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私たちは、それぞれの異世界を生きている。

誰もが、異世界を生きている。

隣に並んで見ている景色でさえ、同じものではないのだろう。ビルがあって、道路に車が走っていて、空が青くて…

そのビルを、カッコいいな、あんなガラス張りの高層ビルで働いてみたいとポジティブに感じるか、地震が来たらどうするんだろう、とネガティブに思うか。

道路を見て、ガードレールが曲がっているとか、あの路地には信号機いらなくない、とか、列をなして走ってゆく車のどれを見ているかとか、青空に雲があることに気づいているか、渡り鳥の姿を眺めているか。

解釈が違うのはもちろん、同じシーンでも私が挙げた順番で見ているわけではないし、挙げなかったものだけを見ている人もいる。

なので、同じ現実を生きているのに、全然違う異世界を生きることになる。

そんな現実を記憶したものが過去であるなら、過去は事実ではなく解釈のデータだ。
傷ついた記憶は、時空を無視して痛々しさを再現するけれど、それは現実が与えた痛みではなく、解釈した自我が傷ついた記録。

解釈なら真実ではない。

主観であり、自我の言い分。過去の幻影。
今には存在しないし、過去にも存在しない。
事実とは異なる偽造データ。

だとしたら、
なんでそんな独白を記憶しているんだろう?

なんのメリットもない。
恨みつらみを思い出しては、腹を立て、傷ついて、悲しんで、なにもない今に、欲しくもない感情を再現して、ネガティブなムードを盛り上げている。人生を不幸にしかしないのに。

今には存在しない感情。つまりは、幻。
主観で作り上げた偽りの記録。
現実にはないなら、そんな感情に縛られず、
今の感情だけで生きていたらいいのに。

なんて思いながらも、朝から理由もなく、
死にたいとか、逃げたいとか、
本音は泣き言ばかり言うのです。

過去に執着してしまうのは、そんな気質のせい。
なんでもない現実を歪んで解釈しまくる
心の濁りも、質の問題。

そんなネガティブな自分が嫌いで、なんとかライトサイドの住人にになろうとしてきたけれど、こっちが本性だったので、もうどうしようもない。

嫌でも変えられない業みたいなものだと思って、
人に迷惑をかけないように気を付けるしかない
と思っている。

そんな執念深さや、性格の悪さを認めてたら、過去の出来事もさほど気にならなくなった。恨みつらみの多くは、私が悪かったと思えるから。

逆恨みするほど心が淀んでいるのは、今も。
過去ではないから、認めざるを得ない真実になる。逃げ場はない。

ただ、思い出すと辛い記憶は、まだある。
過去が今の自分を傷つけることはできない、
とわかっていても。

そういうネガティブな記憶には、
無意識の本音が隠れていたりする。

その時は気づくことができなかった痛みが、
読み間違えた本当の理由が潜んでいたりする。

母が亡くなった時、淋しかったし、悲しかった。やらなきゃならない役割が増えて、不便だと思ったし、そんなことを想う自分に罪悪感を抱いたりしていた。

長い間、それで済ませてきたけれど、母に対する深い怒りや恨みもあったらしい。私を残して死んでしまうなんて、という身勝手な恨みなのだけれど、驚くほど深かった。

どうしても自分を赦せなかったのは、そんな無意識の恨みだったのかもしれない。

過去は幻だ。
主観であり、思い込みであり、
謝った解釈の記録にすぎない。

それなのに、傷ついた感情は消えない。
全ての感情を本音のまま言葉にしない限り、
過去になってはくれなかった。

だから、
無意識でいると、過去に引き戻されてしまう。

ちゃんと解釈しろ。真実を見ろ。
きれいごとで済まそうとするな。
いい人で終わろうしてんじゃねーよ。
そんなもんじゃないだろ。

そう言って、大嫌いな自分の本音を突き付ける。

私の場合、都合の悪い自分や過去から逃げまくっているので、すぐさま追手がやって来る。
過去に執着してしまうのは、逃げ切りたいという執着が強いせいかもしれない。

自分からは逃れられない。
逃げるほどに、追ってくる。

わかっているのに、
未だに向き合えない過去がある。

ほんの一瞬、頭をよぎっただけで、
恨み言が止まらなくなる記憶。

自尊心が踏みにじられた、と解釈されている記録。その場は折れて、譲ったものの、今になって、私が尻ぬぐいをするはめになっている。

あれほど言ったのに。だから言ったのに。
私の方が真っ当だったのに、人格否定しやがって…

今思い出しても、腹が立って仕方がないのだけれど、これは、どうしたらいいのかな?

