好かれる努力より、好かれないまま現実を生きる方法を考えればよかったのかも。
選ばれない自分を持て余している。
あまり面識のない三人で会話をしていた時のこと。
馬が合ったらしく、私以外の二人が盛り上がっていて、まぁ正直、ちょっと寂しかったのだけれど、会話に乗れない私を気遣ってくれるのも、嬉しいというより申し訳ない気持ちだった。
居場所がないというか、私がいなかったらもっと盛り上がるんだろうな。そんなセンチメンタル。
「繋がりたい」と言われていた方が羨ましかった。私も、言われたかった。
そんなわかりやすい嫉妬を、恥も外聞もなく素直に認められるようになった自分を、今は褒めてあげたい。
ちゃんと「選ばれない自分」でいられた。
人に好かれない自分から、ずっと逃げていた。
言い訳して、誤魔化してきた。
「好かれないなら、
好かれる自分になればいい。
自分を変えればいい」
そんなポジティブ変換をしては、変わることもできず、好かれることもなく、ただ、傷つくばかりだった。
努力は報われなかった。
報われない努力だったから。
まだ好きになってもらえていないけれど、
努力すればきっと、いつかは…
そんな夢想の根底には、
「本来なら、好かれる自分」がいた。
逆だった。
「元々が、好かれない自分」なので、
好かれる努力をしたって、実らない。
好かれない自分の上に、好かれる自分を上乗せしたって、好かれるわけがない。
偽物だもの。詐欺だもの。
しかも、好かれるって、なに?
好きになるのは、相手の自由。選ぶのも。
誰と仲良くするかも、全部、相手が選ぶこと。
馬が合うから、仲良くしたいって、
思ったんでしょう?
馬が合わない人とは、仲良くしたって、
居心地悪いだけじゃない?
万が一、相手から「繋がりたい」
と、言われていたら?
嬉しい。けれど、ちょっと困ったかも。
それが、答え。
選ばれなかったから、選ばれる人になりたい。(本音:私も仲間に入りたい)
ではなく、
選んでもらったら、そのご縁を大切にする。
自分から仲良くしたいと思ったら、
オーラ出ちゃうでしょう?
選ぶのは相手。
自然に仲良くなった人とだけ、繋がればいい。
あとは、誰とでも和やかに過ごすことだけ考えれば、OK。
好きになってもらいたいから、
好きになってもらう努力をする。
(本音:ハッピーに過ごしたい)
ではなく、
好きになってもらえないまま、居場所を確保するためには、どうしたらいいだろう?
空気が読めないから、読めるようになりたい。(本音:居心地悪い。喋るの怖い。
人としても怯えずに過ごしたい)
ではなく、
読めないけれど、空気を乱さないためには、
どうしたらいいだろう?
自分が嫌いだから、
好きになれるよう努力しよう。
(本音:こんな自分じゃなかったら、
もっと楽しく生きられるのに…)
ではなく、
嫌い…だとして、それが何か?
本音が求めていたのは、
自分を変えるための努力じゃなかった。
安心感。人といても、ビクビクしない自分。
努力した自分では、人間社会に耐えられない。
偽物だから。土台が間違っているから。
頑張れば、選ばれるし、好かれるし、
空気読めるようになるし、自分を好きになれる。
…なんて、幻想なんですよ。
選ばれないし、好かれないし、
空気読めないし、自分が嫌い。
嫌われて当然。それが、リアルな自分。
そんな残念な自分が、最強の自分。
好かれなくても、
ガッカリしないでいられるんじゃないかな?
好かれないし、空気読めないし、自分が嫌いなんだもん。そりゃ、好きになってくれる人の方が、貴重ってもんよ。
だから、たまに出会った私を気に入ってくれた人を、大切にすればいい。
偽善者ではない私を好きになってくれたなら、嫌われる心配は少ないし、安心じゃない?
一番、欲しかった安心感は、
残念な自分で人前に出ること。
その勇気がなかったから、自分を変えようとしたんだろうな。変えられないから、隠した。
たぶん、変えられない自分だって気づいていたはずなのに、向き合うことが怖かった。
嫌われることを恐れることはない。
嫌われるのが当然の人間だから。
好きになってくれる人の方が珍しいくらい性格が悪いんだから。
そんな自分を恥じて、ずっと隠そうとしてきた。変わろうとする努力を言い訳に。無駄な努力だったけれど…
変われない自分だから。
本性だから。自分自身のコアだから。
そんな嫌いな自分だけが、
私の一番欲しいものを与えられるのだ。
誰といても怯えず、萎縮せず、顔色や空気を読まず、話の中身なんかなくても、ただ和やかに会話し、穏やかに安心して人といられる。
最低の私は、最強だった。
今でも好きにはなれないけれど、
それでいいと思える。
好きでも、嫌いでも、自分以外にはなれない。
明日も、最低で最強の自分で、
安心して生きていかれますように。
fumori
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?