世界観を信じることで、なんとか生き伸びている。

とは言え、それ

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平和と言葉と美しさ。

平和と言葉と美しさ。

唐突に、平和について考えてみたら、
摩訶不思議な答えが返ってきた話。

平和を望むということは、
改善すべき課題があるということなので、
現状に対する不満。

不満を満たそうとすれば、
満たされないの法則が働いてしまう。

平和に限らず、なにかを訴えると言うことは、
賛同を得る代わりに、反対意見を生み出して
しまうものだから。

たぶん、問題定義が、
無意識の問題を生み出す。
そんな構造。

シス

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一年前にやっておけばよかったことは、一年後に叶うこと。

一年前にやっておけばよかったことは、一年後に叶うこと。

もしかしたら、
私は豊かな人生を送ってきたのかもしない。

ふと、そんなことを思った。

降って湧いた言葉と感情が、
妙に印象に残っているものの、
なぜ、そんな想いが浮かんだのか、
心当たりがないのであった。

散歩の途中の夕方のこと。

なんとなく心に残る言葉が張り出されるお寺の掲示板の前で、読めない漢字を眺めていた。

何をもってか 枉(まが)れるを直さん
by 聖徳太子

読みも意味もわか

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自我は命の投資先。

自我は命の投資先。

自分を大切にして欲しい、愛して欲しい。
そう願い続けているのが、エゴ。

大切にして欲しいのは、
大切にされなかったからではない。
愛されなかったからでもない。

たぶん、淋しかったから。

私は、淋しさを持って生まれてきたと思う。
きっと、必要な感情なのだろう。

誰かの淋しさに寄り添うために。
一人では生きられないと知るために。
淋しさと対極の感情をMAXに感じるために。

理由は定かではない

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世界は淋しさに溢れている、と思って、安心する。

世界は淋しさに溢れている、と思って、安心する。

淋しさと生きてゆく。

現実が辛いのは、心が苦しいから。
苦しみは、自分を大切にして欲しいから。

誰かに大切にして欲しいと願うのは、
淋しさから逃れたいとき。

淋しくないように生きようとすると、
苦しむようにできている。

どちらかを選ぶしかないみたい。
どちらも幸せとは、程遠い。

…そうなのだろうか?

淋しい気持ちは、
相手も淋しいだろうと
思いやれるようになる。
寄り添えるようになる。

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人は、愛しか表現できないのかもしれない。

人は、愛しか表現できないのかもしれない。

信じがたいことに、
そんなアイデアに行き着いてしまった。

昨日、二回データが飛んだので、
飛躍しているかもしれないのだけれど、
ネガティブな感情の根源は、
淋しさだと思うようになった。

淋しいから、愛されたい、
大切にされたいと願うようになる。

私のことが世界で一番大切だと宣うエゴの登場。

エゴと共存することで、
大切にされて当然な私として
生きられるようになる。

淋しさを感じなくてもす

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罪悪感に苦しむのは、善良さ故なので、赦されているし、愛されている。だから、苦しむことにした。

罪悪感に苦しむのは、善良さ故なので、赦されているし、愛されている。だから、苦しむことにした。

エゴは、感情を生み出す。

苦しみや辛さだけでなく、
喜びも幸せも生み出すことができる。

エゴが満たされると、天にも登る気持ちになる。
到達が困難なだけに、喜びもひとしお。

そんなご褒美があるから、
エゴを手放せないでいる。

気まぐれに与えられる飴がとんでもなく美味しいから、辛い鞭にも耐えられる。

エゴが生み出すポジティブな感情に依存している。ポジティブ中毒なのだろう。

ネガティブな感情

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