腹を立てているのは、相手ではなく、
本当は過去の自分に対してなのだろう。
折れる必要はなかった。
間違っていないと思っていたのなら、
決裂させておけばよかったのだ。
相手の方が大人だったのだから。

それなのに、大人なふりをして、
わかったフリをして、自分を貶めた?

あれ?

フリなら、折れてはいないのかな?
なら、自尊心は傷ついていないのかな?
じゃあ、なんだろう。この苛立ちは?

意見を聞いて欲しかった?
間違いに気づいて欲しかった?
自分の正当性を認めて欲しかった?
間違っている相手をなんとかしたかった?
間違っていて欲しくない相手が、
我を張っていることに幻滅した?

正しさの言い合いになって、
黙らせるためにこっちの我を潰そうとして、
心の傷がうずいて、被害者意識に陥って、
加害者にしただけなのだろうか?

…なら、過干渉を仕掛けたのは、
私の方だったのでは?

認めて欲しかったから。だから、こっちの好意を無碍にされて、腹が立った?

当時は自覚してなかったけれど、承認欲求、相当強いからね。それしかなかったし、やることなすこと、一つ一つ認めて欲しくてたまらなかったんだろうな。痛々しい。

認めて欲しかったから、
やらなくてもいいことを、やろうとしていた?

いや、いつかは誰かがやらなきゃならないことで、結局、今になって私がやらなきゃならないことになっているわけなんだけど、だったら、今の感情だけでいいはずなんだよね。

それを、あれからずっと、思い出す度に過去と結びつけて、気分の悪さを盛り上げている。

過去の言い争いは、その時点で清算できたのに。

本人が要らないと思っているのなら、じゃあ、やらない、でよかったのかも。それでも、やった方がお互いのためだと確信していたのなら、何を言われてもやってしまえばよかった。

本当は、そうしたかった。
だって、私の方が理にかなっていると思っていたし、納得もしていなかったから。

ただ、やった挙句に文句を言われることに、耐えられなかった。相手に好きでいて欲しいから。

自信がなくて、現実が怖くて、
承認されないことに耐えられなかった。

だから、相手の認識を正そうとした。
役に立って、感謝されたかったのかな?

いや、重いわ。

過去がただの記憶になる日は、来るのだろうか。

感情に連れ戻されることがないように。
今にない幻影に、煩わされることがないように。現実を本音のままに記録できればいい。

心を偽るから、偽りの過去に復讐される。
どんなに酷い本音でも、誤魔化さない。言い過ぎだと思うなら、謝って、許しを請えばいい。

心が淀んでしまったのは、ため込んでいたから。吐き出して、流れを作れば、いつかは濁りも薄まるだろう。

身近に愚痴や悪口が多いのは、そのためかも。
心の淀みを澄ませるチャンスを与えられているのかもしれない。

聞いていると気持ちが塞ぐので、愚痴や悪口が嫌いだ。けれど、それらが悪行だという判断や執着が、原因かもしれない。

少なくとも、愚痴や悪口には、さほど悪気はないかもしれない。
言ってる人の心に歪みや執着がなければ、
言ってスッキリするだけだ。
心に負担なく、人の愚痴も聞けるのだろう。

対話は、和やかさを生み出すこと。

ジャッジや設定の優先順位は、その下だ。
自分の価値観に対する拘りが、
ぎこちない空気を生んでいたのかもしれない。
内容のない、お互いに負担のない会話。
敵意のないことを伝える。
目的は、それだけでいい。

面白くなくても、仲良くなれなくても、
敵じゃないと思ってもらえれば十分なのだ。

みんなから好かれて生きてゆくことはできない。

私たちは、それぞれの異世界を生きている。

理解したつもりで、個別の現実らしきものを
記憶してゆくだけなのだから。

 fumori 







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